南関城(なんかんじょう)

南関城の基本情報

通称・別名

南関新城、鷹ノ原城

所在地

熊本県玉名郡南関町大字関町字城ノ原

旧国名

肥後国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

加藤正次

築城年

慶長5年(1600)

主な改修者

主な城主

加藤氏

廃城年

元和元年(1615)

遺構

曲輪、石垣

指定文化財

再建造物

周辺の城

大津山城(熊本県玉名郡)[1.4km]
田中城(熊本県玉名郡)[5.3km]
大間城(福岡県大牟田市)[6.4km]
筒ヶ嶽城(熊本県荒尾市)[8.9km]
女山神籠石(福岡県みやま市)[11.0km]
鷹尾城(福岡県柳川市)[11.7km]
城村城(熊本県山鹿市)[12.6km]
佐留垣城(福岡県柳川市)[12.9km]
山鹿城(熊本県山鹿市)[15.0km]
福島城(福岡県八女市)[16.5km]

南関城の解説文

南関城(なんかんじょう)は、熊本県玉名郡南関町大字関町字城ノ原にある山城。鷹ノ原城、関ノ城、南の関城とも呼ばれる。

歴史 

慶長5年(1600)、加藤清正の家臣である加藤正次により築かれたとされる。

『日本書紀』に記される「津類(つつら)」は、南関町の象徴的な山である大津山(つづらがたけ)とも考えられる。古代官道は南関町を通っており、南関から東へ折れ、鞠智城のある菊池郡を経由して肥後国府へ向かったのではないかと推察されている。

室町時代に南関地域を支配したのは、大津山城を居城とした大津山氏だ。戦国時代になると、九州では豊後の大友氏、肥前の龍造寺氏、薩摩の島津氏が三つ巴のせめぎ合いを繰り広げ、天正14年(1586)に島津氏が九州をほぼ制圧した。天正15年(1587)の豊臣秀吉の九州征伐の時点では、大津山氏も島津氏に属していた。

慶長5年の関ヶ原の戦いの後、加藤清正が人吉球磨と天草を除く肥後一国の領主となる。清正はこの前年頃から熊本城の普請をはじめ、佐敷城内牧城など境目の城を強化していた。南関城も関ヶ原の戦いの後、大津山城に変わる拠点とすべく築城が開始されたようだ。江戸時代中期に書かれた地誌『南関紀聞』には、慶長5年に大津山城を廃して、加藤清正が自ら南関城の縄張りをしたと記されている。

城の完成は慶長9年(1604)とみられる。慶長4年(1599)頃から加藤正次が城代を務め、慶長17年(1612)頃には子の加藤正長が城代となったようだ。

元和元年(1615年)の一国一城令により廃城となり、城はことごとく破却された。

遺構 

南関町役場の北側に東西にのびる、標高約100mの丘陵に築かれている。台地を4本の堀切で分断し、東から二の丸、本丸、三の丸が配置されていた。南麓には細川氏時代の南関御茶屋跡があり、豊前街道が通っていた。

廃城後に徹底的に破却された痕跡があり、また現在は畑地や杉山になっているため、往時の縄張は定かではない。

立地、曲輪の配置、家相学に基づいた縄張、本丸虎口の形状、石垣の構築方法など、熊本城と類似点が多く、ミニチュア熊本城とも比喩される。現況からは、石垣の積み方からそれが感じ取れる。

南関城の最大の特徴は、破城の痕跡だ。城が埋没するほど激しく、徹底的に破却され葬られていたことが明らかになっている。破壊され埋め立てられた石垣や、形状がわからないほど崩された曲輪から、かなりの破却行為がうかがえる。壊した石垣の石材を放置せずに除去しながら、下方まで計画的に破却作業を進めたようだ。城内のほとんどの堀切に石材が敷き詰められていたことが発掘調査から判明している。

一国一城令後に破却されたとされるが、寛永通宝が出土していることから、元和期と寛永期の2度にわたる破城の可能性が高い。細川氏も、再度の徹底した破却を幕府に報告している。一国一城令後の破却はさほど徹底していなかった可能性が高く、寛永14年(1637)の島原・天草一揆の後、再利用を防ぐために幕府の命令で徹底的に破却されたと思われる例が全国に多くある。南関城も、建物については一国一城令後に取り壊されて熊本城に運ばれたことはあり得るが、石垣までは壊されていなかった可能性がある。

交通 

・九州自動車道南関ICから車で約5分

参考文献 

・『南関城跡 鷹ノ原城跡5(南関町文化財調査報告 第13集)』南関町教育委員会、2013年。
・『南関町史 通史 上』南関町史編集委員会、2006年。

文:萩原さちこ


南関城の口コミ情報

2024年04月08日 今孔明ユーチューバー
南関城



南関御茶屋跡
入場料200円ですがここで南関城手作りDVDを視聴できます!許可を得て写真を撮りました。

2024年04月08日 今孔明ユーチューバー
南関城



熊本城の支城で加藤清正の統治からたった20年しか使われていない山城。城の規模は大きいのですが整備されていないので見学時間は30分ほどです。本丸の北西の石垣は見逃しやすいのでご注意😀

