平佐城(ひらさじょう)

平佐城の基本情報

通称・別名

諏訪之尾城

所在地

鹿児島県薩摩川内市平佐町藤崎他

旧国名

薩摩国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

薩摩氏

築城年

鎌倉時代後期

主な改修者

主な城主

薩摩氏、入来院氏、桂忠昉(島津氏家臣)

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

石碑

周辺の城

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平佐城の解説文

平佐城(ひらさじょう)は、平佐町字藤崎・寄持・八幡馬場・庵ノ城などにわたる。平佐西小学校や川内駅などを含む一帯に位置する。

沿革
建久年間(1190頃)薩摩郡本郡司薩摩太郎忠友が居城。忠友-忠持-忠国-忠任-忠氏、その後は系図に見えない。(『薩隅日三州他家古城主来由記』)

総州家島津伊久(応永14年=1407、平佐城にて没)の子忠朝が居城していたが、奥州家島津元久と戦い、敗れて永利城に入っている。応永14年である。

歴史
平佐城がもっとも勇名をとどろかせたのは天正15年(1587)であった。当時、平佐の地頭であった桂神祗忠昉は、4月28日豊臣軍とこの城で戦った。手兵300余名、豊軍側9000。この日の戦は激烈を極め、豊軍側を辟易せしめたのである。

その後、平佐地区は北郷氏私領となって明治を迎える。

遺構
川内駅のあたりから北の方へかけてのあたりが平佐城址であるが、全山シラス地帯であるため、どんどん削られて住宅地となり、昔の面影はない。平佐西小学校に「平佐城址」という小さい碑がたっている。

提供:薩摩川内市教育委員会文化課

平佐城の口コミ情報

2020年10月09日 (*¯ ³¯)っ旦
平佐城

新幹線も停まる駅で、駅からも徒歩5分くらいですが、小学校なのであまりうろうろしたり、中を覗いたりしていると警察を呼ばれるかもしれません。
小学校を囲む石垣もほとんどか全てが遺構では無いと思われます。

2020年08月07日 zundare7
平佐城

秀吉が平佐城を攻めた時、城の北側の田んぼに土を撒き偽装し、騙された秀吉側は700人以上の犠牲者を出したらしいです。

2020年03月15日 平佐薩摩守時生
平佐城



現在の川内駅辺りが三ノ丸
平佐西小学校付近が二ノ丸
竜門神社付近が本丸だった様です。

2010年09月27日 森武蔵守長可
平佐城

川内駅のすぐ近くにあります。今は小学校になっているようです。隣に平佐城という温泉があります。

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