竹迫城(たかばじょう)

竹迫城の基本情報

通称・別名

合志城、蛇尾城、穴の城、上庄城

所在地

熊本県合志市上庄

旧国名

肥後国

分類・構造

連郭式平山城

天守構造

築城主

中原師員

築城年

建久年間(1190〜1199)

主な改修者

主な城主

竹迫氏、合志氏

廃城年

天正15年(1587)

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

市史跡(竹迫城跡)

再建造物

石碑

周辺の城

長嶺城(熊本県熊本市)[6.6km]
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玉岡城(熊本県菊池郡)[9.3km]
亀井城(熊本県熊本市)[9.4km]
隈府城(熊本県菊池市)[10.1km]
妙見城(熊本県熊本市)[11.0km]
鞠智城(熊本県山鹿市)[11.6km]

竹迫城の解説文



竹迫城(たかばじょう)は、熊本県合志市上庄にあった日本の城。合志城とも呼ばれ、その他に蛇尾城・穴の城・上庄城の別名もある。合志市指定史跡[1]。また、城絵図が合志市指定有形文化財に指定されている[2]

概要 

鎌倉時代初期から戦国時代末期までの約400年間、肥後国合志郡における政治・軍事の中心であった。築城から戦国時代初期までを竹迫氏、それ以降は合志氏が居城とする。川沿いの丘陵を利用して造られた中世様式の城で、土塁と空堀によって郭が形成されており石垣は見られない。城の縄張りは東西1800メートル×南北1400メートルとされる。中央の最高所に位置する本丸跡は楕円形(50メートル×30メートル)の平坦地となっている。

沿革 

  • 鎌倉時代はじめの建久年間(1190年 - 1198年) - 合志郡の地頭職に任じられた中原師員(竹迫氏初代・竹迫輝種)によって築城される。
  • 1337年(延元2年/建武4年) - 南北朝の争いが九州に及び、北朝方の合志幸隆が守る竹迫城を、南朝方の菊池武重が攻める。
  • 1510年(永正7年) - 竹迫氏第15代の竹迫公種が豊後へ移転。
  • 1511年(永正8年) - 竹迫氏に代わって合志隆岑が城主となる。
  • 1551年(天文20年) - 菊池義武に与し大友義鎮の攻撃を受けるも落城せず。
  • 1584年(天正12年) - 龍造寺隆信の攻撃を受ける。
  • 1585年(天正13年) - 島津氏の侵攻を受ける。新納久饒および川上忠堅の軍勢を合志隆重が迎え撃つが敗れて開城。
  • 1587年(天正15年) - 豊臣秀吉の九州征伐を受け、薩摩へ撤退する島津氏が城を焼却。
  • 1990年(平成2年) - 菊池郡合志町(現・合志市)により公園として整備される。

竹迫城の口コミ情報

2023年09月18日 織田上総介晃司
竹迫城

竹迫城歴史公園となっており駐車場もあります。

一面芝生が敷きつめられ(主郭は除く)先人様の仰るようまさにゴルフ城(笑)

土手滑りするお子様がいます。もちろんゴルフは不可!

2023年06月29日 RED副将軍
竹迫城



公園整備によりまるでゴルフ城と化した竹迫氏、合志氏の本拠地🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

竹迫城(たかばじょう)と読みます

築城年代は不詳。建久年間(1190年〜1199年)に中原師員により築かれたとされます。
中原師員は、鎌倉御家人であり肥後国合志郡の地頭として入部。後に三浦義村、二階堂行村らと共に鎌倉幕府の評定衆に選出された実力者です。最初は原口城を居城としましたが、竹迫城を築いて竹迫輝種と称し、竹迫氏の代々の居城となりました。
1510年、15代当主の竹迫公種は大友義鑑に従って豊後国へ移り、一旦は竹迫城は廃城となります。
1511年、合志高岑が池上城より廃されていた竹迫城へと移り、合志城と名を改めて居城とします。
その後も大友氏、龍造寺氏からの侵攻を受けながらも合志氏の支配が続きましたが、1585年に島津氏家臣の新納久饒、川上忠堅が攻め寄せて落城。
島津氏の支配となりましたが、1587年に豊臣秀吉による九州征伐において島津氏は薩摩へ撤退する際に城を焼却し廃城となりました。

見所
現在は、竹迫城跡公園として公園整備されています。
主郭の周囲に土塁が残り、北側に空堀が巡ります。しかし、芝生が植えられ、あまりにもキレイに整備されているのでまるでゴルフ場⛳️の様です。
駐車場から主郭方面を見た際には、打ち下ろし左ドッグレッグのパー4かと思った次第です。あと旗立穴があれば完璧です。

2023年04月28日 つか征夷大将軍
合志市歴史資料館[竹迫城  関連施設]



大きな資料館ではありませんが、竹迫城の模型や縄張図があったり、竹迫氏や合志氏の歴史等がよくまとまってます。竹迫城行く前にどうぞ。無料です。

2023年04月18日 翔山外記
竹迫城

公園として整備されていて家族の憩いの場としている。

2022年06月23日 うがや
竹迫城



竹迫城跡の特徴は、絵図にある外堀が現地に今もなお残ることです。外堀は城下を囲う惣構で周囲約6キロに及ぶものです。築造時期は天正の頃、国人領主の合志氏によるものと言われています。同じ頃、大名北条氏の小田原城惣構が約9キロであり、なぜ国人領主がこれだけの規模を築けたのか謎です!

竹迫城惣構跡は道路や鶴川になっている南側と今も竹林に残る堀や土塁があって広い縄張りです。戦国期で城下を囲う惣構としては、九州でも稀な事例です。ぜひ一度絵図と現地を比較してみてください✨

2022年05月21日 弾正少弼庄希
竹迫城



子供がソリで楽しそうでした。ゆったり出来るとこです。

2022年02月20日 もっこす肥後守
竹迫城



土塁があまりに大きいので、何処までが当時のままか分かりません。地元では草スキー(そり)で遊べる公園で有名です。

2017年10月09日 カーネル
竹迫城

終点の熊本電鉄の御代志駅から直線で4.4km

駅北100mにある信号を右折して、県道341号を東へ。広い歩道もあって快適に歩けます
左に農業公園を見ながら30分ほど歩くと「竹迫城公園←」の標識があるので左折して北上。道は歩道がなくなるけど、車も通らないのどかな道になります

途中で竹迫日吉神社に寄り道。立派でした
案内に従い進み、駅から1時間10分で駐車場着
堀はでかくて子供がソリで遊んでた。規模が大きいのに、キレイに整備されてて感動しました
帰りは真西に川沿いのあぜ道を通って帰りました。牛小屋があって癒された

往復して2時間40分。その前に山城にも行って疲労が溜まっており、最後は惰性で歩いた


2017年06月14日 由京
竹迫城

6月の夕方に来ましたが、この日はとても良い天気でしたので、土塁の草が緑色でとても綺麗でした‼綺麗に整備されていて気持ちの良い公園でした❗土塁では、そり滑りなども楽しんでいる子供達も居ました。駐車場

竹迫城の周辺スポット情報

 竹迫城見張所跡(遺構・復元物)

 横町旭橋の総堀(遺構・復元物)

 バヤンバリの惣堀(遺構・復元物)

 木瀬の惣堀(遺構・復元物)

 西光寺の惣堀(遺構・復元物)

 田久保の惣堀(遺構・復元物)

 土塁(遺構・復元物)

 大門口跡(碑・説明板)

 合志城址碑(碑・説明板)

 駐車場(駐車場)

 第二駐車場(駐車場)

 合志市歴史資料館(関連施設)

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