野間ノ関(薩摩街道)

野間ノ関(薩摩街道)([出水城  その他])

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野間ノ関(薩摩街道)の口コミ情報

2023年03月01日 龍馬備中守【】


鹿児島県の出水市にある野間ノ関(薩摩街道)薩摩街道の出水筋に存在しました♪薩摩3代関所(大口筋・小川内関、高岡筋・去川関と、この出水筋・野間ノ関)の1つであり江戸時代には、薩摩国と肥後国の国境の関所となります♪

野間之関が設けられたのは、関ヶ原の戦い(1600年)前後と云われています♪
島津4兄弟の次男・島津義弘(17代目島津家当主)は国境の警備を出水の地頭達に任せています♪

江戸時代は、各藩の自由な通行を禁止して、国境には関所を設けているのですが、徳川幕府の時代は年を経る毎に全国の関所の警備は次第に緩やかになっていったとされています☆戦が無くなっていく、即ち徳川幕府の力が全国に行き渡っていったという、裏付けです☆が、しかしここ野間之関というと通行の取締りを緩めない事で、その厳しさは全国に知られていました☆

ここで足止めされた人の中には江戸時代の後期、尊王思想家・高山彦九郎や、歴史学者の頼山陽もいます♪高山彦九郎は『薩摩びと,いかにやいかに,刈萱の関もとざさぬ世とは知らずや』と約3週間も入国を許されなかった関所の厳しさを歌に書き残しています☆

薩摩街道は筑紫平野から熊本平野、八代平野を抜け八代海に出た後に九州山地、国見山地、出水山地東端の山間を通る街道です♪江戸時代には薩摩藩、八代藩、人吉藩、肥後藩、柳川藩、久留米藩の各藩の参勤交代の道として利用されました♪

時が進み、明治維新で廃藩置県がおこなわれると、野間之関も廃止となっています♪薩摩国と肥後国の国境地は薩摩国にとって要となる、関所でありました♪

因みに…石碑にある文字『野間之関趾』は、東郷平八郎元帥の書となります☆

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