串木野城(くしきのじょう)

串木野城の基本情報

通称・別名

亀ヶ城、城山

所在地

鹿児島県いちき串木野市上名字城之元

旧国名

薩摩国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

串木野(薩摩)氏

築城年

鎌倉時代

主な改修者

主な城主

串木野氏、川上氏、山田氏(島津氏家臣)

廃城年

遺構

曲輪、石塁、土塁、堀切、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

周辺の城

市来鶴丸城(鹿児島県日置市)[9.4km]
平佐城(鹿児島県薩摩川内市)[10.0km]
一宇治城(鹿児島県日置市)[14.4km]
清色城(鹿児島県薩摩川内市)[16.1km]
鶴が岡城(鹿児島県薩摩川内市)[16.9km]
郡山城(鹿児島県鹿児島市)[18.3km]
南郷城(鹿児島県日置市)[19.1km]
小山田城(鹿児島県鹿児島市)[20.9km]
比志島城(鹿児島県鹿児島市)[23.9km]
伊作城(鹿児島県日置市)[24.6km]

串木野城の口コミ情報

2023年11月12日 薩摩相模守義弘維新斎
串木野城



串木野城址は、鎌倉時代に串木野氏が築いたもので、島津氏が支配すると島津家久も地頭に任じられ、関ヶ原の「島津の退き口」で奮戦した島津豊久が生まれたところ。

この城跡には、JR串木野駅からも行けますが、かなりの距離があるため、車で行くことをオススメします。駐車場は、串木野麓(武家屋敷群)に観光客用のものがあります。駐車場から徒歩約3~4分で城跡へ登城できます。

城跡は、入口に城を示す標識もあり、草などを刈って整備が行き届いてます。散策すると曲輪、土塁、空堀などが確認できます。

城跡を確認後は、城を囲むように武家屋敷群があるので、日本遺産になっている武家屋敷群(串木野麓)を見学するのも楽しいと思います。

2023年03月02日 龍馬備中守【】
薩摩街道・出水筋[串木野城  その他]



鹿児島県の【薩摩街道・出水筋】♪今日は街道の話になります♪リア攻めに付けたスポットの場所は芹ヶ野の看板のある場所です♪
薩摩街道は薩摩藩の鹿児島城から肥後藩の熊本城を経由して福岡藩が領有した筑前国・山家宿までを結ぶ街道になります♪江戸時代では参勤交代のルートの1つとしても使用され、現在に見る道路の建設以前の街道としては鹿児島の陸上交通の大動脈でもありました♪
※余談ですが筑前国・山家宿で日田街道と交差し、長崎街道と合流します♪いずれも、九州の大動脈になりますね♪

古くからこの薩摩街道は存在していた様で、古代の薩摩街道は景行天皇の九州平定ルートだった様です♪コレは伝承になるんですが、そんな古くからあったんだぁ〜と♪感慨深いものが込み上げました♪

大和朝廷時代の薩摩街道は官道♪七道の1つであり西海道の1部でありました♪

安土桃山時代の薩摩街道は豊臣秀吉の島津氏征伐(1587)のルートがにもなっています♪薩摩街道を豊臣軍20万余の大軍団を率いて進んだという訳です☆
この時、秀吉は下関から佐敷まで1ヶ月掛け薩摩街道を南下しました☆佐敷からは海路で出水へ☆川内(泰平寺)に本陣を張りました☆この時、弟の秀長は日向街道沿いに侵攻しました☆

江戸時代の薩摩街道は九州諸大名の参勤交代のルートとなっています☆薩摩の島津家・八代の松井家、人吉の相良家、肥後の細川家、柳川の立花家、久留米の有馬家ら6藩が利用しました☆

更には幕末の薩摩街道は大久保利通や西郷隆盛なども使用したルートで、西南戦争(1877年)の際、薩摩軍が北上したルートとなります☆また、薩摩藩主・島津斉彬の養女篤姫の嫁入りルートでもあります♪17才の篤姫が徳川将軍家(13代目・徳川家定)へ嫁ぐ為に薩摩から薩摩街道を経て江戸へ2ヶ月がかりで向かいました♪

多くの旅人を見守ってきた薩摩街道♪
今も出水筋は、その名残を見せます♪
北口屋橋は、肥後の石工『岩永三五郎』が建築しました♪十里塚には榎が残っていました♪

2021年11月01日 :::真田安房守持郎❖
串木野城



城跡付近に駐車場はありませんでした。邪魔にならない場所に停めさせてもらい見学してきました。

まず南方神社でお参り後、土塁見学。そして、串木野城跡入口の道標より道なりに歩いていくと、孟宗竹の竹林になっていたようですが、しっかり管理されていて曲輪や空堀、堀切など良くわかりました。

伐採された竹は上手く積み重ねてあり壁になっていて見栄えも良かったです。1番高い位置までも階段のように登りやすくしてくださっていたので歩きやすかったです。

見学中の注意としては虫対策です、10月半ばでしたが蚊が多く気を取られました。長袖、長ズボン又は虫除けスプレーは必要ですね。キンカンも!国道からも近く気楽に楽しめる麓でした。

【写真説明】
❶以前の写真とは大違いな入口
❷道を挟んで君臨する石垣
❸空堀からの侵入禁止
❹登りやすい丸太階段と竹壁
❺空堀階段
❻ここも侵入禁止な空堀
❼右の山の上が1番高い位置
❽1番高い位置の曲輪、見張り程度の面積

勉強不足なのでこの程度です。上級者の方の解説がみたいです、上級者の方間違いと詳しい説明よろしくお願いします。

私事ですが、特別な想いのあるいちき串木野市の麓、ここに来ることができ感慨深いものがありました。
芹ケ野郵便局で協力して頂いた方々には感謝です、ありがとうございました。

2019年11月02日 薩摩守道雪⚡︎4/20九州
串木野城



城跡は私有地の為、立ち入りは出来ないようですが、他の口コミでもあるように南方神社に残る土塁を見ることが出来ます。

昨年まで限定配布だった城郭符が通常販売されるようになっており、いちき串木野市総合観光案内所で購入できます。

2019年08月03日 ふるさと歴史探索
大中公廟[串木野城  碑・説明板]

元亀元年に串木野城主となった島津家久が、父貴久を慰霊するために建てられたと言われている。
家久の父に対する思い入れは際立つものがあり、日向佐土原城主になった際も同じような慰霊碑を建てたそうだ。
高速道路整備に伴ってこの地に移動された。
周囲には説明板、石碑の失敗作などが一緒に並べられている。

2019年06月08日 ふるさと歴史探索
土塁、帯曲輪(南方神社ウラ)[串木野城  遺構・復元物]



南方神社の敷地は元々串木野城の曲輪の1つだった。
神社の奥に1メートルくらいの土塁、下を見ると同じく土塁付きの帯曲輪がある。

2019年06月08日 ふるさと歴史探索
地頭仮屋跡[串木野城  碑・説明板]



地頭仮屋跡の案内板と、ぐねっと曲がった石垣が現存するも、石垣は大正期に作られたものだそう。
周囲の開発が進みますが、遠目に見ると山を囲むように外曲輪っぽい地形を望めます。

串木野城の周辺スポット情報

 土塁、帯曲輪(南方神社ウラ)(遺構・復元物)

 武家屋敷門(遺構・復元物)

 地頭仮屋跡(碑・説明板)

 大中公廟(碑・説明板)

 串木野麓来客専用駐車場(駐車場)

 城跡入口(その他)

 薩摩街道・出水筋(その他)

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