岩野嶽道祖城(いわのだけどうそじょう)

岩野嶽道祖城の基本情報

通称・別名

所在地

熊本県熊本市北区植木町大字岩野

旧国名

肥後国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

小野良旨

築城年

天文年間(1532〜1555)

主な改修者

宗氏

主な城主

小野氏、宗氏

廃城年

享禄4年(1528)?

遺構

曲輪、土塁、竪堀、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

周辺の城

妙見城(熊本県熊本市)[5.8km]
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岩野嶽道祖城の解説文

記録によれば、この城は600年ほど前の南北朝天授年間に、小野良旨によって築かれたとある。

しかしその頃の城はきわめて簡単な構造であったと考えられる。

その後、宗氏が道祖城主として入城した。宗氏は託麻郡本山城(現・熊本市本山町)を預かっていたが、康正元年(1455)益城郡の大戦で一族70人が戦死するような奮戦をしたため、時の守護・菊池為邦が感状とともに山本郡岩野荘151町を授け、道祖城に移らせたものである。おそらくこの時期に現在残る道祖城の体裁が出来上がったものであろう。

この城跡は、城郭としての遺構を驚くほどよく残している。山頂部分を中心に山の中腹にかけて、土塁・竪堀・曲輪など大々的に施工され、特に山頂部周辺を取り巻く長い曲輪は約20段にも及び、防御態勢の完璧さを誇っている。

また城山の麓、馬場部落の中心部に、高さ2メートル、幅3メートルの土塁によって正方形に囲まれた場所があり、次郎丸屋敷と呼ばれている。

ここは今日、新春・星野両家の屋敷地となっているが、土塁の西側と南側には今でも空堀の一部が残っている。

宗氏に後継が途絶えた時、守護・菊池武包の子・次郎丸に名跡を継がせているので、その館跡であろう。

この次郎丸屋敷と道祖城を含む馬場全域は更に大規模な土塁と水濠(一部は三重にも及ぶ)に取り囲まれている。我々はここに城と居館が一組になった中世城郭の典型的な姿を垣間見ることが出来る。

享禄4年(1528)宗久隆退去という記事をもって道祖城の歴史の幕は下ろされるが、この時期は菊池氏の守護職廃絶の前後であり、道祖城も菊池氏とその運命を共にしたとも考えられる。

情報提供:熊本市

岩野嶽道祖城の口コミ情報

蒼 (唐冠魚鱗札)様[2013年02月13日]
岩野嶽道祖城:植木カントリークラブの南側に 其れらしき小さな丘がありました
細い階段 獣道を登った頂きに 小さな仏壇みたいなのがあり扉も閉ざされていて 立札も無く確証が持てなかったので写真は今回見送りました

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