甘木城

甘木城([大間城  周辺城郭])

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甘木城の口コミ情報

2024年06月19日 龍馬太閤【備中の麒麟児】


福岡県の大牟田市の甘木にある【甘木城】♪甘木山から伸びた微丘陵地に城郭は立地しました♪現在は私有地となっていて、立ち入りは出来ていません。が、遠くからもその高まりを見る事が出来て、城郭を感じる事が出来ます♪

銀水川の中流域に立地する甘木の地名の由来は海洋漁労民族の集団である海部に因むと三池郡田隈組村誌は伝えます♪甘木には望谷古墳・根深谷古墳・甘木山古墳群があり、古くから人々の生活があった事を物語ります♪
建武年間に甘木紀伊守が甘木城を築城したと伝わります♪

甘木村は鎌倉期から戦国期に見える村名です♪筑後国三池郡の内で建長2年(1250年)関東下文では上総国の御家人・深堀左衛門射能仲が、承久の乱勲功の替地として筑後国三池荘北郷甘木村東西・同深浦村の地頭職に補任されています♪結局は深堀氏の甘木村の支配は永続せずに、建長7年(1255年)関東下文により、深堀左衛門射能仲は肥前国戸八浦の地頭職に改補されています♪

南北朝期には松浦党波多有浦氏の所領となっていますが、波多有浦大和守祝、討死の後に甥の次郎三郎与と女子・代寿との間に相論があって康応元年(1389年)今川臣により地頭職が千代寿に沙汰付されています。南北朝期は、波多有浦氏の所領となっています♪

戦国期には、はじめ在地領主である三池氏の所領であったと思われるが、天正9年(1581年)柳川の蒲池鎮漣を討った事への行賞として龍造寺隆信は田尻鑑種に与えた村々の内に甘木13町が含まれていて、その時まで甘木村が蒲池氏の知行地でありました♪これは、天文19年(1550年)在地領主であり、筑後の多良木衆とも呼ばれた三池親員が菊池義武と結び大友家に背いた際に田尻氏と共に親員討伐に功のあった蒲池鎮漣の父・蒲池鑑盛が菊池氏から賜っていたものでしょう♪天正15年(1587年)秀吉による大名配置後は高橋統増(立花直次)の知行地になっています。

背後の甘木山には甘木山古墳群が残ります♪
甘木山から見る甘木城、三池山城、更には大牟田市内、遠く有明海と眺望が広がります♪
甘木城の現在は私有地となり望遠のみです。立ち入り出来ていない為に内容不明です。甘木山から伸びる微丘陵地に城郭は立地しました。南側の白銀川は天然の濠をなした事でしょう♪

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