大間城(たいまじょう)
大間城の基本情報
通称・別名
- 大間館
所在地
- 福岡県大牟田市大字三池字古城
旧国名
- 筑後国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 三池師員
築城年
- 正治2年(1200)
主な改修者
- -
主な城主
- 三池氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
南関城(熊本県玉名郡)[6.4km]
大津山城(熊本県玉名郡)[7.8km]
筒ヶ嶽城(熊本県荒尾市)[8.6km]
鷹尾城(福岡県柳川市)[9.5km]
佐留垣城(福岡県柳川市)[9.7km]
田中城(熊本県玉名郡)[11.7km]
女山神籠石(福岡県みやま市)[12.9km]
柳川城(福岡県柳川市)[14.3km]
高道城(熊本県玉名市)[16.0km]
蒲池城(福岡県柳川市)[16.6km]
大間城の口コミ情報
2023年07月08日 龍馬備中守【佐竹扇】
三池山城[大間城 周辺城郭]
福岡県の大牟田市にある三池山城♪戦国期に三池地方(現・大牟田市及びみやま市高田町付近)を拠点として勢力を有していた三池氏です♪
三池山城は大牟田市の東側と熊本県南関町との境目にあり、三池山の標高366m付近で南北に走る尾根を加工した戦国の山城であります♪古来より霊峰として崇められた三池山であります♪
さてこの三池山城を本城としたのが、三池氏は鎌倉時代に三池荘南郷の地頭職であった安芸氏の子孫とされています♪
後に三池氏を名乗っていく訳ですが、室町・戦国時代には、この三池郡一帯に勢力を振るう国人領主として成長を遂げていきます♪
三池氏や筑後の国人領主達は豊後国の戦国大名・大友家に従っていますが、肥後国と接する三池エリアは一時、肥後国・菊池氏と協力し、大友家に抵抗しています☆
更には肥前国・龍造寺氏の筑後進出の際にも同様に抵抗しています☆
近隣の有力な戦国大名と相反した動きをしています☆
文明16年(1484年)筑後守護・大友政親は日田六郎を派遣して、三池山城を攻略させています☆その後の三池氏は大友家に帰順していますが、天文19年(1550年)大友義鑑暗殺事件を契機とした肥筑の騒動で、再び肥後国・菊池氏に呼応した事で、大友氏に三池山城を攻められ、往時の当主・三池上総介親員は敗北しています☆豊臣秀吉による九州征伐の後は所領を安堵され柳河城主となった立花宗茂の与力となっています♪
城郭は三池山から南北に伸びた尾根を加工してます♪見所は畝状竪堀群ではありますが、藪化しています♪虎口は人を1人しか通さない切通しを造り込み、堀切に土橋♪と国人領主・三池氏の会心の城郭がそこにはありました♪
因みに主郭には三池宮があるんですが、この境内の北側に3つの池があります♪これは三池の名前の由来となっていて、今でも水が入ってました♪
2023年05月04日 龍馬備中守【佐竹扇】
三池藩陣屋[大間城 周辺城郭]
福岡県の大牟田市にある【三池陣屋と紹運寺にある歴代藩主墓所】♪
江戸時代の三池藩の陣屋跡になります♪
この場所は柳河から熊本荒尾へ通じる街道を押さえる場所であり交通の要衝地となっています♪現在は三池小学校の場所です♪
背後の今山には紹運寺にある歴代藩主墓所♪
更には大牟田の国衆・三池氏の本城のある三池山と続きます♪
天正15年(1587年)高橋統増(直次)は豊臣秀吉から筑後国・三池郡内二十三か村で1万8千石余を与えられています♪往時は江ノ浦城(過去口コミ済)を居城にしましたが、三池へ居館を移しています♪この高橋直次は初めは高橋姓として生まれ、高橋紹運の次男となります♪戸次道雪鑑連の養子でもあり筑後国・柳河藩主・立花宗茂の実弟で、後には立花直次と立花姓を名乗ります♪
高橋統増は関ヶ原の合戦の際に立花宗茂と共に西軍に属した為に改易となってしまいますが、慶長18年(1613年)に将軍・徳川秀忠に謁し、姓を立花に改め、立花主膳正直次を称しました♪
共に、常陸国・筑波郡柿岡に5千石も賜り、元和3年(1617年)に江戸で没してます☆