2023年09月18日 織田上総介晃司
南関城

南関御茶屋敷跡に広い駐車場があるが、そこまでの道がかなり狭いとの事なので、南関公民館(現在は使用していない)の駐車場に停める。

2022年07月19日 mootze
南関城

破却した石垣が、ゴロゴロ、でもしっかりと縄張りが残っているので、見応えあり、

2022年07月13日 陸奥守たろす
南関御茶屋跡[南関城  寺社・史跡]



【南関御茶屋跡】《国指定史跡》
◆概要
「現在の御茶屋は、嘉永3年(1850)8月に起工して、嘉永5年(1850)正月頃に完成したものです。参勤交代の際に休憩や宿泊に利用され、細川家のみでなく、人吉相良家、薩摩島津家も頻繁に利用し、篤姫も昼休みしました。屋根には細川家の九曜紋をあしらった鬼瓦や軒瓦が葺かれています。
 平成15年に国の史跡に指定され、保存修理工事を経て、往来の姿を取り戻しました。」
*豊前街道南関御茶屋跡 ボランティア団体「南関宿場町伝来人」さま資料より引用

◆入館料
一般 200円(個人)、160円(団体15名以上)
小・中学校 100円(個人)、80円(団体15名以上)

◆施設紹介
南関城の麓にあります。
駐車場は広いのですが、先達者の口コミ通り道は激狭です。

施設は3部屋からなる一棟の建物と「心」字をかたどった池を配した庭園が残ります。
正直見るべきものは少ないです…

が、一角に展示コーナーを設置しており、南関城の縄張図などを見ることができます。
配布用のA4資料(城域図付き)もありましたので、登場前に利用しても良いかもしれません。

また、コロナ禍においてはお出しするのを控えていたとのことですが、私が訪れた時はお抹茶をたてていただきました。

施設のオバちゃんとお話ししましたが、火の国イベのことは全然知りませんでした。
また、地元では「鷹ノ原城」と呼んでいて、なんで「南関城」なんかにしたのかね〜なんて言ってました。

地元の方とのふれ合いも城旅の醍醐味!
南関城登城の際に利用してはいかがでしょうか🤗

2022年05月12日 数珠丸恒次権大納言ヒロティー
南関城

加藤清正が縄張りしたと伝えられています。お茶屋跡も復元され史跡登録されてます

2022年04月30日 因幡守さちえ️
南関城

【火の国】
南関城付近でガソリンがギリギリで入れたいなとお考えの方。㈲津留石油(エネオス)でいれた方が良いなと思いました。祝日(2022/4/29当時)南関城→田中城や鞠知城方面のガソリンスタンドお休みでした。
土曜日・祝日は営業してるけど、日曜日はお休みみたいです。

2022年04月14日 若江河内守國助93.8%
御茶屋跡駐車場[南関城  駐車場]

南関城リア攻めするには便利な駐車場です。案内板に従って進むと駐車場まであと数十メートルのところで道幅が狭くなります。軽自動車は大丈夫、普通車はギリギリ、3ナンバー車は多分曲がれない。私が借りたレンタカーMAZDA2はギリギリ大丈夫でした。

2022年02月12日 もっこす肥後守
南関城



破城されて石垣の石は散乱しているが、虎口などははっきりわかる。曲輪も分かりやすい。土留の土嚢跡が目立つので少しマイナス。御茶屋跡の看板があるので目印にすれば良いが道が狭いので注意。

2020年12月13日 さすらいの征夷大将軍慶誾尼☆寧
南関城



自他共に認める方向音痴ゆえ、大牟田側から行ったら迷いました…南関IC側から行ったらあたし迷わなかったのかもと負けを認めたくないですが…迷った時点で、なんか幸先悪い予感はしました…
車は南関町役場に停めていった方がいいかな?と一瞬思いましたが、根拠のない自信で突き進んでしまいました。案の定、道中1人しか乗ってない車なのに『擦るのと脱輪するのとどっちがいい?』と言う悪魔の声が聞こえました。『どっちもイヤにきまっとろうもん!!』と返事をし変な汗かきながら到着。

え?えー?ええええ?まさかの…マ、マジですか?
『立入禁止』げなっ!!笑笑
ここ笑うとこじゃないけど笑える!

近くのじいちゃんを呼び止めて聞いてみれば、『水害で上は土砂崩れしとるけん入られんごとなっとるばい。右側の道からなら倒木をかき分け登っていけるばい。』との事
とりあえずどんくらいの倒木よ?と怖いもの見たさに進軍…
100メートルほど倒木を跨いだりくぐったりして進むが、すぐに要匍匐前進…兵を引きました。

話は長くなりましたが、今は登城できんってことです…2020.12.13現在
しばらくして訪城される場合は南関町役場にお電話してご確認された方がよろしいかと存じます…

南関城の周辺スポット情報

 堀切(遺構・復元物)

 鷹ノ原城三の丸跡(碑・説明板)

 南関御茶屋跡(寺社・史跡)

 城ノ原官軍墓地(寺社・史跡)

 御茶屋跡駐車場(駐車場)

 東屋(関連施設)

 二の丸(その他)

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