福島城(ふくしまじょう)

福島城の基本情報

通称・別名

所在地

福岡県八女市本町

旧国名

筑後国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

筑紫広門

築城年

天正15年(1587)

主な改修者

田中吉政

主な城主

筑紫氏、田中康政(田中氏家臣)

廃城年

元和7年(1621)

遺構

曲輪、櫓台、横堀跡

指定文化財

再建造物

説明板

周辺の城

女山神籠石(福岡県みやま市)[7.0km]
生津城(福岡県久留米市)[9.4km]
高良山神籠石(福岡県久留米市)[10.0km]
猫尾城(福岡県八女市)[11.7km]
海津城(福岡県久留米市)[12.2km]
城島城(福岡県久留米市)[13.0km]
発心城(福岡県八女市)[13.0km]
久留米城(福岡県久留米市)[13.8km]
鷹尾城(福岡県柳川市)[14.0km]
蒲池城(福岡県柳川市)[14.3km]

福島城の口コミ情報

2025年10月28日 順☆散歩征夷大将軍正統派
福島城



八女福島城は1587年ごろ(異説あり)筑紫広門が支城として小さな館を築いたのが始まりとのことですが、筑紫氏が関ヶ原後に改易となった後「田中吉政」が柳川城の支城として三重の堀を有する城郭として大改修、城下町も整備したのが本格的なスタートと言えそうです。(吉政自身は本拠地の柳川にいたわけなので福島城の初代城主は三男の康政)

ところで歴史オンチの自分にとっては、田中吉政って関ヶ原の古戦場記念館のすぐ横に陣跡があったなとか、三成を捕まえた人だよね、くらいの認識しかなかったわけですが、調べてみると実は福島城以外にも久留米城や猫尾城などの10の支城とそれらを結ぶ道路を整備したり、新田開発・治水事業・有明海干拓を行なったりと、地域の発展にめちゃくちゃ寄与した方なんですね。以前いた近江八幡や岡崎でも実績ありますし、「土木の神様」と呼ばれているのも納得です。

さて、そんな福島城ですが、後継ぎ不在により田中氏は2代で断絶、その後は有馬氏の管轄になるものの一国一城令の煽りを受けて、吉政が整備してからわずか20年ほどで結局廃城となってしまいます。それでも町自体はその後もずっと発展を続け、特に往還道が通っている城の南部は町人地として経済的にも文化的にも大いに繁栄したようです。ここには今でも昔の街並みが残っており、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されています。

都市部ではかつての面影があまりないお城も数多くある中、福島城は街並みだけでなく堀跡、特に外堀・中堀の大部分が水路という形で残っているため、かつての縄張りが大変よくわかる稀有な例だと思います。ネットで検索すれば現在の地図と古地図を重ね合わせた図がいくらでも見つかりますし、八女市役所前にも説明板が設置されているので、そちらを参考にして街中を散策してみてはいかがでしょうか。自分は城域全体を歩くだけで2時間かかりましたが、堀跡見るだけでも凄く楽しかったですし、町人地が南側にあるのは火事が多くなる冬は北風が吹くため(城の中心部に火がこない)だとか、防衛や火除のために計画的にお寺を配置していたりだとか、そういうポイントも見ながら散策すればさらに楽しめるかと。

古い建物を見学したりお店に入ったりするならもっと時間がかかるので半日はみておいたほうがよいと思いますけど、いずれにせよ八女公園しか行かないというのはもったいなさすぎるので、ぜひたくさん歩いて吉政の街作りを体感してみることをオススメします。

※あとで数えたら堀跡(水路)の写真だけで60枚撮ってました。ほとんどは全く映えないものですが比較的マシなものを⋯

写真①外堀の北東隅付近
写真②中堀の一部
写真③外堀の北西隅付近
写真④中堀に渡り廊下が
写真⑤旧木下家住宅
写真⑥ここは当時の堀に近いのかな。北側に福島八幡宮があり、高くなっているところは土塁跡かも。
写真⑦枡形跡
写真⑧こんな小さな水路も堀跡です

