平佐城(ひらさじょう)

平佐城の基本情報

通称・別名

諏訪之尾城

所在地

鹿児島県薩摩川内市平佐町藤崎他

旧国名

薩摩国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

薩摩氏

築城年

鎌倉時代後期

主な改修者

主な城主

薩摩氏、入来院氏、桂忠昉(島津氏家臣)

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

石碑

周辺の城

鶴が岡城(鹿児島県薩摩川内市)[6.9km]
串木野城(鹿児島県いちき串木野市)[10.0km]
清色城(鹿児島県薩摩川内市)[10.7km]
虎居城(鹿児島県薩摩郡)[16.1km]
市来鶴丸城(鹿児島県日置市)[17.1km]
郡山城(鹿児島県鹿児島市)[20.7km]
一宇治城(鹿児島県日置市)[21.4km]
阿久根城(鹿児島県阿久根市)[23.5km]
小山田城(鹿児島県鹿児島市)[24.0km]
蒲生城(鹿児島県姶良市)[25.5km]

平佐城の口コミ情報

2023年02月26日 龍馬備中守【】
百次城[平佐城  周辺城郭]



鹿児島県の薩摩川内市にある【百次城】♪別名を上野城、岩田ヶ城とも呼びます♪百次川と平佐川が合流する平野部、南東部側で南北に細長い舌状台地上に城郭は立地します♪現在は、上野、和田と2つの集落が往時の城域だと思われます♪

この百次城は鎌倉時代の末頃に上野氏によって築かれたと云われています☆この頃は上野城と呼ばれていました☆上野氏は、薩摩郡司である薩摩太郎忠友の弟・薩摩忠宗を祖とし、後に上野姓を名乗りました♪南北朝時代の建武4年、市来合戦では島津氏に従い上野良国が出陣しています☆

百次という地名は古くは戦国期より出てきて薩摩国薩摩郡の内でした♪天文5年(1536年)島津勝久から入来院重聡への宛行状に『薩摩国千台郡之内百次城所領之事』とあるのが初見であると考えられています♪

その後、上野氏は没落していく訳ですが、続いてこのエリアを統治した島津総州家もまた衰退☆応永年間以後は入来院氏の所領となります☆戦国時代になると大永6年(1526年)に薩州家・島津実久がこの地を占拠し家臣・山崎成智に守備させています☆

その後も入来院氏(入来重聡)に何度も攻撃を受けていて天文8年(1537年)遂に陥落し再び入来院氏が占領☆この頃呼ばれていた岩田ヶ城は百次城と呼称される様になります☆元亀元年に入来院氏は百次と共に平佐、高江、宮里、天辰、碇山の領を島津氏に献納しています☆

城郭の南側には上野氏関係石塔群、宝塔・宝篋印塔など残っています☆北に大手、南に搦手、南北に走る道路は元空堀です☆これと東西に走る二条の空堀によって四郭に分かれていた様です☆更に百次城時代の元亀元年(1570年)冠嶽で島津家久と戦って討ち死にした入来院淡路守と善応寺の僧古月の供養塔が残っていました☆

2023年02月24日 龍馬備中守【】
碇山城[平佐城  周辺城郭]



鹿児島県の薩摩川内市にある【碇山城】♪南流する川内川の右岸、平野部の丘陵地に城郭は存在しました♪現在、宅地開発により、周辺は大分、様変わりをしています☆

別名を井苅山城と呼ばれます♪
碇山城の築城年代は不明ですが南北朝時代頃に島津忠久によって築城されたと伝わります♪島津忠久は当時、薩摩・大隅・日向の三国守護で木牟礼城に置いていた守護所をココ碇山城に移しました♪島津忠久からの5代目・島津貞久は所領を二子に分与し、惣領の三男の島津師久に薩摩守護職(島津総州家)四男の島津氏久(島津奥州家)に大隈守護職を与え、島津師久は川内の碇山城に新たに守護所としています♪

更に南北朝時代には南朝方の渋谷氏の軍勢が足利尊氏方の北朝・島津氏の籠る碇山城へ攻撃☆が、籠城戦を展開した島津氏を攻め落とす事は出来ませんでした☆更に更に再び南朝方は碇山城に攻め入っていますが、この時も落城させる事が出来なかったと伝えられています☆

今は宅地になっていて、石碑が残っています☆今でこそ、遺構は分からなくなってしまっていますが、木牟礼城から守護所を移した碇山城は聞きしに勝る城郭だった事でしょう♪ロマンを感じちゃいます♪

2023年02月23日 龍馬備中守【】
二福城[平佐城  周辺城郭]



鹿児島県の薩摩川内市にある【二福城】は別名を隈之城とも呼びます♪今は住宅地の中に微丘陵地(標高10m程度)と石柱しか残っていません♪北流する隈之城川(東)勝目川(中央)、百次川(西)と3つの河川が合流する地点で、隈之城川がカーブする微丘陵地に城郭は存在しました♪二福城に添う様に流れる隈之城川は天然の堀となります☆

