佐留垣城(さるかきじょう)

佐留垣城の基本情報

通称・別名

所在地

福岡県柳川市大和町栄字前田

旧国名

筑後国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

不明

築城年

不明

主な改修者

主な城主

蒲池氏

廃城年

遺構

横堀(水堀)

指定文化財

市史跡(佐留垣城跡)

再建造物

説明板

周辺の城

鷹尾城(福岡県柳川市)[2.1km]
柳川城(福岡県柳川市)[4.6km]
蒲池城(福岡県柳川市)[7.0km]
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津村城(福岡県大川市)[9.6km]

佐留垣城の解説文

天正6年(1578)年、豊禎の戦国大名大友氏が、薩摩の島津氏と戦って敗れると、筑後地方は、肥前の龍造寺氏が支配するようになりました。初め大友氏に従っていた柳川の蒲池氏や鷹尾の田尻氏は、このとき、龍造寺氏の家来になりました。

しかし、柳川城主の蒲池鎮並が、その後島津氏と同盟を結んだため、天正9(1581)年5月27日、龍造寺隆信は鎮並を佐賀で殺しました。その勢いで、隆信は、柳川城(鎮並の弟統安)を攻め落とし、さらに6月1日、蒲池氏の出城である塩塚城(統安の二男塩塚鎮貞)を鷹尾城主田尻鑑種に攻めさせました。鑑種の姉は鎮並の母ですから、一族同志の悲惨な戦いでした。

塩塚城落城の翌日(6月2日)、龍造寺氏は田尻氏と肥後の小代親伝とともに、蒲池氏の残党が最後に立て籠もった佐留垣城(鎮並の弟蒲池統春)を攻めました。城主統春を初め100余人の家来が、一人残らず討ち死にしました。現在、内堀・外堀の跡が見られ、墓地とお堂があるだけです。

情報提供:柳川市教育委員会教育部生涯学習課

佐留垣城の口コミ情報

赤松貞明様[2012年08月12日]
自分の知識が正しければ城主は田尻鑑種だったと思います。
場所は旧大和町、皿垣小学校の東側。周りに堀はありましたが、農業用水なのか城の堀跡かはわかりませんでした。
五つの墓石(?)石碑(?)…が立っていました。
路地の突き当たりに解説板が立っていました。

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