小川城(おがわじょう)
小川城の基本情報
通称・別名
- 小川館、米良氏屋敷
所在地
- 宮崎県児湯郡西米良村小川字囲(小川城址公園)
旧国名
- 日向国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 米良則重
築城年
- 承応年間(1652〜1654)
主な改修者
- -
主な城主
- 米良(菊池)氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、石垣
指定文化財
- -
再建造物
- 城郭風建造物(小川民俗資料館)、説明板
周辺の城
-
三納城(宮崎県西都市)[17.8km]
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都於郡城(宮崎県西都市)[24.5km]
八代城(宮崎県東諸県郡)[25.4km]
高城(宮崎県児湯郡)[25.6km]
綾城(宮崎県東諸県郡)[25.9km]
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鍋城(熊本県球磨郡)[27.2km]
佐土原城(宮崎県宮崎市)[28.6km]
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小川城の解説文
[引用元:Wikipedia「小川城」の項目]
小川城(おがわじょう)は、宮崎県児湯郡西米良村(明治以前は肥後国球磨郡)小川字囲にあった江戸時代の日本の城(居館)。肥後菊池氏の末裔を名乗る米良荘領主・米良氏の居城[1]。
概要
一ツ瀬川の支流・小川川左岸の山際にある。江戸時代中期の承応年間(1652年~1655年)に米良則重が築城し、幕末の米良則忠の代まで約200年に渡って米良氏の居城となった。城の北西には引退した城主が居住する「隠居所」が造られ、石垣が残っている。城跡は、県内でも古い時期に造られた小川小学校・中学校の敷地となっていたが、1989年(平成元年)に廃校となり、石碑のみが残る。
1990年(平成2年)に北西の隠居所跡が「小川城址公園」として整備され、城郭風建築の「小川民俗資料館(おがわ作小屋村)」などが建てられている。
参考文献
- 寺原重次 2003 「資料館と語り部の庄(西米良村)」(https://www.pref.miyazaki.lg.jp/miyazaki-bunkashinko/fudoki.html)『平成みやざき風土記101』pp.179-180 宮崎県文化振興課
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小川城の口コミ情報
2017年09月23日 島津大隅守龍伯
小川城
西米良村の一番の観光施設で回りは何もないですが、城内には食事どころと宿泊施設もあります。
ただ大変なのがここまでのリア攻めでとくに須木城からになると最短ルート酷道265からになると40キロくらい何もないところを行かされ車1台分しかない道路になります。西都か人吉方面から迂回することを薦めます。