堂崎城(どうざきじょう)

堂崎城の基本情報

通称・別名

所在地

鹿児島県出水郡長島町城川内御城内

旧国名

薩摩国

分類・構造

海城

天守構造

築城主

長島氏

築城年

南北朝時代

主な改修者

主な城主

長島氏、天草氏、薩州島津氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁

指定文化財

町史跡(堂崎城跡)

再建造物

周辺の城

久玉城(熊本県天草市)[11.6km]
木牟礼城(鹿児島県出水市)[16.0km]
阿久根城(鹿児島県阿久根市)[18.2km]
河内浦城(熊本県天草市)[20.9km]
出水城(鹿児島県出水市)[24.7km]
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鶴が岡城(鹿児島県薩摩川内市)[36.5km]
棚底城(熊本県天草市)[36.7km]

堂崎城の解説文



堂崎城(どうざきじょう)は、鹿児島県長島町城川内(じょうかわうち)にあった日本の城。

概要 

城跡は東シナ海に面した堂崎鼻に所在しており、周辺には御城内・榎ノ丸・内馬場・本馬場・仮屋ノ上など当城に関連する地名が残っている。

歴史・沿革 

元々は鎌倉時代から長島を支配した長島氏の居城である。長島氏は大蔵氏の一族であり、中世肥後国天草地方で勢力があった天草八氏の一に数えられていた。

室町時代末期になると肥後人吉の相良氏が長島に勢力を伸ばし始め、天文23年(1554年)7月、圧力に耐えかねた城主長島鎮真は当城を放棄し、薩州島津家を頼って出水に逃れた。その後、相良氏は本渡城主である天草尚種の弟天草越前正を当城に入れた。

永禄8年(1565年)薩州島津家第6代当主島津義虎は、叔父の島津忠兼に長島攻略を命じ、島津忠兼の率いる軍勢は3月23日に渡海して翌3月24日に当城は落城した。以後、長島は薩州島津家の領有となった。

なお、落城後は島津忠兼が居城としたが、落城から約3か月後の7月8日、讒訴により島津義虎から誅殺された。城跡にある若宮神社は島津忠兼を祭っている。

明暦3年(1657年)に長島郷が出水郷から分かれ、地頭仮屋が鷹巣に移されるまで、当地が長島の中心地であった。

参考文献 

  • 『日本歴史地名大系 47 鹿児島県の地名』(平凡社、平成10年)ISBN 978-4582910544
  • 川崎大十著『「さつま」の姓氏』(高城書房、平成12年)ISBN 978-4924752962

堂崎城の口コミ情報

2023年11月24日 KOKO.H
堂崎城



「出丸」と彫られている。子供会の皆さんが設置。ありがたいことである。

2023年07月24日 ジョカ備中守P
堂崎城



波打ち際の音や潮の香りが漂い、まさに「海城」であることを実感できます。

2023年06月17日 薩摩大隅守義弘維新斎
堂崎城



堂崎城へは長島町の海沿いにあるため、もちろん車での移動をオススメ。長島町立城河内小学校近くの田畑を通り抜けると堂崎若宮神社があり、そこが嘗ての堂崎城址。登城口には、城の案内板が設置されており、登城口の石段が現存していてお城感が漂ってます。また、微かに土塁が現存し、そこを進むと本丸跡(若宮神社)が。よくよく周辺を注意深く見ると城跡は海に囲まれており、ここが海城とよく分かります。

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