鶴が岡城(つるがおかじょう)

鶴が岡城の基本情報

通称・別名

鶴ヶ岡城、東郷城、[本丸、国見城、川原城、高城、二の丸、山崎城、南城]

所在地

鹿児島県薩摩川内市東郷町斧渕三ヶ郷

旧国名

薩摩国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

東郷実重

築城年

宝治2年(1248)

主な改修者

主な城主

東郷氏、宮之城島津氏

廃城年

天正15年(1587)

遺構

曲輪、堀切

指定文化財

再建造物

説明板

周辺の城

平佐城(鹿児島県薩摩川内市)[6.9km]
虎居城(鹿児島県薩摩郡)[11.2km]
清色城(鹿児島県薩摩川内市)[11.7km]
串木野城(鹿児島県いちき串木野市)[16.9km]
阿久根城(鹿児島県阿久根市)[18.3km]
出水城(鹿児島県出水市)[22.1km]
市来鶴丸城(鹿児島県日置市)[23.5km]
木牟礼城(鹿児島県出水市)[24.0km]
郡山城(鹿児島県鹿児島市)[25.0km]
蒲生城(鹿児島県姶良市)[26.6km]

鶴が岡城の口コミ情報

2024年01月22日 久松胆振守西門左衛門️
案内板[鶴が岡城  碑・説明板]



かなり広い城域を持っていたことが記されています。

2023年02月20日 龍馬備中守【】
斧渕城[鶴が岡城  周辺城郭]



鹿児島県の薩摩川内市にある【斧渕城】♪鶴が岡城が出来る前のこのエリアの中心地は斧渕城でした♪後の斧渕城は鶴が岡城の支城群の1城だと思われます♪但し、城の造りは古く、別名を古城とも呼び、鶴が岡城が確立されていく中でその機能を失っていったのかもしれません♪現に、鶴が岡城は新城とも呼ばれています♪南には川内川、西には樋渡川、更には斧渕城の丘陵の直下には名もなき水脈が流れます♪

高城郡をはじめ日置郡や薩摩郡などの島津荘の寄郡・没官御領の地頭となっていた源頼朝の家臣・千葉氏の千葉常胤は、壇ノ浦の戦いでの平家の滅亡後も、九州に留まって戦後処理にあたっています☆
その結果、所領として豊前国上毛郡成恒名、肥前国小城郡と薩摩国島津庄寄郡(今の鹿児島県薩摩川内市)大隅国菱刈郡入山村等を賜っています♪
鎌倉殿を見ていないのでよく分からないんですが、源頼朝の家臣・千葉常胤も出てたんじゃないかなぁ〜❓と思います☆
この千葉常胤は後に薩摩国島津庄寄郡での権力を失い国司制の衰退と共に大前氏が台頭し、斧渕城は大前道友が築城をしています♪
この大前氏もまた相模国・渋谷氏の血脈一族です♪
大前氏は平安時代末期から南北朝時代にかけて313年間にわたり東郷別符・高城郡・薩摩郡・祁答院・伊集院・入来院・甑島等を統治しました☆
現在では大前氏の供養塔と伝わる塔が斧渕城跡に残っています♪これは『古城殿石塔』として薩摩川内市の指定文化財になってます☆
大前氏は室町時代の正平8年(1353年)に田海の車内に居城していた相模国・渋谷氏の末裔、車内氏が東郷を統一し、その後、斧渕の鶴が岡城に転居した車内氏の子孫が東郷氏を名乗っています☆以降は東郷氏が所領として支配しました♪
大前氏の一族は東郷氏、入来院氏の家臣になったと伝わっています♪

後には宮之城島津家が所領する斧渕ですが、江戸時代には外城である東郷に置かれた地頭仮屋の周辺に麓集落が形成されています♪斧渕の南端を流れる川内川沿いには舟倉町と呼ばれる商人町が形成され賑わいを見せた様です♪

2020年12月05日 榎晴信肥後守
鶴が岡城



新しく案内板が設置されてました。
本丸跡へは倒竹、倒木があり道も不明瞭ですが高い土塁がよく残っておりました。

鶴が岡城の周辺スポット情報

 登城口(碑・説明板)

 案内板(碑・説明板)

 斧渕城(周辺城郭)

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