知覧城(ちらんじょう)
知覧城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 鹿児島県南九州市知覧町永里知覧城内
旧国名
- 薩摩国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 知覧忠信
築城年
- 平安時代後期
主な改修者
- -
主な城主
- 知覧氏、島津氏、伊集院氏、佐多氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀
指定文化財
- 国史跡(知覧城跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
平山城(鹿児島県南九州市)[5.1km]
給黎城(鹿児島県鹿児島市)[8.8km]
別府城(鹿児島県南さつま市)[12.8km]
桜之城(鹿児島県枕崎市)[16.8km]
頴娃城(鹿児島県南九州市)[17.5km]
千々輪城(鹿児島県鹿児島市)[17.8km]
伊作城(鹿児島県日置市)[18.0km]
川口城(鹿児島県鹿児島市)[22.8km]
南郷城(鹿児島県日置市)[23.5km]
鹿児島城(鹿児島県鹿児島市)[27.8km]
日本100名城・続日本100名城スタンプ情報
番号・名称
- (続)198 知覧城
設置場所
- ミュージアム知覧[地図]
知覧城の解説文
[引用元:Wikipedia「知覧城」の項目]
知覧城(ちらんじょう)は、鹿児島県南九州市知覧町永里にあった日本の城(中世山城)。国の史跡に指定されている。
沿革
初めてここに城を構えたのは平安時代末期の頃の郡司・知覧忠信と言われる。室町時代、足利尊氏の下文によって島津忠宗の三男・佐多忠光がこの地の領主となった。その後、島津氏の内訌に伴い一時伊集院頼久一族の配下となったが、1420年(応永27年)、島津久豊が伊集院一族からこの城を取り返し、再び佐多氏の居城となった。その後、文禄検地等で多少の異動はあったものの、佐多氏は幕末まで知覧領主であった。しかし、11代当主・佐多久達の時に知覧城は原因不明の出火で炎上し、一国一城令発令前に知覧城は実質上廃城となった。
2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(198番)に選定された。
遺構・遺物
上記のように火災のために当時の建造物は全く残っていない。そのかわり、その後ほとんど手が入れられなかったため南九州中世城郭の典型例を残している。
シラス台地を利用した南北800メートル、東西900メートル、面積45万平方メートルという壮大な城郭で、大きな谷を空堀として利用し、本丸以外の曲輪は二重の深い空堀で更に囲まれていた。中核となる「本丸」の他「今城」「蔵の城」「弓場城」などの曲輪と「式部殿城」「児城」「東之栫」「西之栫」「南之栫」「伊豆殿屋敷」等の出城から成り立っていた。
近年の発掘調査で15世紀-16世紀の中国陶磁や洪武通宝、東南アジアで生産された陶器が出土した。
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知覧城の口コミ情報
2024年10月14日 かめ左京大夫ゆみ
知覧城
駐車場から本丸にあがる山道の入口が難しい。。案内板通りに薮を進んだら、歩行困難なほどぬかるんでいて引き返す。しばらく車道にそった舗装された歩道を行くべし。
2024年08月26日 mootze
知覧城
シラス台地に建つ続100名城のひとつ、鹿児島では、曲輪規模でも、城の名前が、ついていて、今城、弓場城、蔵之城、本丸と連携している総称みたいです、あと外郭には道無城、児城、式部殿城が、あります。駐車場は本丸下にあり空堀を歩いて城内に侵入します途中分かれ道で敵を分散させて、切り立った崖の上から、攻撃なんて、凄い城なんだな、と思いましたタダ残念な事に、蔵之城と本丸の間には、まだブルーシートがかけられて、まだ修復されてません。早く復元されて、凄いお城だと、見せつけて欲しいものです
2023年09月08日 薩摩安房守義弘維新斎
知覧城
続日本100名城の一つであり、国指定史跡の城跡。
2度目の登城で初めてリア攻めしました。登城すると本丸土塁付近が崖崩れでブルーシートに覆われてました。何とか早めの復旧を自治体へお願いしたいところです。
鹿児島特優のシラス台地に築城された各曲輪、空堀、土塁等がしっかりと現存し、攻めた場合を想像すると楽しくなります。
難があるすれば蜘蛛の巣と藪蚊です。終始これらに悩まされました。
