安永城(やすながじょう)

安永城の基本情報

通称・別名

鶴翼城

所在地

宮崎県都城市庄内町12730

旧国名

日向国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

北郷敏久

築城年

応仁2年(1468)

主な改修者

主な城主

北郷氏、伊集院氏

廃城年

元和元年(1615)

遺構

曲輪[内城・新城・今城・金石城]、土塁、堀切

指定文化財

市史跡(安永城跡)

再建造物

説明板

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安永城の解説文

※この城郭は2017年4月6日に名称と位置が変更となりました。

霧島山系から派生した諏訪原台地の先端部、庄内川とその支流小田川の合流点近くに立地する。

都城島津家に伝わる「安永城図」によると、「本丸」・「二之丸」(一部破壊)・「金石」(ほとんど破壊)・「取添」の4つの曲輪から成り、大手口は「本丸」と「二之丸」の間に、搦手口は「金石」と「取添」の間にあった。

4つの曲輪のほか、城の北方約600mのところに堀切の痕跡が見られる。これは現在「外堀」と呼ばれ、両側の谷により台地が挟まったところを利用して東西に直線状に掘られている。

安永城は、この「外堀」以南の台地全域の約30haが城域であると推定される。

この城は、応仁2年(1468)に北郷氏6代敏久が築いたと伝わる。北郷氏が祁答院に転封された文禄4年(1595)頃まで、北郷氏から分かれた源左衛門家が代々城主として配置された。

北郷氏に替わり伊集院氏が都城に入ると、安永城も伊集院氏の家臣が在城した。慶長4年(1599)の庄内合戦においては、ここも戦場となったと伝わる。

北郷氏の都城復帰後は地頭が配置されるが、元和元年(1615)の一国一城令により廃城となった。

情報提供:都城市教育委員会

安永城の口コミ情報

やさぐれ征夷大将軍やなんちゅ様[2017年05月05日]
南洲神社の急な階段を登り境内社の裏に一段と高い所が主郭にあたり登ってみると児童公園になっており遊具で子供が遊んでおり地元の方が宴会をしてました!
反対側から車で登って来られる道がありました!
堀や土塁が残りかつてはお城だったと感じさせます!

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