給黎城(きいれじょう)

給黎城の基本情報

通称・別名

喜入城

所在地

鹿児島県鹿児島市喜入町

旧国名

薩摩国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

給黎(伊作)有通

築城年

建久年間(1190〜1199)頃

主な改修者

主な城主

給黎氏、伊集院氏、蒲生宣清、喜入氏、肝付氏

廃城年

遺構

曲輪[本城、北之城、南ヶ城]、腰曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

説明板

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給黎城の口コミ情報

2023年07月09日 SHIN
給黎城

2023.04.14リア攻め。攻略難度高いです。城の東にある旧麓ふれあい広場に説明板はありますが縄張りしか書いてなく、ルートは分かりません。城下の麓からはアクセスの道は見つけられなかったので、城の西側に進みました。突き当りの水源地まで行っても、アクセスできそうな道はなし。🏯マークの真西、一番道路に近接している辺りで上を見ると、多分切削地だろうと思われたので、よじ登れる所を探し、青竹が繁茂している何とか登れそうな斜面(高台の右側)を発見。竹にしがみつきながら7〜8m上がると曲輪?のような平地、および土塁?みたいな構造があり、城であることを体感できました。ただ、まだ落城してなかったので、さらに本丸の方向に進軍。本丸と思われる山周囲を少し歩きましたが、どこからもとても登れそうになかったので、本丸登城は断念しました。リア攻めは、本丸の山際で何とか記録できました。あまりお勧めしませんが、西から攻める場合は、生傷、泥まみれを覚悟してください。長袖、手袋は必須、脚絆も装着がいいでしょう。

2018年09月19日 カーネル
給黎城

民家の生垣にあった城の案内図は、旧麓田の田の神に移設されてキレイになってます

そこの地図に書かれた城山を探して、南方神社の北側の道を登り、畑地にでて道が90度左に曲がっている場所に路駐。先に進むと、左側の山が段丘になってるようにも見え、南ヶ城かとも思うが、かなりの藪なので気づかないふりをする
道の右側も削平されているように見えるが藪なので・・・。車に戻ると畑仕事をしていたお姉さんが挨拶してくれたので、城の事を聞くと、以前に、城の調査に来ていた団体が、あの山に登っていたと、道の右側の山を教えてくれた

知ってしまったので行くことに。まずは山の背後の藪道に行くと、案内の通りにでっかい堀がありました(気のせいだったかも)
舗装路に戻り、アプリの本丸マークがついた山に登る。団体さんが登ったくらいなので、他にキレイな道があると思いつつも、体感の傾斜が垂直である山肌を5-6mくらい登る。とキレイに土塁が残ってました(投稿しました)

車に戻り、土塁がよかったとお姉さんに報告するとジュースをいただいてしまいました。ありがとうございました

2013年06月13日 征夷大将軍 速水右近
給黎城

写真にある道は車が通れない事はないが大変狭い。たまたま役所の人に現地で会ったが特に何もないですと言われました。

2012年01月19日 初代征夷大将軍天下一の号
給黎城

案内板はありますが、城としての遺構はハッキリしません。

給黎城の周辺スポット情報

 肝付家仮屋(周辺城郭)

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