二福城

二福城([平佐城  周辺城郭])

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二福城の口コミ情報

2023年02月23日 龍馬備中守【感謝】


鹿児島県の薩摩川内市にある【二福城】は別名を隈之城とも呼びます♪今は住宅地の中に微丘陵地(標高10m程度)と石柱しか残っていません♪北流する隈之城川(東)勝目川(中央)、百次川(西)と3つの河川が合流する地点で、隈之城川がカーブする微丘陵地に城郭は存在しました♪二福城に添う様に流れる隈之城川は天然の堀となります☆

築城年代は不明ですが建久年間(1190年〜1199年)頃に薩摩郡司・薩摩太郎忠友の居城と伝わります☆

その後は島津総州家4代目の島津久世と叔父の島津山城守忠朝とが対立する島津奥州家8代目・島津久豊、更には、これに対立する伊集院頼久との間に戦いが続きます☆
応永24年(1417年)に島津久世が没すると島津久豊と島津総州家の島津頼久は川辺の平山城での戦いを経て和解☆厳密には降伏させています☆次に島津久豊の矛先は島津山城守忠朝に刃が向きます☆
往時、永利城主の島津山城守忠朝は島津奥州家の島津久豊・入来院重長・市来家親らに攻められ永利城は落城☆二福城へ退いたと伝わります☆この二福城へ退いた島津山城守忠朝は二福城を拠点にしてその後、一度は防ぎました☆が、応永28年(1421年)には遂には二福城も落城し島津総州家、島津山城守忠朝は島津奥州家・島津久豊に下っています☆

その後は入来院氏の所領になり入来院重聡は二福城を拠点として動いています☆

室町時代には碇山城を本城とした島津総州家(島津家6代目の島津師久)が領地していたと思われます☆

戦国期の元亀元年(1570年)渋谷一族の入来院氏や東郷氏など島津氏に抵抗していた諸勢力は伊作島津家・島津義久に降り、広大な勢力を持っていた入来院氏も入来院の清色城のみを安堵されています☆その後、島津義久の弟・島津家久が隈之城地頭職として二福城を拠点にしたと伝わります☆

その後の二福城は伊作・島津氏領になっていきます☆江戸時代は島津直轄地で、地頭仮屋は当初、二福城の麓におかれ周辺に麓(外城制度)が作られましたが、地頭仮屋は後の慶長年間には川内川に接する向田に移っています☆が、後に一国一城令により廃城になっています☆

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