伊作城(いざくじょう)

伊作城の基本情報

通称・別名

亀丸城(本丸)、石亀丸城、中山城、殿の城

所在地

鹿児島県日置市吹上町中原

旧国名

薩摩国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

島津久長

築城年

文永8年(1271)

主な改修者

主な城主

伊作島津氏

廃城年

元和元年(1615)

遺構

曲輪[亀丸城・山之城・蔵之城・東之城・西之城・花見城]、土塁、横堀(空堀)、井戸

指定文化財

県史跡(亀丸城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

南郷城(鹿児島県日置市)[5.7km]
別府城(鹿児島県南さつま市)[12.1km]
川口城(鹿児島県鹿児島市)[12.6km]
一宇治城(鹿児島県日置市)[13.1km]
千々輪城(鹿児島県鹿児島市)[13.4km]
平山城(鹿児島県南九州市)[13.8km]
市来鶴丸城(鹿児島県日置市)[16.4km]
知覧城(鹿児島県南九州市)[18.0km]
小山田城(鹿児島県鹿児島市)[20.1km]
鹿児島城(鹿児島県鹿児島市)[20.5km]

伊作城の解説文



伊作城(いざくじょう)は、鹿児島県日置市吹上町中原にあった中世の日本の城(山城)。鹿児島県指定史跡[1]。伊作城はいくつかの廓から成り立つ城で、本丸は特に亀丸城と称した。

沿革 

発祥の時期は明らかではないが南北朝時代に島津氏の分家伊作氏の城として築かれたと考えられる。その頃は「中山城」と呼ばれていた。戦国時代にはここを拠点として伊作氏から相州家に養子入りした島津忠良が南九州統一に繰り出し、戦国大名島津氏雄飛のきっかけとなった城でもあった。相州家が島津氏の本宗家となると伊作城は外城の一つとなったが、島津氏の宝物殿がおかれ、鹿児島城下士が交代で番所勤めをするなど別格の扱いを受けていた。

1615年(元和元年)の一国一城令で廃城になった。

概略 

南北朝時代から戦国時代に増築を進められてきた城で、最盛期には南北750メートル、東西1,050メートル、城域全体の面積は50万平方メートルと言う広大な規模を誇っていた。本丸に当たる亀丸城以外に「山之城」「蔵之城」「花見城」「御仮屋城」「東之城」「西之城」と6つの曲輪が設けられていた。駐車場、トイレ、案内板がある。御仮屋城は水道局の施設が置かれ、また耕作地になっている郭もある。

地勢は、城の東から南に向かって伊作川が流れ、北と西側は多宝寺川が流れて、天然の堀となっていた。北から東側はシラス台地につながっているため攻め込まれないよう箱堀が掘られていた。

この城は島津貴久、島津忠将、島津尚久の忠良の3人の息子、そして島津義久、島津義弘、島津歳久、島津家久の島津四兄弟の誕生地でもあり、記念の石碑が残っている。

伊作城の口コミ情報

2022年10月24日 RED副将軍
伊作城



島津義弘の系譜の伊作島津氏発祥の地
20m級の深い空堀が縦横無尽に巡るシラス台地特有の山城🏯

オススメ度 ★★★★★

築城年代は不詳ですが、南北朝時代に島津氏の庶流である伊作島津氏により築かれたと云われます。
伊作島津氏は、島津久長を祖とし、島津忠良の時代には勢力を広げて島津氏本家を凌ぐ存在となります。そして子の島津貴久は本家に養子に入り15代目の家督を承継。島津氏本家の本拠である清水城に入り、伊作城はその外城となり隠居した島津勝久が入りました。
島津貴久は戦国大名となり、子息の義久・義弘・家久・歳久の4兄弟が更に島津氏を拡大させていきます。

