南郷城(なんごうじょう)

南郷城の基本情報

通称・別名

永吉城

所在地

鹿児島県日置市吹上町永吉宇都

旧国名

薩摩国

分類・構造

連郭式山城

天守構造

築城主

桑波田覚弁

築城年

南北朝時代

主な改修者

主な城主

桑波田氏、島津氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、竪堀、堀切

指定文化財

市史跡(南郷城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

伊作城(鹿児島県日置市)[5.7km]
一宇治城(鹿児島県日置市)[7.8km]
市来鶴丸城(鹿児島県日置市)[10.8km]
川口城(鹿児島県鹿児島市)[11.6km]
千々輪城(鹿児島県鹿児島市)[14.9km]

南郷城の解説文

南郷城は、日置市吹上町永吉の市立永吉小学校の北側の山に位置する。

深い谷と絶壁に囲まれた7つの塁を持ち、南北最大幅500m、東西最大幅550mにも及ぶ雄大堅固な城で、鎌倉時代日置南郷の宮司であった覚弁を始祖とする桑波田氏によって、中世中期の南北朝時代に築かれたと言われている。当時は日置南郷だったので、南郷城と呼ばれていた。

桑波田氏の本拠であったが、康永元年(1342)には、守護島津貞久の弟の城となっており、守護島津氏領であった。桑波田氏は、守護島津氏の老中として勢力を温存していたので、大栄7年(1526)、当城を与えられていた島津忠良は、桑波田栄景に当城を管理させていた。

しかし天文2年(1533)、城主桑波田栄景孫六は、島津実久に味方して島津忠良(日新公)に背いた。その当時、伊作を治めていた島津忠良(1492~1568)の息子の貴久(1514~1571)は、島津本家の養子に入り、15代本家当主になった。そのことに、同じ島津一族の島津実久は激しく反対し、忠良・貴久親子と争いになっていた。

忠良は、難攻不落といわれた孫六の本拠地の南郷城を落とすために、計略を考え、孫六が城を出て狩りに出かける日を探らせ、その日に自分の兵を狩りから帰ってきた孫六の兵だと思わせて門を開けさせ、城内に攻め入った。

その時城兵の中に孫六に背く者もあって城は落ち、孫六は驚いて帰ってきたが間に合わず、伊集院の桑畑に逃げていった。その後、孫六は南郷城を取り返すために実久の援軍とともに、現在の日吉町吉利の野首原(のくんばい)付近に陣を敷いた。 これを知った忠良は50騎あまりの兵を率いて敵の陣地に攻め、南郷城を守っていた貴久と敵をはさみ討ちにしたので、実久の大群敗れ、多くの戦死者を出し、鹿児島へと逃げ帰りその後、宮之城島津家に仕えた。この戦いで戦死した人や馬、武具などを埋めたのが、日吉町の鹿児島塚である。

この時より南郷は永吉と改名され、地頭が治めることとなる。麓にある六地蔵塔は、この時の戦死者の供養塔であると言われている。

南郷城は、昭和40年に町の指定文化財に指定され、のちに日置市の指定になった。

情報提供:日置市教育委員会社会教育課

南郷城の口コミ情報

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