菊之城(きくのじょう)
菊之城の基本情報
通称・別名
- 菊池古城、菊の池城、菊之池城、深川城、深川館、雲上城、雲上の城
所在地
- 熊本県菊池市北宮
旧国名
- 肥後国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 菊池(藤原)則隆
築城年
- 延久2年(1070)
主な改修者
- -
主な城主
- 菊池氏
廃城年
- -
遺構
- 消滅
指定文化財
- 市史跡(菊之城跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
隈府城(熊本県菊池市)[2.2km]
鞠智城(熊本県山鹿市)[4.0km]
亀尾城(熊本県菊池市)[4.6km]
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隈部館(熊本県山鹿市)[9.6km]
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須屋城(熊本県合志市)[14.6km]
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菊之城の解説文
菊之城の口コミ情報
2022年06月13日 RED副将軍
菊之城
菊池氏発祥の城跡です✨
オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
1070年、大宰府の荘官として赴任した藤原則隆により築かれた館が始まりとされ、菊池氏を名乗り居城としました。
南北朝時代には、菊池氏14代の菊池武士が合志幸隆に城を奪われる事態が起きましたが、武士の兄である武光が奪還。しかし、武士は追放され、武光が15代当主を継承しました。16代菊池武政の時代に菊池城(隈府城)に居城を移した後は菊池十八外城の一つとして機能しました。
見所
現在は、田園地帯の中の小高い台地に石碑と案内板が建つのみです。近くに菊池武則の墓所、菊池の由来でもある菊之池跡もあります。
菊之城の周辺スポット情報
火の天神(碑・説明板)
歴史
大宰府の荘官として赴任した藤原則隆が、延久2年(1070)に構えた館とされる。菊池十八館のひとつに数えられるが、他の城に比べて早期の城と考えられる。
南北朝時代、菊池氏14代の武士(たけひと)が合志幸隆に城を奪われたが、武士の兄である武光が奪還。武士は追放され、武光が15代を継承している。16代武政のとき、守備に適した守山城に本拠地が移されたとみられている。
遺構
菊池川の北側に位置し、現在は田園になっている。かつて、物資の輸送には舟運が不可欠だった。そのため、菊池一族も舟運を有効的に活用するために館の周辺の開発に力を入れたようだ。対岸の赤星荘も菊池一族の支配地で、舟着場があったといわれている。
城の西側200mほどのところに菊池初代則隆の墓と菊之池があることから、城域はそのあたりまで広がっていたと考えられる。
菊池氏発祥之跡碑の建つ場所の字名は城の堀で、東側は下市場、上市場となっている。市場には物流拠点となる市場があり、菊池一族の経済活動の中心であった可能性がある。
交通
・九州自動車道植木ICから車で約20分参考文献
・菊池市教育委員会公式サイト。・現地案内板。