2025年07月19日 烏丸大蔵卿文麿
福島城



八女市役所横。公園化されて判別不明です。

2025年05月01日 yuicha宮内少輔
福島城



市役所の駐車場に停めて、目の前にあります。看板はないので、見た目でここかな?上り口に石柱が立っている!福島城趾と読み取れる?この季節に少し足を延ばすと黒木の大藤が見れます。

2023年06月18日 龍馬備中守【】
国見岳城[福島城  周辺城郭]



福岡県の八女市にある【国見岳城】♪南筑後の河川、矢部川と白木川が合流し、山下城とは対岸♪独立丘陵地上(標高104m)に立地した国見岳城♪通称・城山は戦国時代の国人領主・蒲池氏の山下城を取り巻く重要な城郭の1城となります♪

この地の国衆・蒲池氏の一族、蒲池城城主・蒲池志摩守鑑廣が山下城(本城)を築き、3代にわたり居城としました♪山下城を居城としたこの蒲池氏は、柳河城城主・蒲池治久の次男、蒲池親広が永正年間(1504年〜1521年頃)に大友親治より上妻郡に五百四十町の所領を得て別家を興して山下村に移った事で、子の蒲池志摩守鑑廣の代に山下城を築城したと伝わっています♪

天正6年(1578年)大友宗麟が耳川合戦で島津氏に敗れると、柳河城城主・蒲池鎮並は龍造寺氏に属しています♪天正7年(1579年)龍造寺氏が筑後に侵攻すると、鷹尾城城主・田尻鑑種が降伏するなど、筑後の大友方の諸将が次々に龍造寺氏に切り崩されていく中、蒲池志摩守鑑廣は山下城に籠城して抵抗しました☆しかし大友氏の援軍は無く、龍造寺氏に降っています☆この際に国見岳城も機能したのでしょう☆畝状竪堀群がソレを物語ります♪

その後の山下城は、筑紫広門の持ち城として機能しています☆
この筑紫広門は島津氏が九州北上制覇を狙った進軍の際に、勝尾城でバチバチやり合っています☆その際落城に追い込まれ、筑紫広門は大善寺に幽閉されていますが、天正15年(1587年)豊臣秀吉の九州征伐後、北部九州より島津氏が撤退すると筑紫広門はすぐさま勝尾城を奪還しています☆
この功績によって筑紫広門は秀吉より筑後国上妻郡に 18000石を賜り、山下城を居城としました☆この筑紫広門は関ヶ原合戦で西軍に属し、大津城攻めに参陣して改易となり山下城は廃城となります☆このタイミングで国見岳城も廃城になったのでしょうね☆

この国見岳城は所謂、物見の砦的な要素と、畝状竪堀群を兼ね備えています♪本城である山下城より東側に立地する為、先に囮となり、本城・山下城を逃れさせる為の時間稼ぎにも使えそうな城郭だと感じました♪
また、眼下には筑紫平野が広がります♪
景色がバッチリ見える城郭は気持ちいい〜♪

2023年06月17日 龍馬備中守【】
山下城[福島城  周辺城郭]



福岡県の八女市にある【山下城】♪山下城は白木川が矢部川に合流する地点の南側の山陵地帯の前線部、標高141mの山頂に立地します♪江戸時代の地誌では山下国見岳城と、1つの城郭として記載されていますが、実際には2つの城郭(山下城・国見岳城)が存在しています♪

この地の国衆・蒲池氏の一族、蒲池城城主・蒲池志摩守鑑廣が山下城を築き、3代にわたり居城としました♪山下城を居城とした、この蒲池氏は柳河城城主・蒲池治久の次男、蒲池親広が永正年間(1504年〜1521年頃)に大友親治より上妻郡に五百四十町の所領を得て別家を興して山下村に移った事で、子の蒲池志摩守鑑廣の代に山下城を築城したと伝わります♪

