六反城
六反城([大間城 周辺城郭])
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六反城の口コミ情報
2024年01月28日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
熊本県の荒尾市にある【六反城(浄業寺・小代氏墓所、菩提寺)】♪六反城には遺構は残りません♪字名として、『本丸』『二の丸』『三の丸』『馬場辻』『屋敷下』などを残し、城跡だった事を感じさせてくれます♪
現在、城郭と伝わる所は地形地図で見る限り高台になっております♪後世の改変は大いにあるでしょうし、国道208号線が貫通しており、往時の状況は今は知ることはできません☆ただ、高台にはなっています♪
さて、この六反城の築城年、城主共に不明となります☆但し城郭範囲と予測される宮内出目エリアには浄業寺があります♪この浄業寺は、肥後国人領主であり筒ヶ岳城主の小代氏の菩提寺と伝わっています♪
この地に菩提寺があるという事は、ここは小代氏に属する城郭だったのでしょう♪宝治元年(1247年)地頭として、玉名郡は野原庄に下向した小代重俊が始まりとなります♪
小代重俊は、浄業寺を創建しています♪この小代一族は武蔵七党児玉氏の支流です♪北条氏が三浦氏を滅ぼした宝治合戦での功により、肥後玉名郡野原荘の地頭職に任じられ、その後、蒙古襲来に備え領地肥後国へ赴きます♪
秀吉が統一した後、佐々成政による検地に反発した『肥後の国人一揆』で肥後の国人層の多くは滅亡・帰農しますが、小代下総守親泰は、その時に大坂にいて国人一揆に参加しなかった為にこの難を逃れ、その後は加藤清正の与力となり、4千石強の家臣となり家名を近世に残しています♪小代下総守親泰は名古屋城築城の際に加藤清正に付き従い、天守の石垣を担当していて、小代下総の刻印の石垣を残しています♪
因みに浄業寺には、何と♪源氏3代の供養塔もあります♪※源頼朝、実朝、頼家のモノと伝わる♪肥後で地頭になった後も古塔碑群の中に供養塔を建てるということは、小代氏はよほど源家に恩義を感じていたのでしょうね〜♪