高尾城(たかおじょう)
高尾城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 熊本県葦北郡芦北町北町
旧国名
- 肥後国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 戦国時代
主な改修者
- -
主な城主
- 酒井氏(相良氏家臣)
廃城年
- -
遺構
- 曲輪
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
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高尾城の解説文
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概要
高尾城跡は、熊本県葦北郡芦北町大字告の桑沢見地区にある「城平」という字名を残す標高421.3mの山稜に位置する。山稜の西側には球磨川支流の漆口川、東側には告川が流れ、告川を境として対岸は球磨郡である。城主名は相良家臣の酒井蔵人氏勝と伝わるが、築城年代や廃絶時期などは不明である。
遺構
山頂部分は主軸を南北方向に呈する幅15m、長さ100m弱の平坦地で、全体的に削平は明瞭でないが、北側の段差上には十分な削平が認められる曲輪があり、主郭部と考えられる。地元では山頂部分を「城」、「城のとっぺん」と称する。平坦地は四方を切岸に囲まれ、南、北側にはそれぞれ2段の小曲輪、西側には帯曲輪が付き、東側は急斜面となっている。特に南側は岩場を利用した切岸直下に幅1.5mの小堀切があり、さらにその奥には幅4mの堀切が施されるなど厳重に防備されている。北東及び北西方向に派生する尾根への備えは未確認である。
山頂部分の周囲に見られる石積みについては、山頂周辺では戦前まで木場打ちが行われ、斜面には杉が植林されている状況から、城当時のものかは断定できない。木場打ちの際に山頂部分からは陶器や擂鉢片が出土したといい、埋蔵金や白米洗馬の伝説のほか、怪奇現象の場との伝承がある。集落からのかつての登城路は「這坂(へさか)越」と称される急傾斜の道であったが、現在は舗装された林道が近くまで通じている。