国見岳城

国見岳城([福島城  周辺城郭])

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国見岳城の口コミ情報

2023年06月18日 龍馬備中守【】


福岡県の八女市にある【国見岳城】♪南筑後の河川、矢部川と白木川が合流し、山下城とは対岸♪独立丘陵地上(標高104m)に立地した国見岳城♪通称・城山は戦国時代の国人領主・蒲池氏の山下城を取り巻く重要な城郭の1城となります♪

この地の国衆・蒲池氏の一族、蒲池城城主・蒲池志摩守鑑廣が山下城(本城)を築き、3代にわたり居城としました♪山下城を居城としたこの蒲池氏は、柳河城城主・蒲池治久の次男、蒲池親広が永正年間(1504年〜1521年頃)に大友親治より上妻郡に五百四十町の所領を得て別家を興して山下村に移った事で、子の蒲池志摩守鑑廣の代に山下城を築城したと伝わっています♪

天正6年(1578年)大友宗麟が耳川合戦で島津氏に敗れると、柳河城城主・蒲池鎮並は龍造寺氏に属しています♪天正7年(1579年)龍造寺氏が筑後に侵攻すると、鷹尾城城主・田尻鑑種が降伏するなど、筑後の大友方の諸将が次々に龍造寺氏に切り崩されていく中、蒲池志摩守鑑廣は山下城に籠城して抵抗しました☆しかし大友氏の援軍は無く、龍造寺氏に降っています☆この際に国見岳城も機能したのでしょう☆畝状竪堀群がソレを物語ります♪

その後の山下城は、筑紫広門の持ち城として機能しています☆
この筑紫広門は島津氏が九州北上制覇を狙った進軍の際に、勝尾城でバチバチやり合っています☆その際落城に追い込まれ、筑紫広門は大善寺に幽閉されていますが、天正15年(1587年)豊臣秀吉の九州征伐後、北部九州より島津氏が撤退すると筑紫広門はすぐさま勝尾城を奪還しています☆
この功績によって筑紫広門は秀吉より筑後国上妻郡に 18000石を賜り、山下城を居城としました☆この筑紫広門は関ヶ原合戦で西軍に属し、大津城攻めに参陣して改易となり山下城は廃城となります☆このタイミングで国見岳城も廃城になったのでしょうね☆

この国見岳城は所謂、物見の砦的な要素と、畝状竪堀群を兼ね備えています♪本城である山下城より東側に立地する為、先に囮となり、本城・山下城を逃れさせる為の時間稼ぎにも使えそうな城郭だと感じました♪
また、眼下には筑紫平野が広がります♪
景色がバッチリ見える城郭は気持ちいい〜♪

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