郡山城(こおりやまじょう)
郡山城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 鹿児島県鹿児島市郡山町字松尾他
旧国名
- 薩摩国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 郡山氏
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 郡山氏、加治木氏、村田経安,入来院重朝、平田増宗
廃城年
- -
遺構
- 曲輪[松尾城・弥五郎城・詰が城・城山]、石塁、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
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再建造物
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周辺の城
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郡山城の口コミ情報
2026年04月22日 SHIN
郡山城
2026.4.22リア攻め。
約3年前に主郭にたどり着けなかった城です。最近、情報交換した城友さんが攻略したので、小生も勇躍再挑戦し、念願の主郭エリアに到達できました。
まず、結論から言うと、素晴らしい城郭遺構です。
本城は多くの広大な郭が集まって構成されており、その多くが周囲に深い堀切が配され、郭間が分断されています。
郭の広さ、堀切の深さはかなりの規模で、遺構の状態もとてもいいです。
ただ登城路がなく、攻略難度はかなり高いのが難点ですが、このまま良い状態で残っていて欲しいとも思います。
攻略にあたっては、広い城域で自分の位置を見失わない準備を必ずしてください。
郭は同じような広さ、高度で、断続的にあり、どれも見通しの悪い林で、同じような堀切に囲まれているので、無闇に進むと自分の位置を見失います。戻ったつもりになっていても、別の郭だったりします。
(この城は本当に攻めにくい城だったろうと思いました)
一応、小生が進んだルート詳細を記します。
①光明寺東側(31.681657N 130.472500E近く)から竹藪に突入。
前回は北に向かい跳ね返されましたが、今回は西に進みました。
(地形図ではGoogleマップの城山城から南西に向かって尾根が伸びているので、まずその尾根を目指しました)
倒れた竹や倒木に進路を塞がれる斜面の直登で、かなりの難所ですが、とにかく気合で進みます。(写真1枚目)
②尾根に着く前に北北西に伸びる堀切があったので、堀切の底を進むことにします。位置は光明寺の真北くらい。(排水用のU字溝が埋まっていて、少し歩きやすくなっています。写真2枚目)
③堀切を登っていくと、弥五郎城(右)と城山城(左)の間に出た(写真3枚目)ので、まず城山城によじ登ります。
④城山城は広大な削平地でまず驚かされます。(写真4枚目)郭をさらに南西に進み詰ケ城を目指すと、大きく深い堀切とその先にこちらより高い郭(詰ケ城)が現れます。
しかし、ここから堀切に降りるのは無理と判断し引き返します。
⑤いったん城山城に戻り、東に進んで最初の堀切から弥五郎城に登ろうと進みましたが、ここで方向を間違い、北に進んでしまいます。
結果、城山城と詰ケ城の間の堀切に降りていました。
せっかくなので詰ケ城に登ろうと探りましたが、傾斜がきつく断念、再度城山城に登り北端を進むと一段上がった所に再び広大な郭(弥五郎城の真北辺り、写真5枚目)があり、城の規模に感動します。
⑥南側の弥五郎城に行こうとしますが、これまた深い堀切に遮られます。弥五郎城は諦めて、東に進み、アプリ城マークを目指します。
⑦アプリの城マーク近辺も広大な郭です。ここから南に進むと一段下がった所にまた広大な郭(Googleマップの松尾城、写真6枚目)がありました。
城山城〜アプリ城マーク〜松尾城の間は堀切がないので、主郭(アプリの城マーク)と第2、3郭(城山城と松尾城)みたいな感じを受けます。また、弥五郎城はこの郭群から独立してあるようです。
⑧下城ルートは、アプリの城マークから北西に伸びる尾根を少し進み、(ここも広大な郭でした)その後東に向かって降りることにします。
郭の北端にある深い堀切の底に降りたとき、ここで東に進めば民家がありそうだったので、行ってみましたが途中に大きな池があり断念。
戻るよりはと、そこから北に向かって斜面を登ります(けっこうな急斜面直登)。すると、また郭が!いや、本当に規模の大きい城です。
⑨さらに北に向かうと深く切り込まれた隘路(南東に向かって切られていて、清色城の入口の隘路を思い出しました。写真7枚目)があったので、写真を撮るため降りて、その隘路を進むと林道に合流、その林道が池の先にあった民家近くにつながっていました。
(31.683403N 130.475244E付近写真8枚目)
以上のルートで、行軍距離1.2km、比高は一番高い所(アプリの城マーク周辺)で約60m、所要時間90分でした。
あいにくの雨、さらにバスの時間が迫っていたので帰りましたが、まだ回りきれていません。
今回、詰ケ城、弥五郎城は行けていませんし、最後の隘路よりまだ北にも郭は続いています。
全部回ろうとしたら4時間くらいかかるのではないでしょうか。
公共交通機関、鹿児島中央駅からバス(薩摩郡山行き)利用。最寄りバス停は郡山鹿銀前になります。本数は少ないです。
滑りにくい靴、手袋、それと泥だらけになっても良い服装で挑んでください。時間もたっぷり見てください。遭難しないよう、ご安全に!
