田中城(たなかじょう)
田中城の基本情報
通称・別名
- 肥後田中城、和仁城、舞鶴城
所在地
- 熊本県玉名郡和水町和仁大字田中
旧国名
- 肥後国
分類・構造
- 丘城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 興国元年〔南朝〕/暦応3年〔北朝〕(1340)
主な改修者
- -
主な城主
- 和仁氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、横堀(空堀)、建物跡、井戸跡
指定文化財
- 国史跡(田中城跡)
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
大津山城(熊本県玉名郡)[3.9km]
南関城(熊本県玉名郡)[5.3km]
城村城(熊本県山鹿市)[8.2km]
山鹿城(熊本県山鹿市)[11.5km]
大間城(福岡県大牟田市)[11.7km]
女山神籠石(福岡県みやま市)[11.9km]
筒ヶ嶽城(熊本県荒尾市)[12.2km]
福島城(福岡県八女市)[15.3km]
鷹尾城(福岡県柳川市)[15.3km]
佐留垣城(福岡県柳川市)[16.8km]
田中城の解説文
[引用元:Wikipedia「田中城」の項目]
田中城(たなかじょう)は、熊本県玉名郡和水町和仁にあった日本の城。別名和仁城。中世に熊本県旧三加和町一帯を支配した肥後国の国人和仁氏が本拠とした。天正15年(1587年)に発生した肥後国人一揆において、最後まで抗戦を続けた城のひとつである。
「田中城跡」の名称で国の史跡に指定されている。
構造
和仁川の東側に接する小山に築城され、規模は総面積約8万平方メートルと推定されている。 主郭の平坦部は50m×42mの楕円形で、城周辺の水田からの比高は47mある。実戦向きの城で、一万余の軍勢を相手に千人足らずの守兵で38日の籠城戦に堪えた。本丸を取り囲む空堀のほか捨て曲輪跡・建物跡・井戸跡などが良く保存されている。
歴史
肥後国では菊池氏が衰退した後、戦国期は国人割拠状態が続き和仁氏も肥後国の国人の一つだった。和仁氏は古代豪族和珥氏の末裔とされるが和仁氏が滅んでしまったため、何時から肥後に土着したかその歴史は不明である。
九州征伐後の天正15年(1587年)6月、豊臣秀吉により佐々成政が肥後国主に任じられ検地を行おうとしたが肥後の国人は服さず、翌月には隈部親永が兵を挙げて肥後国人一揆が始まった。和仁氏当主の和仁親実もこの動きに呼応し、弟の親範と親宗および姉婿の辺春親行と共に田中城の守備を固めた。佐々成政は肥後の各地で離反した国人を単独で鎮圧できず援兵を請い、豊臣秀吉は同年9月、西国大名に出兵を命じ一揆の鎮圧に向かわせた。
田中城に対しては、小早川秀包を主将として、安国寺恵瓊・鍋島直茂・立花宗茂・筑紫広門など計一万余の軍勢が振り向けられ10月28日に到着。城の周囲に二重の柵を築いて包囲戦に入った。和仁氏は十倍する攻め手からよく城を守ったが、安国寺恵瓊による内応工作もあり、12月5日ついに落城して和仁氏は滅ぼされた。
現状
昭和61年(1986年)に熊本県の史跡指定を受け本格的な発掘調査が始まった。平成元年(1989年)、山口県文書館『毛利家文庫』から攻城戦の様子を描いた絵図『辺春和仁仕寄陣取図』が発見され[1]、攻城側の部署や軍令が明らかになると共に、図に描かれた城の構造が発掘結果とよく合致することが確認された。これにより戦国期の歴史を知る上で貴重な遺構であるとして2002年(平成14年)3月に国の史跡に指定された。
