内牧城(うちのまきじょう)

内牧城の基本情報

通称・別名

所在地

熊本県阿蘇市阿蘇町内牧字中町

旧国名

肥後国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

阿蘇氏

築城年

天文年間(1532〜1555)

主な改修者

加藤氏

主な城主

阿蘇氏、辺春氏(阿蘇氏家臣)、加藤氏

廃城年

元和2年(1616)

遺構

曲輪、石垣、横堀(水堀)

指定文化財

再建造物

碑、説明板

周辺の城

市成城(熊本県菊池市)[9.6km]
長野城(熊本県阿蘇郡)[12.9km]
鳶ノ尾城(熊本県阿蘇郡)[18.6km]
玉岡城(熊本県菊池郡)[19.4km]
隈府城(熊本県菊池市)[21.0km]
菊之城(熊本県菊池市)[21.9km]
鞠智城(熊本県山鹿市)[23.8km]
隈部館(熊本県山鹿市)[24.4km]
竹迫城(熊本県合志市)[24.6km]
亀尾城(熊本県菊池市)[26.3km]

内牧城の解説文

内牧城(うちのまきじょう)は熊本県に存在した中世・近世の平城。

古川と黒川を水濠とした典型的な平城で、内牧の町内には「本丸」「二の丸」「三の丸」の小字が残っている。

歴史 

内牧城は天文年間(1532~1555)の頃に築造されたといい、天正14年(1586)の薩摩の島津氏による阿蘇侵攻で落城したと伝えられている。

その後、豊臣秀吉の天下統一で加藤清正が肥後に入国し、家臣の加藤右馬允可重を初代とした城代3人が赴任した。江戸幕府が成立すると元和元年(1615)に一国一城令が出され、内攻城は廃城となった。

遺構 

加藤家にかわり肥後藩主となった細川家は、二の丸跡に旧阿蘇町一帯を管轄した内牧手永会所(手永とは当時の行政単位で、会所とは役所のこと)を設置した。さらに本丸跡には江戸への参勤文代で宿泊するための内牧御茶屋を設置。駐車場前の小道沿いに今も残る石垣は、内牧城あるいは内牧手永会所時代の遺構と伝えられている。

江戸時代以来、この二の丸跡は行政機能の中心であり続け、明治維新後も内牧村役場、内牧町役場、そして戦後も阿蘇町役場が置かれましたが、平成20年(2008)に阿蘇市役所内牧支所が総合センター内に移転し、その歴史の幕を閉じた。

現在は阿蘇内牧ファミリーパークとして整備され、街の中心にある憩いの場として新たな役目を担っている。

情報提供:阿蘇市教育委員会


内牧城の口コミ情報

2023年03月12日 龍造寺筑後守シュン
内牧城

駐車場から道を挟んだ対岸に内牧城の案内があります。

2022年11月18日 RED副将軍
内牧城



加藤清正家臣の加藤可重ゆかりの城跡🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

築城年代は不詳ですが、天文年間(1532年〜1555年)に阿蘇氏家臣の辺春盛道が築城した居城とも伝えられています。
1586年に島津氏が侵攻し、辺春盛道は籠城するも落城し自刃したと云われます。
豊臣秀吉が九州平定し、加藤清正が北肥後に入部すると家臣の加藤可重が城代として入城。加藤氏が3代続き、この頃に近世城郭に改修された様です。
1615年の一国一城令により廃城。
その後、肥後藩主の細川氏は参勤交代で宿泊するための内牧御茶屋を本丸跡に築きました。

見所
現在は、市民体育館と公園となり遺構はほぼ消失しています。
しかし、二の丸跡に石垣が残り、S字状に蛇行する水堀跡が確認できます。この水堀は黒川の流れを変えて天然の水堀としたものです。
公園となり水堀にはカラフルな船が浮かび、破却された石垣跡の様な石群もカラフルに塗られてました。

2022年08月31日 虹雷 大宰大弐 サンダー
内牧城



本丸跡が阿蘇体育館の大きな駐車場になってます。車を停めさせていただき、体育館の周りの堀を散策できます。

2022年08月13日 とのさま若狭守
内牧城

途中の道がかなり狭いところがあるので、離合に気をつけて下さい

2022年07月20日 国府左京大夫城介
二辺塚城[内牧城  周辺城郭]



阿蘇氏において、祭事を催す重要な地

【歴史】
平安時代に、阿蘇(宇治)則高(13代目。まだ阿蘇氏を名乗っておらず、大宮司の世襲もしていない)が築いたと云われている。
明応2年(1493)の頃には、蔵原志摩守が城主となっている。