追記。登城するなら北東(小生が下城したところ)からをお勧めします。林道と隘路を通って、城域には入ることができます。
2026年03月11日 織田魯坊丸薩摩守三郎重茂
郡山城
郡山城群:2026,3,11 先人の攻城記にあるように 光明寺からの正面突破は無理と判断し、搦め手からの潜入を模索して 松尾城下の交差点を北側方向へ328を北上、登坂車線を登り切った所に道路脇に山頂方向へ進む砂利道を発見。
登って行くと、途中脇に地域の住民様の墓石が三家程度ありました。更に進むと大きな倒木が行く手を阻みその下をくぐり抜けて進むと 水道局の円形コンクリートの貯水タンクが見えました。道沿いは柵はなく、杉の立木林、竹林もあり 下草はないが降り積もった杉の葉が地表を覆う大地、台風等で折れたような倒木がありました。
その水道局設備付近から 城群方向へ山頂尾根沿いを南下して(多少上り下り倒木回避はあります)
尾根方向へ進む 空堀らしき不自然な直径1㍍くらいの幅の轍が10から20㍍くらいあり 杉の立木が生えていて
城群 外の遺構か?と思いつつ更に進むとやがて 弥五郎城付近と思われる削平地郭に到着。
だいたい道路から登り始めて弥五郎城付近まで30分くらいで到着しました。(写真のデータより抽出)
古い?染付茶碗の破片が郭の近くにありました。
削平地ももちろん立木が多く、端の方向は見えにくい状況。
しかし、端の松尾城方向の並木が一瞬 まるで光学迷彩が通り過ぎたような光の変化が見えたあと、木が倒れた音がし、チェーンソーの音が聞こえて人の居るような気配がし、尾根を進む時もそういえば、誰かしら歩いた足跡があり、
長居をすると鉢合わせる可能性、トラブルの可能性を考えたので
今回の調査は諦めて撤退しました。
光明寺方向を覗き見ると急な坂で降りるのは無理と判断し 元来た方向へ、進みましたが迷いました。
アプリ上の航空写真上で城山城付近の北側を進んでいて竹林の中に入ってしまい、慌てて確認し直して山頂方向へ転進(だいぶ標高が下がっていて焦る)
最終的には水道施設へと戻れました。
2023年07月08日 SHIN
郡山城
2023.07.06リア攻め。光明寺東側道路に説明の杭有り。本丸はまだ上でしたが危険と判断し、中腹で断念。道はなく、斜面に生えている木や竹にしがみつきながらの登山です。下りはさらに大変で、立っては降りれないので、しっかりした木や竹に向かって半ば滑落するようにして下山しました。遺構はまったく確認できず、私のルートが正しくない気もしますが、北、東には近くに道がなく、西側の道からもルートは見つけられませんでした。足はすり傷だらけ、服は真っ黒になりましたので、あまりお勧めはしません。もし攻められる場合は、この手の道なき山城はどれもそうですが、上る前に下りれるか考える、少し進んだら振り返り退路を確認する、が肝要かと。あと、長袖長ズボンに手袋装着がいいでしょう。ほとんどの傷がスネなので脚絆も有効でしょう。