映像作品
平成14年(2002年)、地元の三加和町によって、田中城の攻防戦を描いた映画『おんな国衆一揆』(監督:三池崇史)が製作された。この作品は熊本県の史跡を舞台とした『熊本物語』の第三部に当たり、当時の潮谷義子熊本県知事も高台院役で特別出演している。
アクセス
- 玉名駅もしくは新玉名駅から九州産交バス南関行きに乗車し終点「南関上町」下車、タクシーで13分。
- 大牟田駅もしくは新大牟田駅から西鉄バス南関町役場行きに乗車し終点下車、タクシーで13分。
- 九州自動車道南関インターチェンジより県道4号線を車で約15分(7km)。
参考文献
- 『三加和町文化財調査報告 第11・12集』三加和町教育委員会、1997年
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田中城の口コミ情報
2023年09月18日 織田上総介晃司
田中城
今回、三加和郵便局近くの歴史と文化のふれあい広場の駐車場に停めました。
城内に栗林がありますが生産・管理されているので栗の実を勝手に取ってはいけません。
田中城のある和水町には大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」のモデルになった金栗四三の生家があります。彼はマラソンランナーで駅伝の父として知られてます。正月の風物詩・箱根駅伝は彼の発案だそうです。
2022年07月27日 陸奥守たろす
田中城の磨崖仏[田中城 寺社・史跡]
【田中城の磨崖仏(まがいぶつ)】
城のある小山の北西角辺りの崖の壁面に彫られたお地蔵様です。
以下は現地案内板より
「田中城の西側、地上約5.5mの阿蘇溶結凝灰岩の崖面に、7体の地蔵尊が彫刻されています。中央に閻魔大王、その左右に3体ずつの地蔵が並び、田中城の岩地蔵と呼ばれています。
この磨崖仏は三昧那形(さんまやぎょう)といって仏を表す物をそれぞれ持っています。中央の閻魔大王は両手に閻魔帳を、その左右の六地蔵は、向かって左から鉢・如意・幢幡・蓮華・宝珠・錫杖を持ち、僧衣を着ています。
閻魔大王は地蔵を司る王で、忌日の追善供養の対象とされ、広く人々を救うものとして信仰されました。発願者は不明ですが、地元では田中城の安泰を祈ってつくられたとの説があります。
岩盤のやや低い位置には「□□□□陀仏(南無阿弥陀仏か)」、「□明□年□月」との刻銘があり、『肥後国誌』の記載内容から「文明三年(1471)三月」と思われます。
室町末期(戦国期)につくられたこの様な磨崖仏は、九州でも五指に入るといわれます。
和仁町教育委員会」
田中城の安泰を祈ったとのことだが…
天正15年(1587)肥後国人一揆で籠城した和仁氏に対して、秀吉は小早川秀包を主将とした討伐軍計一万余の軍勢で包囲戦を展開させた。
和仁氏は一月余りの間、城を良く守ったがついに落城した…
2022年07月14日 陸奥守たろす
田中城ミニミュージアム[田中城 関連施設]
【田中城御城印】
◆「 田中城ミニミュージアム 」(旧春富小学校)にて取り扱い🤗
◆和仁氏三兄弟の石像をデザイン化🤭
◆そしてなんと"無料"配布🤩
【田中城ミニミュージアム】
◆開館時間 10:00〜16:00
◆休館日 火曜日、年末年始
◆観覧料 無料
◆駐車場 あり(無料)
◆先達者の口コミにもありますが、ミュージアムには3Dジオラママッピングや映像資料も充実してますので、訪城の際はご一緒にご覧くださいませ🤗
2022年07月10日 国府左京大夫城介
耳の神様(由布大炊助の墓)[田中城 寺社・史跡]
「耳の神様」由布惟明の墓
