山下城
山下城([福島城 周辺城郭])
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山下城の口コミ情報
2023年06月17日 龍馬備中守【】
福岡県の八女市にある【山下城】♪山下城は白木川が矢部川に合流する地点の南側の山陵地帯の前線部、標高141mの山頂に立地します♪江戸時代の地誌では山下国見岳城と、1つの城郭として記載されていますが、実際には2つの城郭(山下城・国見岳城)が存在しています♪
この地の国衆・蒲池氏の一族、蒲池城城主・蒲池志摩守鑑廣が山下城を築き、3代にわたり居城としました♪山下城を居城とした、この蒲池氏は柳河城城主・蒲池治久の次男、蒲池親広が永正年間(1504年〜1521年頃)に大友親治より上妻郡に五百四十町の所領を得て別家を興して山下村に移った事で、子の蒲池志摩守鑑廣の代に山下城を築城したと伝わります♪
天正6年(1578年)大友宗麟が耳川合戦で島津氏に敗れると、柳河城城主・蒲池鎮並は龍造寺氏に属しています♪天正7年(1579年)龍造寺氏が筑後に侵攻すると、鷹尾城城主・田尻鑑種が降伏するなど、筑後の大友方の諸将が次々に龍造寺氏に切り崩されていく中、蒲池志摩守鑑廣は山下城に籠城して抵抗しました☆しかし大友氏の援軍は無く、龍造寺氏に降っています☆その後の山下城は、筑紫広門の持ち城として機能しています☆
この筑紫広門は島津氏が九州北上制覇を狙った進軍の際に、勝尾城でバチバチやり合っています☆その際落城に追い込まれ、筑紫広門は大善寺に幽閉されていますが、天正15年(1587年)豊臣秀吉の九州征伐後、北部九州より島津氏が撤退すると筑紫広門はすぐさま勝尾城を奪還しています☆
この功績によって筑紫広門は秀吉より筑後国上妻郡に 18000石を賜り、山下城を居城としました♪この筑紫広門は関ヶ原合戦で西軍に属し、大津城攻めに参陣して改易となり山下城は廃城となります☆
現在は果樹園になっていますが、削平地、堀切、大土塁とその遺構を残します♪小田城、禅院城とはほぼ横並びの山間に立地し、白木川を挟んだ対岸には支城・国見岳城があります♪蒲池氏の山城♪メチャクチャレアな城郭が見れて嬉しくなりました♪