城村城(じょうむらじょう)

城村城の基本情報

通称・別名

有働城、有動城

所在地

熊本県山鹿市城

旧国名

肥後国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

不明

築城年

不明

主な改修者

主な城主

城氏、隈部氏

廃城年

天正15年(1587)

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

市史跡(城村城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

山鹿城(熊本県山鹿市)[4.0km]
田中城(熊本県玉名郡)[8.2km]
隈部館(熊本県山鹿市)[11.4km]
大津山城(熊本県玉名郡)[11.5km]
鞠智城(熊本県山鹿市)[11.7km]

城村城の解説文

城村城(じょうむらじょう)は熊本県に存在した中世の丘城。

立地・構造
熊本県山鹿市城字城の、菊鹿盆地西端の標高約50mの丘陵突端に位置する。主郭と二郭の2つの平坦地からなり、約80×50mの主郭には城跡碑がたつ。東と北の土手は裾部に曲輪が巡り、その先は急崖となっている。南も土手の裾部から郭が階段状に形成され、西は90m・深さ6mの大規模な空堀がある。

突出した主郭北東部の下には尾根を削平した二郭があり、周辺に細い帯曲輪が巡らされ、先は同じく急崖となっている。

歴史
城氏は当城を代々の居城としていた。天文19年(1550年)に鹿子木鎮有が菊池義武を助けて大友氏に背いたため城親冬に隈本城が与えられ、当城には代わりに隈部氏が入った。天正15年(1587年)の肥後国人一揆では隈部親永が一揆の先駆けとなり、隈部城が落ちると親永は嫡子・親泰のいる城村城に入城した。なお、当時は有働兼元が城主であった可能性も指摘されている。

同城で国人衆は隈部親泰を総大将、有働兼元を総物頭とし、原口の大手や西之枡形など6つの部署に分けて鉄砲830挺・弓500張を用意し、男女1万8,000人以上が籠城したという。親永は防戦の表には立たなかったが、佐々成政が攻城を始めると各方面で激戦が展開された。籠城軍が成政を引き付けている間に別の国人衆が本城の隈本城を包囲したため、成政は救援に引き上げたが、隣国の立花宗茂・小早川隆景らが出兵して当城を囲み、一揆は鎮圧された。開城後、親永らは柳川城の黒門で殺害されている。

参考文献
角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典(43.熊本県)』、角川書店、1987年

城村城の口コミ情報

一寸榎様[2017年08月10日]
城下には平山温泉郷があります。行軍の合間にぜひ。

猿飛佐助様[2013年02月11日]
近くに佐々成政が造った付城があります

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