頴娃城(えいじょう)

頴娃城の基本情報

通称・別名

獅子城、野首城

所在地

鹿児島県南九州市頴娃町郡城内

旧国名

薩摩国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

頴娃兼政

築城年

応永27年(1420)

主な改修者

主な城主

頴娃氏

廃城年

遺構

曲輪、石垣、土塁

指定文化財

県史跡(頴娃城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

給黎城(鹿児島県鹿児島市)[14.8km]
知覧城(鹿児島県南九州市)[17.5km]
平山城(鹿児島県南九州市)[22.2km]
桜之城(鹿児島県枕崎市)[23.5km]
別府城(鹿児島県南さつま市)[28.5km]
勝尾城(鹿児島県肝属郡)[30.0km]
千々輪城(鹿児島県鹿児島市)[32.7km]
垂水城(鹿児島県垂水市)[35.4km]
伊作城(鹿児島県日置市)[35.6km]
鹿屋城(鹿児島県鹿屋市)[35.7km]

頴娃城の解説文



頴娃城(えいじょう)は、鹿児島県南九州市頴娃町郡字城内にあった日本の城。鹿児島県の指定史跡文化財に指定されている。

沿革 

跡指宿と開聞岳の間にある。標高230メートル付近のシラス台地上に構築された。現在も城内(そない)、上城山(かみそやま)、下城山(しもそやま)、高城(たかじょう)などの地名を頴娃城の跡に残している。

この頴娃城郭造年代はあったされ、最初の城主一族は「伴姓頴娃氏」と呼ばれる一族であった。なお、その前に頴娃地区に存在した一族、「平姓頴娃氏」とは別のものである。

この土地を訪問した人、それが日本に滞在していたヨーロッパに伝わることとなり、頴娃城となったと考えられる。

また、江戸時代の「三国名勝図絵」に、7代頴娃久虎の代に5層の天守閣が築かれた、との記録が残っているが、実際の発掘調査では櫓台こそ出土したものの、5層の天守閣跡とみられる遺構はついに発掘されず、実際は存在しなかったと考えられるにいたっている。

八代領主のころ、頴娃氏の手から離れ、廃城となった頴娃城は、直轄支配するにあたって武家屋敷群が整備され、今でも頴娃町郡地区には残されている。その時の武家屋敷の石垣などの遺構が見て取れ、往時の遺構を今に伝えている。

主な曲輪 

  • 本丸(城内で最も南)
  • 二の曲輪(本丸の北側)
  • 三の曲輪(農道により分断された本丸の一部と考えられる)
  • 四の曲輪(三の曲輪の北側)
  • 桝形(西の丸)
  • 西の丸(四の曲輪の西側)
  • 出丸(西の丸付近)

主な出土品 

  • 天目茶碗(美濃製、もしくは唐物)
  • 染付茶碗(唐物)
  • 白磁(唐物)
  • 青磁(唐物)
  • 洪武通宝

年表 

  • 1394年(応永1年):平性頴娃氏が島津家に滅ぼされる
  • 1418年(応永25年):平成頴娃氏の分家・小牧氏滅亡
  • 1420年(応永27年):肝付兼正 頴娃、指宿、山川の領主になる
  • 応永年間:頴娃城築城始まる
  • 1471年(文明3年):頴娃兼正菩提寺・大通寺を創建
  • 1533年(天文2年):4代領主兼洪指宿の地頭に任命される
  • 1546年(天文15年):ポルトガル人商人・ジョルジ・アルヴァレスが頴娃城と思われる城郭を訪問
  • 1554年(天文23年):6代頴娃兼堅 島津貴久と同盟を結ぶ
  • 天正年間:7代頴娃久虎 島津氏と九州各地で共に戦う
  • 1587年(天正15年):久虎 頴娃城を改築
  • 1588年(天正16年):8代 頴娃久音谷山に移される
  • 1604年(慶長9年):島津氏による地頭制度の開始
  • 1615年(元和元年):一国一城令、廃城に

頴娃城の口コミ情報

2024年08月27日 mootze
頴娃城

頴娃城は、南九州市にあります、車で行くと、細い道ですが、本丸近くまで、行けます。縄張りは第一曲輪、第二曲輪、第三曲輪、第四曲輪があり、枡形も備えてあります、北側に向けて張り出し、南側が搦手になってます、空堀も薩摩らしく、深く入り組んでいます 第一曲輪には、鹿児島には珍しく石積み土塁があり、建物跡の礎石もあります 余談ですが、近くの薩摩の一宮である枚聞神社からは開聞岳の景色も最高でした

2023年09月29日 薩摩安房守義弘維新斎
頴娃城



頴娃城址は、別名を獅子城、野首城と呼ばれていた城で、この周辺を治めていた頴娃氏が15世紀に築城したもの。城跡は、頴娃町と指宿市の境にあり、荷辛路峠を車で行くと最終処分場の手前に小さい城の案内板が設置されています。

本丸への道を歩いているとヤブ蚊がつきまとって城の探索ができないぐらい飛んできます。本丸は、ちゃんと草刈りが行き届いて整備されているため、石積みの石垣や土塁を確認できます。また、木々が林立して確認し難いですが、空堀も確認できます。

この城は、1546年に日本へ寄港したポルトガル商人がここを訪れ、フランシスコ・ザビエルに伝えたようで、何とヨーロッパで最初に紹介された城とか。更に、城には、3層5階の天守が造営されていた記録があるようです。

こういう歴史ある城跡なので、南九州市を訪れた際には、是非とも攻略してみて下さい。

2019年05月15日 右近衛少将初霜
頴娃城

曲輪や空堀などハッキリと残っているので
もう少し整備して欲しい...。

2019年01月15日 稲刈準備中の征夷大将軍クララ姫
頴娃城

【犬連れ宿泊情報】
頴娃城下指宿市、九州最南端のペンション『菜の花館』さん。かけ流しの塩辛く茶色い天然温泉と開聞岳の絶景がタマリマセンでした。オーナーご夫婦も親切で、飼い猫ちゃんも歓迎してくれます。

頴娃城の周辺スポット情報

 搦手口(遺構・復元物)

 本丸登口(遺構・復元物)

 本丸曲輪(遺構・復元物)

 本丸土塁(遺構・復元物)

 本丸と第二曲輪の間の空堀(遺構・復元物)

 第四曲輪脇の虎口(遺構・復元物)

 説明板(碑・説明板)

 頴娃城案内板(碑・説明板)

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