天正6年(1578年)大友宗麟が耳川合戦で島津氏に敗れると、柳河城城主・蒲池鎮並は龍造寺氏に属しています♪天正7年(1579年)龍造寺氏が筑後に侵攻すると、鷹尾城城主・田尻鑑種が降伏するなど、筑後の大友方の諸将が次々に龍造寺氏に切り崩されていく中、蒲池志摩守鑑廣は山下城に籠城して抵抗しました☆しかし大友氏の援軍は無く、龍造寺氏に降っています☆その後の山下城は、筑紫広門の持ち城として機能しています☆
この筑紫広門は島津氏が九州北上制覇を狙った進軍の際に、勝尾城でバチバチやり合っています☆その際落城に追い込まれ、筑紫広門は大善寺に幽閉されていますが、天正15年(1587年)豊臣秀吉の九州征伐後、北部九州より島津氏が撤退すると筑紫広門はすぐさま勝尾城を奪還しています☆
この功績によって筑紫広門は秀吉より筑後国上妻郡に 18000石を賜り、山下城を居城としました♪この筑紫広門は関ヶ原合戦で西軍に属し、大津城攻めに参陣して改易となり山下城は廃城となります☆

現在は果樹園になっていますが、削平地、堀切、大土塁とその遺構を残します♪小田城、禅院城とはほぼ横並びの山間に立地し、白木川を挟んだ対岸には支城・国見岳城があります♪蒲池氏の山城♪メチャクチャレアな城郭が見れて嬉しくなりました♪

2021年09月07日 ヒデタカ筑前守
辰巳櫓・水堀・土塁跡[福島城  遺構・復元物]

福島八幡宮に土塁の跡や水堀が一部残っています。辰巳櫓は社殿の辺りのようです。

2021年06月27日 龍馬備中守【】
知徳城[福島城  周辺城郭]



福岡県の八女郡にある【筑後・知徳城】♪小学校の背後の山上に城郭は形成されています☆

知徳城は築城者や築城年代は不明です☆
戦国時代には蒲池鑑広の家臣・一条和泉守の居城でした☆蒲池氏は大友氏の配下でしたが大友氏が「耳川の戦い」で島津氏に大敗し急激に勢力が衰えると肥前の龍造寺隆信が筑後へ勢力を伸ばす様になり蒲池氏は龍造寺氏の傘下に入ります☆だだ…蒲池鑑広は龍造寺隆信に反旗を翻すと龍造寺隆信の家臣・横岳頼次が蒲池鑑広が守る山下城を攻める際に知徳城へも攻め寄せました☆こうして徐々に筑後を切り崩していった龍造寺隆信です☆
軍勢に囲まれた、ここ筑後・知徳城☆圧倒的不利な戦況の中…一条和泉守は奮闘しましたが知徳城は落城☆それ以降に廃城になったと伝わります☆

小学校の東側の丘陵に築かれてます☆西側の中腹には熊野神社が祀られていて雰囲気を醸し出します☆山上には方形の平地があり、低土塁が残ります♪南側には堀切か横堀状の遺構が残っています☆

2020年09月07日 こにゃんこでも武将
福島城

福島城なのに八女公園となりました。周りは市役所、裁判所、警察署に囲まれています。図書館に車を止めてさっそくリア攻。の前に福島城下の変遷を学んで攻めるのも一興かと。白壁の町並みと八女茶を喫しつつ水琴窟の調もぜひ。

2015年08月23日 虎御前肥前守
福島城

八女公園となっています。櫓台跡、堀割跡、めがね橋があります。西鉄バス福島下車徒歩10分くらいでした。

2011年10月15日 筑後守もんど
福島城

新しく整備されました

福島城の周辺スポット情報

 辰巳櫓・水堀・土塁跡(遺構・復元物)

 文化池(八幡濠)の由来(碑・説明板)

 知徳城(周辺城郭)

 山下城(周辺城郭)

 国見岳城(周辺城郭)

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