山鹿城(やまがじょう)
山鹿城の基本情報
通称・別名
- 山鹿古城、湯町城、湯浦古城、上市城、清滝城
所在地
- 熊本県山鹿市山鹿字温泉(清滝神社)
旧国名
- 肥後国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 山鹿氏(菊池氏)
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 山鹿氏(菊池氏)
廃城年
- 天正15年(1587)
遺構
- 曲輪、土塁
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
城村城(熊本県山鹿市)[4.0km]
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南関城(熊本県玉名郡)[15.0km]
山鹿城の解説文
[引用元:Wikipedia「山鹿城」の項目]
山鹿城(やまがじょう)は、熊本県山鹿市(肥後国山鹿郡)にあった中世の日本の城(丘城)。
立地・構造
山鹿市山鹿字温泉の低丘陵に位置し、跡地には清滝神社や光専寺[1]、圓頓寺などがある[2]。東側には南北方向に堀切が設けられ、南の急崖の外側には大規模な空堀と土塁があった。西側と北側は崖となっている。大正時代に鹿本鉄道の引込線を敷設した際に東南の土塁を崩している。また、山鹿氏の居館は現在の光専寺境内にあったという。
歴史
菊池氏の庶流にあたる山鹿氏が代々の居城とした。築城時期は不明だが正平6年(1351年)に懐良親王と敵対していた記録があり、南北朝時代には北朝に属していた。天正12年(1584年)に島津氏に降伏したが、進駐の際に小ぜり合いが生じている。肥後国人一揆で城主の山鹿重安が城村城に篭城した天正15年(1587年)、またはその翌年に廃城となった。
参考文献
- 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典(43.熊本県)』、角川書店、1987年
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山鹿城の口コミ情報
2024年07月07日 マグロ常陸介祐平
山鹿城
菊池氏の一族、山鹿氏代々の居城です。山鹿氏は菊池則隆の次男の西郷政隆の系統ですので、西郷隆盛の家とは同族となります。
最後の城主山鹿重安は、佐々氏に対して起こした肥後国人一揆に加担し、城村城で戦いますが最後は降伏し小倉で切腹しています。
城址は、市街地化していてよく分かりません。昭和の雰囲気が残るスナックがある路地の先の清龍神社が本丸跡とされていますが、遺構は見当たりません。写真6枚目の盛土が土塁の痕跡かもしれません。向かいにある圓頓寺(写真5枚目)は、寛永元年(1624年)に城址に建立されたお寺で、山鹿重安の霊を供養する板碑があるようですが、わかりませんでした。
2022年02月12日 もっこす肥後守
山鹿城
神社になってます。城跡の面影はありません。温泉地ならでは昭和チックな飲み屋街のそばにあります。
2021年08月24日 多咲兵庫頭兼定
山鹿城
近くの有料駐車場に車を止めて、リア攻マップに従い歩いて攻めてきました。城跡はお寺の境内になっており、お城っぽさは残っておりませんでした。ただ、山鹿の古い街並みの散策ができて楽しい城攻めでした。
2019年06月10日 虹雷 大宰大弐 サンダー
山鹿城
城跡の案内板は、細い路地を入った奥の方にあるので見つけにくいです。街の真ん中なので、車も停めにくく、徒歩でゆっくり散策を。
2019年06月04日 笑門来猫
山鹿城
屋敷跡にある光専寺。西南戦争の山鹿口の戦いでは桐野利秋隊が激戦を繰り広げ、野戦病院となる。
山鹿城の周辺スポット情報
焼米城(周辺城郭)