築城年代は不明ですが建久年間(1190年〜1199年)頃に薩摩郡司・薩摩太郎忠友の居城と伝わります☆

その後は島津総州家4代目の島津久世と叔父の島津山城守忠朝とが対立する島津奥州家8代目・島津久豊、更には、これに対立する伊集院頼久との間に戦いが続きます☆
応永24年(1417年)に島津久世が没すると島津久豊と島津総州家の島津頼久は川辺の平山城での戦いを経て和解☆厳密には降伏させています☆次に島津久豊の矛先は島津山城守忠朝に刃が向きます☆
往時、永利城主の島津山城守忠朝は島津奥州家の島津久豊・入来院重長・市来家親らに攻められ永利城は落城☆二福城へ退いたと伝わります☆この二福城へ退いた島津山城守忠朝は二福城を拠点にしてその後、一度は防ぎました☆が、応永28年(1421年)には遂には二福城も落城し島津総州家、島津山城守忠朝は島津奥州家・島津久豊に下っています☆

その後は入来院氏の所領になり入来院重聡は二福城を拠点として動いています☆

室町時代には碇山城を本城とした島津総州家(島津家6代目の島津師久)が領地していたと思われます☆

戦国期の元亀元年(1570年)渋谷一族の入来院氏や東郷氏など島津氏に抵抗していた諸勢力は伊作島津家・島津義久に降り、広大な勢力を持っていた入来院氏も入来院の清色城のみを安堵されています☆その後、島津義久の弟・島津家久が隈之城地頭職として二福城を拠点にしたと伝わります☆

その後の二福城は伊作・島津氏領になっていきます☆江戸時代は島津直轄地で、地頭仮屋は当初、二福城の麓におかれ周辺に麓(外城制度)が作られましたが、地頭仮屋は後の慶長年間には川内川に接する向田に移っています☆が、後に一国一城令により廃城になっています☆

2023年02月16日 龍馬備中守【】
平佐城本丸跡(竈門神社)[平佐城  寺社・史跡]



鹿児島県の薩摩川内市にある【平佐城】♪城郭詳細が無いので入れておきます♪川内駅の南側のシラス低丘陵地に、かつて城郭は存在しました♪現在は住宅地になっており、怪しい箇所はあったものの遺構はありません☆高まる台地のみが城郭を感じる事が出来る部分です☆別名を諏訪之尾城とも呼ばれています☆

築城年代は不明ではありますが、鎌倉末期に薩摩氏によって築かれたと伝わります♪
歴史の舞台に記録されているものとして、応永14年(1407年)総州島津家6代目当主・島津師久の次男である島津伊久は、川辺の平山城を伊集院順久に追われていて島津伊久の子・忠朝が拠点としていた平佐城に逃れ没したという事が残っています♪
その直後に奥州島津家の7代目当主・島津元久に攻められこの城は放棄され時を過ごします☆
その後、機能していたのかな❓天文元年(1532年)に入来院重朝が攻略していて一時居城としました☆永禄12年(1569年)に入来院氏が島津氏に降伏すると平佐城は島津氏の城郭になっています♪

薩摩内にも動乱の嵐が吹き荒れました☆平佐城も例外では無く平佐元城主・入来院氏、更には東郷氏が島津氏に降ると島津義久の直轄地になっています

豊臣秀吉の九州征伐の際、平佐城には地頭・桂忠昉が在中していて、300人が籠城し奮戦☆豊臣軍8500人の軍勢を相手に良く善戦した城郭としても有名な城郭です☆

江戸時代には平佐北郷家の私領地となっています☆この北郷氏は島津家4代目、島津忠宗の子・資忠を祖とする家で都城を拠点としていましたが、10代目・島津時久が文禄4年(1595年)都城から宮之城に移された際、三男・島津三久は平佐の地に来ていて平佐北郷家の初代になっています☆平佐城のある平佐村と隣接する天辰村とを合わせて平佐郷となし、平佐北郷家の私領地となりました☆江戸時代平佐城の 二之丸跡に平佐北郷家の領主仮屋が置かれていて、コレは現在の平佐西小学校にあたります☆諏訪神社辺り迄が城郭だった様です☆

2022年09月18日 Yana中務大輔
平佐城



わかりづらいですが、線路沿いの一方通行を曲がった小学校のなかに石碑があります。

2020年10月09日 ( *¯ ³¯)っ旦
平佐城

新幹線も停まる駅で、駅からも徒歩5分くらいですが、小学校なのであまりうろうろしたり、中を覗いたりしていると警察を呼ばれるかもしれません。
小学校を囲む石垣もほとんどか全てが遺構では無いと思われます。

2020年08月07日 zundare7
平佐城

秀吉が平佐城を攻めた時、城の北側の田んぼに土を撒き偽装し、騙された秀吉側は700人以上の犠牲者を出したらしいです。

2020年03月15日 平佐薩摩守正重
平佐城



現在の川内駅辺りが三ノ丸
平佐西小学校付近が二ノ丸
竜門神社付近が本丸だった様です。

2010年09月27日 森武蔵守長可
平佐城

川内駅のすぐ近くにあります。今は小学校になっているようです。隣に平佐城という温泉があります。

平佐城の周辺スポット情報

 二福城(周辺城郭)

 碇山城(周辺城郭)

 百次城(周辺城郭)

 平佐城本丸跡(竈門神社)(寺社・史跡)

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore