平佐城本丸跡(竈門神社)

平佐城本丸跡(竈門神社)([平佐城  寺社・史跡])

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平佐城本丸跡(竈門神社)の口コミ情報

2023年02月16日 龍馬備中守【】


鹿児島県の薩摩川内市にある【平佐城】♪城郭詳細が無いので入れておきます♪川内駅の南側のシラス低丘陵地に、かつて城郭は存在しました♪現在は住宅地になっており、怪しい箇所はあったものの遺構はありません☆高まる台地のみが城郭を感じる事が出来る部分です☆別名を諏訪之尾城とも呼ばれています☆

築城年代は不明ではありますが、鎌倉末期に薩摩氏によって築かれたと伝わります♪
歴史の舞台に記録されているものとして、応永14年(1407年)総州島津家6代目当主・島津師久の次男である島津伊久は、川辺の平山城を伊集院順久に追われていて島津伊久の子・忠朝が拠点としていた平佐城に逃れ没したという事が残っています♪
その直後に奥州島津家の7代目当主・島津元久に攻められこの城は放棄され時を過ごします☆
その後、機能していたのかな❓天文元年(1532年)に入来院重朝が攻略していて一時居城としました☆永禄12年(1569年)に入来院氏が島津氏に降伏すると平佐城は島津氏の城郭になっています♪

薩摩内にも動乱の嵐が吹き荒れました☆平佐城も例外では無く平佐元城主・入来院氏、更には東郷氏が島津氏に降ると島津義久の直轄地になっています

豊臣秀吉の九州征伐の際、平佐城には地頭・桂忠昉が在中していて、300人が籠城し奮戦☆豊臣軍8500人の軍勢を相手に良く善戦した城郭としても有名な城郭です☆

江戸時代には平佐北郷家の私領地となっています☆この北郷氏は島津家4代目、島津忠宗の子・資忠を祖とする家で都城を拠点としていましたが、10代目・島津時久が文禄4年(1595年)都城から宮之城に移された際、三男・島津三久は平佐の地に来ていて平佐北郷家の初代になっています☆平佐城のある平佐村と隣接する天辰村とを合わせて平佐郷となし、平佐北郷家の私領地となりました☆江戸時代平佐城の 二之丸跡に平佐北郷家の領主仮屋が置かれていて、コレは現在の平佐西小学校にあたります☆諏訪神社辺り迄が城郭だった様です☆

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