2023年06月25日 陸奥守新九郎
知覧城
シラス台地特有の縄張りで面白いお城でした。しかし、虫がスゴい(~_~;)
2023年04月28日 宇治ひろの勘解由長官ふくやん
知覧城
滞在時間短く、取り急ぎ本丸へ。上空からの写真や説明と照らして歩きました。鬱蒼とした樹々の中、崩落した崖のブルーシートが鮮やかでしたが、地盤の劣化が進んでいるようです。補修が進めばよいのですが、、
2022年12月26日 雪柳
知覧城
ミュージアム知覧から徒歩30分程度。なので、鹿児島から路線バスで行けます。
あいにくの、小雨上がりで足下が多少ぬかるんでいました。山城登山程ではありませんが、それなりに足元しっかりと。各郭を隔てる切り通し(空堀)は結構な深さ。見所です。
2022年12月16日 こう
知覧城
知覧城の御城印は、自治体が発行しているものではありませんので、こちらでは購入できません。
2022年06月13日 隼人正めさ
知覧城
[安全情報]
6月11日土曜日に登城した際確認しました。以前からがけ崩れで通行止めになっていた本丸、蔵之城に登るルートの他に、枡形から登るルートがあるのですが(写真1枚目)、登ろうとしたところ、木でできた階段の中頃の土台の土砂が流出しており、階段の木が何段か外れかけていました(写真とり忘れました...)。
触ると軽い力で動いたため危険と判断し、本丸への登城を諦めて止むなく引き返しました。これから雨が強くなる時期ですので、知覧城址に登城されるかたは当該箇所以外にも十分にご注意されてください。
ちなみに当日はすぐ近くの知覧特攻平和会館も見学し、平和について深く考えることができました。ぜひ登城の際には立ち寄られることをお勧めします。
また、お城スタンプは知覧城址ではなく、ミュージアム知覧という平和会館横の施設に設置されていましたが、続名城100選のスタンプ帳系の販売はないようですので、他城にて購入されたほうが良いみたいです。
2021年11月30日 寺左京大夫にゃん
知覧城
特攻平和会館と併せて見学しました。崖崩れの危険がある為、慎重に城攻めです。
2021年10月10日 :::真田土佐守持郎❖
知覧城
10月10日現在、8月の大雨の影響により通行止めされています。
少し進んでみましたが、本丸下が崩れていて通行困難な状況でした。
これ以上行くのは…
2021年02月15日 龍馬備中守【】
亀甲城[知覧城 周辺城郭]
鹿児島県の南九州市にある亀甲城♪別名を蜷尻城と呼びます♪形が巻貝の蜷に似て螺旋状になっているのでこの別名で呼ばれています☆知覧城からは北東側の直線2キロ位の場所に位置していて【知覧城の出城】の顔を持ちます☆
城郭としては螺旋状の道が主郭まで続いていて1番高い場所が主郭♪主郭すぐ下の段、東西に配置された郭は共に舌状に伸びていて主郭と直結する西側が副郭、グルリと回り込む東側が三郭かな〜☆主郭と副郭間は堀底道を形成していて土塁で区画し動線を限定☆
東側の三郭の下には小刻みに段々と郭を配置☆東側の防御を強化している事が判ります✨縄張りを見るからに出城といった簡単なものとなっています☆
城内は堀切、土塁、土橋、井戸などが残されています☆
また主郭には石碑があって南朝義臣知覧氏彰忠碑と刻まれていました〜☆
知覧城、知覧麓(武家屋敷跡)と合わせての見学をオススメします♪
2021年02月14日 龍馬備中守【】
知覧武家屋敷跡[知覧城 寺社・史跡]
鹿児島県の南九州市にある知覧麓・知覧武家屋敷跡☆『薩摩の小京都』と呼ばれるこの武家屋敷跡は薩摩藩により造られました♪藩政時代には鹿児島への往来に使われた街道でもあります☆
鹿児島に武士団を集結させる事をせずに分散して統治にあたらせます(外城制) ☆ この外城制とは外城に分割しそれぞれに政治や経済の中心となる麓(ふもと)と呼ばれる集落を置き武士を配置させて地方行政・防衛を行わせる薩摩独特のやり方です♪
ここ知覧麓もその外城の一つで薩摩藩の中でも重要な役目を果たしました☆今に残る武家屋敷群は江戸時代に第18代・知覧領主・島津久峰の時代に造られたモノで、折れを造った本馬場通りに沿って石垣を連ねます♪生垣に当時の面影が残りますね〜☆更にほぼ全ての屋敷の虎口は石垣で枡形を形成☆薩摩武士の警戒さを伺わせます☆
2020年12月27日 織田上総介晃司
知覧城
登城口の近くに駐車場有り。
武家屋敷は観光として有名。
知覧に行けば「ミュージアム知覧」で続100名城スタンプを貰うだけでなく「知覧特攻平和会館」も是非とも訪ねてください。