【由来等】
天正15年(1587)12月に、田中城攻めに参戦していた立花宗茂の配下である由布大炊介惟明は、騎馬の侍大将として先頭に立ち、大手門に攻め込んだ。その前に田中城から躍り出た中村治部小輔が立ち塞がり名乗りを挙げるも、これに応じることなく進んできたため、中村治部が放った矢が胸板を貫き、由布惟明は討ち死にした。
由布惟明は耳が不自由なため、家来が制止する声や、中村治部の名乗りも聞こえず、討ち死にしてしまった。それを不憫に思った村人が、墓を建てて祀ったと云われている。
墓前には「火吹き竹」が献納されており、竹の節に小穴をあけて、火種を吹き付ける道具を耳にもじって、耳の通りがよくなるようにという願いが込められており、由布惟明は「耳の神様」として祀られている。
(説明版及び和水町「八つの神様」より抜粋)
由布惟明は、正嫡家の出身で道雪七家老・第一座の由布家続の次男です。因みに、立花四天王筆頭の由布惟信は庶嫡家なので、同じ由布氏ではありますが、別の系統です。「将士軍談」によると、立花宗茂から柳川に700石与えられていたが、田中城攻めにおいて和仁親範(弾正)によって討ち取られたて戦死している。
どちらが由布惟明を討ち取ったのか正しくは分からないですが、一つ言えることは、田中城攻めにおいて討ち死にしたことは間違いがありません。また、由布惟明が実際に耳が悪いのかは不明ですが、戦場に立つ将が耳が悪いというのは有り得ないと思います。しかし、何らかの理由があって、「火吹き竹」が献納され、それが転じて地元では「耳の神様」として、祀られていることは確かです。
なお、八つの神様とは、和水町にある健康にまつわる神様で、「目の神様」「イボの神様」「胃の神様」「性・腰の神様」「歯の神様」「命の神様」「耳の神様」「手足の神様」となります。
【アクセス】
産交バスで、「桜町バスターミナル」から「山鹿バスセンター」行きに乗り、終点で「南関上町」行きに乗り換え、「三加和総合支所入口」から徒歩30分。
田中城からは、徒歩10~15分。
【写真】
①入口
②説明版1
③説明版2
④由布惟明の墓
⑤幟
2022年07月10日 国府左京大夫城介
田中城
肥後・田中城の公共交通機関でのリア攻めについて
産交バスで、「桜町バスターミナル」から「山鹿バスセンター」行きに乗り、終点で「南関上町」行きに乗り換え、「三加和総合支所入口」から徒歩45分で、南側の「歴史と文化のふれあい広場」に到着します。
なお、終点の「南関上町」は、南関城の最寄りのバス停でもあり、徒歩で約70分となります。
基本的に本数が少ない上に、夏場は炎天下の中、約4kmほど歩く必要があります。道自体はアップダウンが少なく、歩道もある程度はありますがない場所もあります。また、ダンプカーが結構走っているので、歩道がない場所では注して歩いてください。コンビニはないですが、集落がある箇所には自販機があります。
火の国イベントにおいて、公共交通機関でリア攻めする難易度が一番高いのが田中城です。
他の11城は、本数は少ないですが近くまでバスが接近するので、それほど歩く距離が少ないですが、田中城だけは最も近いバス停から、一時間近く歩く必要があります。令和3年の秋までは田中城直近を走るバスがあったのですが、利用者数の減少により、路線が廃止となっています。
また、南関城もセットで攻略するのであれば、更に歩くこととなるため、夏場に歩くことはっきり言ってお奨めしません。熱中症対策や、いざとなったらタクシーを呼ぶ準備などはしておいた方がいいと思います。自分のようなソロで城攻めをするのであれば、尚更です!
