鍋城(なべじょう)

鍋城の基本情報

通称・別名

鍋倉城

所在地

熊本県球磨郡多良木町黒肥地字鍋城

旧国名

肥後国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

上相良氏

築城年

鎌倉時代

主な改修者

主な城主

上相良氏、相良氏、税所源兵衛尉

廃城年

不明

遺構

曲輪、石垣、堀切

指定文化財

町史跡

再建造物

周辺の城

赤池城(熊本県人吉市)[17.5km]
人吉城(熊本県人吉市)[17.7km]
渡利城(熊本県球磨郡)[21.9km]
向山城(宮崎県東臼杵郡)[25.9km]
飯野城(宮崎県えびの市)[26.5km]

鍋城の解説文

鍋城(なべじょう)は、熊本県に存在した中世の山城。

概要
熊本県球磨郡多良木町黒肥地字鍋城の丘陵南端の標高222mに位置する。東西にそれぞれ小椎川と栖山川が流れ、南麓で合流している。南西側の登城口に大手下の字名が残る。丘上にはかつて長さ43m、底幅5.5mの堀切があり、南側が本丸と二の丸の2区画に分かれていた。

歴史
当城は上球磨の要地にあり、古くから上相良氏(多良木氏)の本拠地だった。文安5年(1448年)に多良木頼観・頼仙が永留長続に雀ケ森で討ち取られると、上相良氏は滅亡した。これにより相良氏本宗は長続が継ぎ、多良木氏の旧領は子の頼泰に与えられた。

長享元年(1487年)に陰謀が発覚して頼泰が殺されると、多良木城や鍋城は宗家の相良為続の支配下に戻った。天文14年(1545年)には、頼泰の孫で八代岡の地頭・相良治頼を推戴して人吉衆が反乱を起そうとしたが、計画が漏れて治頼は鍋城に拠ろうとした。しかし城代の税所源兵衛尉が入城を拒み、治頼は耳取原で戦って敗れた。永禄2年(1559年)の獺野原の戦いでは東長兄ら人吉勢が当城を本拠とし、湯前城の丸目頼美らに対峙している。

参考文献
角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典(43.熊本県)』、角川書店、1987年

鍋城の口コミ情報

初代征夷大将軍天下一の号様[2012年02月12日]
石垣は残っていますが、城は竹やぶで覆われてしまっています。

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