知覧に航空基地があり戦争末期10〜20代の若者たちが神風特攻隊として出撃。命を落とす悲劇がありました。
出撃する特攻隊員の遺書を見るといたたまれなくなります。
特攻作戦は狂気の沙汰としか言いようがありませんが先人の犠牲の上に今の平和があることに感謝する事と思います。
2020年11月25日 yasu
知覧城
本日は水曜日、ミュージアム知覧は休館でしたが、お隣の知覧特攻会館で聞くと、電話で聞いてくれて、男性の係の方?がすぐ来てくれ対応してくれました。入り口にてスタンプ押せて、パンフレットも頂きました。
2020年11月22日 副将軍ナンバー【7】讃常美
知覧城
掘削しやすいシラス台地での深~い空堀で仕切られた独立性の高い各郭。南九州型城郭の嚆矢です。
2020年09月16日 ラッキーマン筑前守
知覧城
登城口に、無料駐車場があり、とても便利です。最近の大雨で、通れない登城道があり、残念でした。
2020年04月18日 榎晴信肥後守
亀甲城[知覧城 周辺城郭]
知覧城の出城とされる。
2018年10月24日 みやび姫
知覧城
高速を南下して知覧城へ向かう方へ。おトイレは桜島SAで済ませてください!それ過ぎると用を足せるのは途中の城のような土産物屋くらいしか無いです。続日本100名城のスタンプ場所、知覧ミュージアムは特攻会館の真後ろです。なので特攻会館の敷地の駐車場(無料)に停めればOKです。そこから城跡まではほんの数分。スタンプのあるとこに小さな案内図があります。駐車場は広いですが、トイレも自販機も無いです。ちょっとキョロキョロすると20mくらい先に本丸→の看板があります。茂みを通ると蜘蛛の巣に引っかかってえらい目に遭うので、歩道を歩いた方がいいです。
2018年10月18日 因幡守✝ていか
知覧城
蔵之城の登城道が、雨で崩落、陥没の恐れがあるとのことで残念ながら登れませんでした。
他の曲輪は大丈夫でした。
2017年09月04日 大山祇武蔵守明希
知覧城
知覧武家屋敷のとなりに、知覧城の支城である亀甲城があります。麓川をやびつ橋(かわいい眼鏡橋)に向かっていくと、細い階段があるので登っていった先に曲輪などが見ることができます。武家屋敷の賑わいと対照的な場所です。(笑)
2017年05月08日 五瓜ニ唐花紋太政大臣や~きみ
知覧城
車で行かないと辿り着くのは厳しいお城ですね。
駐車場はあります。
遺構はあります。
尚、観光としては離れた場所にある知覧の武家屋敷群が観光地化されてます。
こちらも駐車場あります。
こちらは石垣で綺麗に整備された武家屋敷群で一般人にも見ごたえある場所です。
2017年05月03日 よも
知覧城
知覧武家屋敷の口コミになってしまいますが、武家屋敷通りの1本隣の道路(県道23号線)脇にものすごくキレイな水路があり、鯉やウグイ?が泳いでいます。鯉は鹿児島水産高校の生徒さんが卵から育てたそうです。道路沿いにあるお茶屋で鯉のエサ(100円)が買えます。駐車場は無料(北側)と有料があります。
2014年05月29日 【隠者】史学会帰新参
知覧城
城跡を東西に車道が縦断していて、途中に広い駐車場がある。トイレ水道は付近になかった。
城跡は整備されているが問題なく見学できるのは本丸 、今城、弓場城 、蔵之城の周辺である。
あとの曲輪は間近からの見学は難しそうである。
知覧城の周辺スポット情報
空堀(遺構・復元物)
防空壕跡(遺構・復元物)
大手口(遺構・復元物)
城郭中心部への堀割(遺構・復元物)
弓場城・今城登り口(遺構・復元物)
今城(遺構・復元物)
今城虎口(遺構・復元物)
土塁(遺構・復元物)
弓場城(遺構・復元物)
弓場城登り口(遺構・復元物)
蔵之城(遺構・復元物)
枡形虎口(遺構・復元物)
本丸(遺構・復元物)
本丸土塁(遺構・復元物)
井戸跡?(遺構・復元物)
武家屋敷-西郷恵一郎邸(遺構・復元物)
武家屋敷-平山克己邸(遺構・復元物)
武家屋敷-平山亮一邸(遺構・復元物)
武家屋敷-佐多直忠邸(遺構・復元物)
知覧城下武家屋敷群(遺構・復元物)
武家屋敷-旧高城住宅(遺構・復元物)
武家屋敷-森重堅邸(遺構・復元物)
武家屋敷-佐多美舟邸(遺構・復元物)
武家屋敷-佐多民子邸(遺構・復元物)
知覧城趾石碑(碑・説明板)
亀甲城(周辺城郭)
知覧武家屋敷跡(寺社・史跡)
光寿寺(寺社・史跡)
伊勢神社(寺社・史跡)
特攻平和観音堂(寺社・史跡)
知覧町護国神社(寺社・史跡)
ミュージアム知覧(スタンプ)
駐車場(駐車場)
駐車場(駐車場)
知覧観光案内所(関連施設)
南九州市観光協会(関連施設)
知覧文化会館(関連施設)
登城用の竹杖(その他)