2022年05月03日 三上駿河守
田中城
肥後国人一揆の舞台となった和仁氏の居城です。背景を知ってからリア攻めするとより楽しめます。田中城から徒歩10分前後のところにある廃校となった小学校を利用して作られたミニミュージアムでは映像で落城までの流れを見られます。
2022年05月01日 RED副将軍
田中城
豊臣秀吉との肥後国人一揆の激戦の城。
1万の豊臣軍に対して1千の兵で38日におよぶ籠城戦に耐えた堅固な城です。
オススメ度 ★★★★★
築城年代は不詳。1340年には鰐城として記録が残るので、その頃には国人の和仁氏の居城であったと考えられています。
1585年に、九州平定をした豊臣秀吉は肥後国主として佐々成政を派遣させます。
1587年、佐々成政の検地に対して反抗し、肥後国人一揆が発生。和仁氏と坂本城主の辺春親行は田中城に籠城し抵抗しました。
佐々成政は国人一揆を押さえられず、逆に隈本城に攻め込まれたため撤退。
豊臣秀吉は小早川秀包、立花宗茂、鍋島直茂、筑紫広門など1万の軍を派遣し、田中城を包囲。籠城戦は38日にもおよび、最終的に安国寺恵瓊の謀略により辺春親行が寝返り落城しました。
見所
標高104mの独立丘陵頂部に主郭を置き、周囲は垂直に近い鋭い切岸で遮断されています。
周囲に伸びた3方の尾根は堀切で分断され、出丸として配置されています。
特に主郭北西下の堀切と空堀は幅約20m、深さ約10mの長大なもの。
周辺にも多数の帯曲輪が造成されており、その土木量に驚きます。
現地に赴けば城郭の堅固さに納得できます。
国指定史跡だけあり、整備され見学駐車場もあります。
2022年02月13日 もっこす肥後守
田中城
1番の見所は捨て曲輪付近でしょうか。車で主郭までいけますが、対して規模は大きく無いので麓から歩いた方が隈無くまわれます。よく手入れされているし、田中城ミニミュージアムもあり保存に力を入れているのが良くわかります。
2020年12月21日 さすらいの征夷大将軍慶誾尼☆寧
田中城
先人様方の美しいフォトを観て衝動的に行って来ました♫
まずは田中城ミニミュージアムへ
・開館時間 午前10時から午後4時
・休館日 火曜日
・料金 無料
・駐車場 トイレ 有り(無料)
町教委の方から『城跡に行く時、車は歴史と文化のふれあい広場に停めて行ってください』と教えて頂く…
が、城跡の方を見ると舗装された道が上の方まであるので『なーんだ上まで車で行けるやん♪』とブイブイ上って行った…
およよ(゚Д゚)
そこはなんと『ポツンと一軒家』
民家の庭に着きます。
犬にけたたましく吠えられながら、民家の庭先で方向転換となりました。
さっ、気を取り直して…車は歴史と文化のふれあい広場ですね
西捨て曲輪の下から見る山の斜面には、棚田と見間違うほどの雛壇状遺構が圧巻です
景色も良いけど、竹林や杉林も楽しめます♪
12月13日現在
手入れをキチンとされており、ちゃんとした靴を履いていけばお腹いっぱい観覧することができます…
石段は気をつけて下さい。
晴れていても滑りました。
★お昼ご飯には、南関の麦の花うどんはいかがでしょうか
★帰りに平山温泉善屋のもらい湯はいかがでしょうか
2019年11月24日 じょーうん隠岐守
田中城ミニミュージアム[田中城 関連施設]
旧春富小学校跡地に2019年4月からopenしています。特に3Dジオラママッピングにて豊臣軍一万余りと戦った籠城戦を再現した展示物は必見です。トイレも綺麗に整備されているので、田中城に行く前に寄られる事をおすすめ致します。
2014年01月08日 【隠者】史学会帰新参
田中城
城の北側のふもと入口にトイレ水道あり。ここから城に入り本丸そばまで車で行ける。和仁三兄弟の像は城の南側の歴史と文化のふれあい広場にある。
2012年02月12日 筑後守もんど
田中城
毎年2月の第二日曜日に戦国肥後国衆祭りがあります。
前日の練習に参加出来れば一般の人達も参加でき、鎧(レプリカ)を着て武者行列に参加できます。
佐々成政などの名のある武将には成れませんが、ちゃんと一般参加の人にも見せ場があります。
場所は田中城跡ではなく三加和総合支所裏で開催されます。
田中城の周辺スポット情報
伝 弾正屋敷跡(遺構・復元物)
捨て曲輪(遺構・復元物)
和仁三兄弟石像(碑・説明板)
田中城跡説明板(碑・説明板)
田中城跡(和仁城跡)(碑・説明板)
田中城の磨崖仏(寺社・史跡)
耳の神様(由布大炊助の墓)(寺社・史跡)
田中城駐車場トイレ(トイレ)
駐車場(駐車場)
駐車場(駐車場)
田中城ミニミュージアム(関連施設)