見所
シラス台地に深い空堀を巡らせた群郭式山城。28もの曲輪がありかなり大規模です。
御仮屋城と亀丸城の間の大空堀はロープを使って降りることも可能で深さは20m以上あるでしょうか。
主郭にあたる亀丸城には島津義久、義弘、歳久、家久の四兄弟の誕生石が鎮座しています。
⁡写真ではこのスケール感は伝わらないと思いますので是非現地で確認をオススメします。

2021年10月24日 つか征夷大将軍
大手跡[伊作城  遺構・復元物]



駐車場から遊歩道が続いてます。空堀を本丸方面への通路として使っていたようです。砂防ダムの様なものがあって空堀は進めません。

2021年10月24日 つか征夷大将軍
空堀[伊作城  遺構・復元物]



本丸となる亀丸城の横の空堀です。歩けるようになってますが軽装で無い方がよいです。かなり深いです。

2021年10月24日 つか征夷大将軍
空堀[伊作城  遺構・復元物]



山之城に向かう途中で見られる東ノ城へと続く空堀です。

2021年10月24日 つか征夷大将軍
多宝寺跡[伊作城  寺社・史跡]



伊作島津家歴代当主のお墓があります。三代目と忠良は別の場所です。また廃仏毀釈後に島津貴久と伊作島津家歴代当主を祀る石亀神社が同じ場所に建立されました。

2021年10月12日 :::真田能登守持郎⊕
伊作城



シラス大地の特徴を最大限に生かされて築かれた山城でした。水が流れサラサラの砂が流され作られた溝をそのまま堀にしたり、手を加え堀にしたそうです。
先人の方々の写真をみて来る事を決めました。空堀の高さ、鋭さ興奮しっぱなしでした。亀丸城と御仮屋城の間の空堀には杭が打ってありロープが張られ堀を降りて行く事ができます。すごいすごいと降っていると気付けば1番下まで降りてました。
そこから攻めるように登りましたが命がいくつあっても登りきれないと感じました。
まだまだ見所たくさんあります、山城好きの方是非1度見学を。

日置市吹上民俗資料館へ行くと資料が頂けます。見所など親切に教えて頂けました。

【写真説明】
❶❷❸❹亀丸城、御仮屋城間の空堀
❺❻山之城下の空堀、深くデカい
❼散策途中にあった小さな曲輪
❽わずかに見えた景色

2017年11月23日 聖将ほな
伊作城

雨上がりの今日行ってきました。仮屋城跡から浄水場に向かい、脇の階段を下って、竹林をひたすら歩く。そのうち足場がどこにもない急坂に遭遇。何回も足をとられながら上り…また仮屋城跡に。一周しただけのことだった。昔の人は凄かった…思い知らされた。

2017年05月20日 W平八郎北見守鼎衛門
伊作城

亀丸城も見たかったけれども時間がなく外城だけ見ました。外城の駐車場に御手洗いあり。草が生い茂った階段を登ってみると左手に壕が残っていてかなり深い!ロープしかないので足元注意です。運悪く虫が多く虫の大群に追いかけられて大変でした。個人的にはあの島津4兄弟と大変縁深い城なのでもっと整備して県と市でPRしていって欲しいと思います。
後、昔この辺は南薩鉄道という私鉄が走っており、当時の遺構も多少残っていたりするので私の様に城も廃線も好きな方にお勧めします。

2014年05月29日 【隠者】史学会帰新参
伊作城

城の北と南側から車道があり城跡を縦断しているのでどちらからでも行ける。城内の一角にトイレ駐車場がある。曲輪と空堀がよく残る。城内は遊歩道が整備されていて、城の主要箇所は見学できる。


伊作城の周辺スポット情報

 空堀(遺構・復元物)

 空堀(遺構・復元物)

 空堀(遺構・復元物)

 大手跡(遺構・復元物)

 花見城跡(遺構・復元物)

 虎口(遺構・復元物)

 伊作城跡説明板(碑・説明板)

 亀丸城跡石碑(碑・説明板)

 御仮屋城跡説明板(碑・説明板)

 蔵之城跡説明板(碑・説明板)

 多宝寺跡(寺社・史跡)

 トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

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