また、記念碑よると、この二辺塚山は、贄塚山ともいい、阿蘇家が天に贄を捧げ、平安豊穣を祈念したことからその名が付いたと云われている。

【遺構】
内牧城の南南東約3.7kmに位置する標高573.6m(比高73m)の二辺塚山(本塚)に築かれている。
堀や土塁といった遺構は残っていないが、曲輪と思われる平坦な地形が残っている。また、昭和30年頃までは、周囲は深田の低湿地であり、南側からしか外部に接続することができなかった。

【感想】
阿蘇の中央にある小高い山に築かれており、阿蘇市内であれば、かなり遠くからでもこの山を認識することが出来る。
遺構は曲輪しか残っていませんが、何より阿蘇市内を360°パノラマビューで見渡すことが出来る絶景の場所です。加えて、適度に草も刈られており、傾斜も急ではないので、アクセスも良好です。もし、この辺りを晴天時に訪れたのであれば、是非訪れてみてください。絶景を独り占めできることは間違いないです!

【アクセス】
阿蘇駅から自転車で、南側にある登城口まで約15分程。
周囲は農道なので、車の場合は近くにある農村公園の駐車場を利用した方がよい。

【写真】
①遠景
②記念碑
③記念碑の趣意書
④頂上
⑤~⑧頂上からの景色

2022年07月01日 左兵衛佐けんちん
内牧城



阿蘇体育館の駐車場に停めて、リア攻めできました。が、散歩道を歩きましたが、城跡は特に案内がありませんでした。まあ、気持ちのいい散歩道と小川ではありました!

2022年06月10日 龍馬備中守【】
阿蘇神社[内牧城  寺社・史跡]



熊本県の阿蘇市にある【阿蘇神社】♪城では無くて神社になります♪

阿蘇外輪山の東中程の平野部に神社は立地しました♪全国に約450社ある『阿蘇神社』の総本社で古代からの有力氏族である阿蘇氏が大宮司を務めた由緒正しい神社であります♪初代・阿蘇の国造となる速瓶玉命が両親を祀った事に始まります♪阿蘇神社大宮司職を世襲し、この阿蘇、肥後の一大勢力となっていく阿蘇氏です♪

中世以降は肥後国一宮とされて崇敬を受け、広大な社領を持ちましたが秀吉の九州平定の際に社領を没収されています♪

堅志田城の口コミの時に記載しましたが、戦国時代に島津氏は堅志田城に籠る阿蘇氏を攻めます☆
この時、島津氏はくじ引きにより攻撃するか否かを決めています☆神に反いて攻撃をして良いものか?阿蘇大宮司、阿蘇系統という事がどれほどの強大なものなのか?
島津義久は攻撃を躊躇しています☆
それほどの力を持った阿蘇氏です♪

現在も末裔である阿蘇治隆様が大宮司を務められています☆未だに続く血脈に凄すぎます☆今回、阿蘇神社へ行った理由は我が家の父方(人吉に本家)の家紋が阿蘇氏と同じ『違い鷹の羽』♪気になって気になって〜という単純な理由でありますw

家紋って、その家に代々受け継がれた大切なシンボル♪調べてみると面白いですね〜♪

熊本地震により境内の社殿は甚大な被害を受けています。。今、正に災害復旧工事が進められていました☆
早く良くなると良いな〜☆☆

2022年05月05日 因幡守さちえ️
内牧城

【火の国】
城廻のオアシス『ENEOS セルフ九重SS / (有)森石油店』阿蘇内牧城⇔中津や宇佐方面、国道221.24h営業夜中も案内心から感謝(知らない地は半分切ると満タンにしたくて不安になります)

2022年05月04日 徳にぃ図書頭銀座のすずめ
内牧城



火の国イベント中。天気の土日なら内牧城へのルートはどこから行っても渋滞します。時間に余裕を持ってスケジュール検討してください!朝早めとか夕方過ぎとかに行く手もあるかもです。熊本市内からのルートには、ちょっとですが無料の高速道路もありますが、レンタカーの古いナビでは認識しない可能性があります。

城とは無関係ですがお時間あれば是非、大観峰からの景色お楽しみくださいね(^^)

2020年09月11日 壱岐守最強島津
内牧城



加藤清正 豊後街道に境目の城跡として築城

内牧城の周辺スポット情報

 石垣(遺構・復元物)

 内牧城本丸跡・内牧御茶屋跡説明板(碑・説明板)

 内牧城二の丸跡・内牧手永会所跡(碑・説明板)

 二辺塚城(周辺城郭)

 阿蘇神社(寺社・史跡)

 トイレ(トイレ)

 阿蘇スカイライン展望所(その他)

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