この間に江ノ浦城は一国一城令によって廃城となり、立花直次の嫡男の立花種次が三池一万石に封じられ、この三池藩を立藩し初代藩主となり三池陣屋を居館としました♪
時は流れ、文化3年(1806年)に幕府の処分を受け陸奥国・伊達郡下手渡一万石に移封されてしまい、三池の藩領は幕府直轄地となり、三池陣屋は破却されています☆
陣屋は堀を巡らし、南に表門、東西にも門を設けて、土壁を築き、藩主館を置きました♪侍屋敷も配していました♪また、小学校に登る所には石段も残っています♪
大手門には石橋があり、現在も残っています♪
少し離れた今山の麓には紹運寺が残ります♪寺号は藩高祖の高橋紹運にちなんでいます♪
三池藩主・立花家の菩提寺として2代目の当主・立花種次が元和7年(1621年)に建立♪太宰府市の西正寺や柳川市の天叟寺も、高橋紹運をはじめとする岩屋城戦の戦没者の菩提寺ともなっています☆境内には三池藩の初代藩主・立花種次から7代藩主の立花種徳の墓碑が残ります♪門前の道の向かい側にも往時は法輪寺があって、現在は跡地ではありますが、ココにも三池藩歴代藩主の墓碑が残ります♪
2023年05月03日 龍馬備中守【佐竹扇】
大間城
福岡県の大牟田市にある【大間城】♪城郭詳細が無い為、記載します♪宅地にはなっていますが、高まる丘陵上の大間八幡神社♪その場所が城郭となります♪
筑後国の最南端にある大牟田は北、東部、南部の東半分をそれぞれ、丘陵や山地に囲まれていて西部は有明海に面しています♪
肥後国との国境に立地する大間山(標高225m)から西に伸びる丘陵上に城郭は立地しました♪現在は堀と高台の名残を残しています♪周りは住宅地です♪
築城主は三池摂津守師員で正治2年(1200年前後)に築いた平城となります♪
三池にある今福城(過去口コミ済)から、ココ大間城へ移り、代々居城としました♪
この三池氏は源頼朝の家臣だった、藤原親能が三池郡の地頭職に命じられ、三池氏を名乗り称しました♪
天正年間(1573年〜)頃から豊後国の大友宗麟の支配下に入り、三池上総介鎮実が二百五十町を領しました♪
天正15年(1587年)の豊臣秀吉の九州平定以降は三池上総介鎮実は三瀦郡の内に領地五十町を賜り、その後は柳河城主・立花家の家臣となっています♪
大間城の東側には大間劫月院跡の石造群も残ります♪かつて、この場所には劫月院という禅宗のお寺がありました♪室町時代の頃にはこの地の領主である三池氏の庇護を受けていました♪
江戸時代には虚無僧寺とも呼ばれていて、ここに逃げ込み編笠を被れば罪を犯した人も逃れられたそうで男性の駆け込み寺のような場所だったようです♪
天和3年(1683年)に柳川に移転していて江月院と名を改めています♪柳川へ運ばれた観音様や敷石が夜な夜な鳴き声をあげ病人が絶え間なく出た為に人々は帰りたがっているのだろうと思い元の劫月院の場所に祠を造り安置したと伝わります♪今もここにお参りすると子供の夜泣きが治ると言い伝えられています♪
2022年10月01日 マグロ常陸介祐平
浄業寺古塔群[大間城 寺社・史跡]
史跡名は浄業寺古塔群となっていますが、鎌倉時代からこの地で活躍した筒ヶ嶽城主小代氏のお墓です。鎌倉時代から江戸時代初期まで、121基の石塔が並ぶ景色は壮観です。一枚目の写真は小代氏が恩顧に報いる為に建てた、鎌倉将軍頼朝、頼家、実朝の供養塔です。
2022年09月30日 マグロ常陸介祐平
田次郎丸館[大間城 周辺城郭]
室町時代の名主の館跡で土塁の痕跡が確認できます。古塔がお堂の周囲に並び趣きがあります。
2022年09月30日 マグロ常陸介祐平
三池藩陣屋[大間城 周辺城郭]
小学校の入口に説明板があり、近くには遺構の眼鏡橋があります。歴代藩主の墓は、車で10分程離れた紹運寺(高橋紹運の供養塔あり)と向かいの法輪寺跡にあります。
2022年09月30日 マグロ常陸介祐平
大間城
城址は大間神社となっています。やや高台になっており曲輪感はありますが、説明板に記載されている遺構はわかりませんでした。三池氏の墓は車で10分程度離れた定林寺にあります。
2012年10月13日 湯たん坊
大間城
神社の隣にある梅林は、1月下旬から2月までが見頃です。
余談ですが、公民館活動が活発です。