長嶺城(ながみねじょう)

長嶺城の基本情報

通称・別名

神園山城

所在地

熊本県熊本市東区神園1

旧国名

肥後国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

不明

築城年

不明

主な改修者

主な城主

不明

廃城年

遺構

曲輪、土塁、堀切

指定文化財

再建造物

説明板

周辺の城

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長嶺城の解説文

長嶺城(ながみねじょう)は、熊本県熊本市東区神園にあった城である。

歴史 

築城年、築城主ともに不明だが、中世の山城で、“筑後の守”と呼ばれる人物が城主であったという。

城域は狭く簡素な縄張りではあるが、長嶺城が築かれた神園(こうぞの)山は熊本平野のほぼ中央に位置する独立峰であり、山頂からは四方を見渡せることから、監視用の砦として機能していたと考えられる。

なお、神園山から谷を隔てた東側に位置する小山山にも小山城跡があり、両者が連携して使用されていたと見ることもできる。

遺構 

標高約180mの神園山の山頂部が主郭である。山頂へは県民総合運動公園側から3本の散策路が整備されており、山頂までの車道も通じている。

現在、展望所が建てられている場所が主郭で、周囲より一段高い土壇状になっている。東縁から南縁にかけては土塁が残存する。

主郭から東西方向へは尾根筋が伸びており、東側は小規模な削平地の先に堀切が切られ、その約40m先にさらに1条の堀切が見られる。西側の尾根上にも堀切が切られており、東側のものよりも規模が大きい。

交通 

・JR九州豊肥本線光の森駅から徒歩約30分で散策路入口

参考文献 

・『新熊本市史』新熊本市史編纂委員会、2003年。
・『日本城郭大系 第18巻』新人物往来社、1980年。
・現地説明板。

長嶺城の口コミ情報

2025年11月16日 龍馬備中守【】
小山城[長嶺城  周辺城郭]



熊本県熊本市東区の神園にある【小山城】♪
小山山の標高189mに立地する城郭は、城めぐりにある長嶺城の南東側、直線600mの位置に存在します。白川左岸南東方で託麻台地の北部に位置し、長嶺城同様に熊本平野が360度見渡せます。地名は御山の意で、山の尊称と考えられていますが未詳です。小山城の南麓にある楳谷寺より出土の、正平10年・文安3年の五輪塔の残片、天文7年の楳谷寺宝篋印塔、正平12年の諏訪神社彫刻塔婆や、国分寺の平瓦・丸瓦を出土する小山窯跡などがあります。その他には中世の御船塚遺跡、縄文から弥生時代の遺跡である中原道明遺跡・小山上遺跡・中山遺跡などが地内に残ります。

この小山城跡は早岐一族の居城と伝わりますが、築城年など不明です。近隣にある、長嶺城の支城群とは思われます。

小山は小山郷として鎌倉期から見える郷名です。託麻郡六箇荘の内となります。小山村ともあり、建保4年(1213年〜1219年)将軍家政所下文案(詫摩文書)に『肥後国六箇庄小山村住人』とあり、源業政が当村の地頭職に補任されています。以降の安貞2年(1228年)から亀若殿母御前が小山の地頭代職となり寛喜3年(1231年)には沙弥蓮念から女子天女御前へ、延応元年(1239年)には『源のてこぐま』なる者に譲与され、その後は早岐盛実に譲られ、建長3年(1251年)には源清基に渡っています。源清基は早岐清基(法名正心)を名乗り、正和3年(1314年)には、これを子息の太郎入道正円に譲りました。しかしこれを悔い、今度は孫の菊池九郎隆信を養子として譲与します。同じ頃、地頭・早岐清基代隆信と六箇荘惣追捕使給主水・原孫四郎宜孝代行信との間に相論が起こっています。
正和5年(1316年)の関東下知状案によれば『肥後国六箇庄小山郷』と見え、惣追捕使権が当地に及ぶか否かをめぐって争われていますが、早岐隆信方の新恩地である当地は権限外である、という主張により、和解が成立しています。
一方地頭職は、南北朝期に入り、康永2年(1343年)早岐隆信の子・武宗から養子の詫磨孫一丸能勝に譲与されています。しかし康永3年には、当村地頭職3分の1と『おやまのやしき六かしよ、幷ちんのまへのはらよりミなミ、おなしき田地四丁五反』を正円の子・早岐六郎九郎秀政の訴えにより和与するも、早岐武宗はこれを認めず、貞和4年足利直義下文によると、足利直義方に参与した事で、当村地頭職を安堵されています。
早岐氏の安堵状はもう少しありましたが、こんな所でしょうか。目まぐるしく変わる変わる、領主層でありました。鎌倉時代から南北朝時代頃の話でした。

小山山の山頂には堀切が見られ、山麓には居屋敷・馬場前の地名が残っていて、コレは小山城にちなんだものと伝えられます。
また、天正9年に島津軍が合志郡の今石城を攻めた時の屯所であったとも云われます。

2022年06月18日 笑門来猫
清正公 馬場楠井手の鼻ぐり[長嶺城  遺構・復元物]



戦国大名 加藤清正が整備した用水路。土砂の堆積を防ぐために、水が渦を巻く特殊な流路構造 鼻ぐり が特徴的。現代でも現役で使われる素晴らしい遺構ということで、世界かんがい施設遺産に認定。ブラタモリ熊本編でも紹介されていました。

長嶺城の周辺スポット情報

 清正公 馬場楠井手の鼻ぐり(遺構・復元物)

 堀切(遺構・復元物)

 小山城(周辺城郭)

 駐車スペース(駐車場)

 神園山展望台(関連施設)

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