小林城(こばやしじょう)
小林城の基本情報
通称・別名
- 三ツ山城、三ノ山城、三山城、宇賀城
所在地
- 宮崎県小林市真方下之馬場
旧国名
- 日向国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- なし
築城主
- 米良重方
築城年
- 永禄9年(1566)
主な改修者
- 川上忠兄
主な城主
- 米良氏、島津氏
廃城年
- 元和元年(1615)
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
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小林城の解説文
小林城の口コミ情報
2021年01月31日 常司内蔵允祐久
小林城
「大手橋」から入って、真っ直ぐ上に上がると山之神を祀る神社あり。案内板横から入れます。上で左右に分かれます。左は空堀を通って三ノ丸、二ノ丸を回って本丸へ。右は本丸直通です。空堀の通り道は整備されており歩きやすいですが、地面が柔らかい(ふわふわしてます)ところがあるので足軽ごっこする際は転倒注意(経験者談)。城郭周辺には民家があり道も狭いため、住人の方に迷惑が掛からないよう、節度を持って楽しみましょう!
遺構
丘の西・北・東の三方に石氷川が流れて自然の外堀、東方・南方は絶壁で天然の要害となっている。山上に本丸、西方に二の丸・三の丸の跡があり、そのほかに郭や空堀の跡もある。歴史
永禄7年(1564)島津領主第15代島津貴久は2男義弘(忠平)を飯野城へ置いた。永禄9年(1566)伊東義祐は三ツ山に塁(小林城)を築き、須木領主米良筑後守を首将として飯野城攻撃を計るが、逆に島津軍はこの城を先制攻撃。貴久の長男義久が首将となり、2男義弘は水ノ手から、3男歳久は大手口から攻めたが落城せず、飯野に退去した。その後、天正4年(1576)に島津氏が高原城を攻略し落城した。小林城も戦いを交えることなく降って島津氏の領有するところとなるが、元和元年(1615)の一国一城令によって廃城となる。ただし家臣団の集落は残存し、地頭仮屋跡に標柱が建立されているほか、上ノ馬場・下ノ馬場・向江馬場等、麓集落の地名が残っている。