薩摩街道・出水筋
薩摩街道・出水筋([串木野城 その他])
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薩摩街道・出水筋の口コミ情報
2023年03月02日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
鹿児島県の【薩摩街道・出水筋】♪今日は街道の話になります♪リア攻めに付けたスポットの場所は芹ヶ野の看板のある場所です♪
薩摩街道は薩摩藩の鹿児島城から肥後藩の熊本城を経由して福岡藩が領有した筑前国・山家宿までを結ぶ街道になります♪江戸時代では参勤交代のルートの1つとしても使用され、現在に見る道路の建設以前の街道としては鹿児島の陸上交通の大動脈でもありました♪
※余談ですが筑前国・山家宿で日田街道と交差し、長崎街道と合流します♪いずれも、九州の大動脈になりますね♪
古くからこの薩摩街道は存在していた様で、古代の薩摩街道は景行天皇の九州平定ルートだった様です♪コレは伝承になるんですが、そんな古くからあったんだぁ〜と♪感慨深いものが込み上げました♪
大和朝廷時代の薩摩街道は官道♪七道の1つであり西海道の1部でありました♪
安土桃山時代の薩摩街道は豊臣秀吉の島津氏征伐(1587)のルートがにもなっています♪薩摩街道を豊臣軍20万余の大軍団を率いて進んだという訳です☆
この時、秀吉は下関から佐敷まで1ヶ月掛け薩摩街道を南下しました☆佐敷からは海路で出水へ☆川内(泰平寺)に本陣を張りました☆この時、弟の秀長は日向街道沿いに侵攻しました☆
江戸時代の薩摩街道は九州諸大名の参勤交代のルートとなっています☆薩摩の島津家・八代の松井家、人吉の相良家、肥後の細川家、柳川の立花家、久留米の有馬家ら6藩が利用しました☆
更には幕末の薩摩街道は大久保利通や西郷隆盛なども使用したルートで、西南戦争(1877年)の際、薩摩軍が北上したルートとなります☆また、薩摩藩主・島津斉彬の養女篤姫の嫁入りルートでもあります♪17才の篤姫が徳川将軍家(13代目・徳川家定)へ嫁ぐ為に薩摩から薩摩街道を経て江戸へ2ヶ月がかりで向かいました♪
多くの旅人を見守ってきた薩摩街道♪
今も出水筋は、その名残を見せます♪
北口屋橋は、肥後の石工『岩永三五郎』が建築しました♪十里塚には榎が残っていました♪