龍虎城(りゅうこじょう)

龍虎城の基本情報

通称・別名

竜虎城、財部城、北俣城

所在地

鹿児島県曽於市財部町南俣字城山

旧国名

大隅国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

財部正信

築城年

永正4年(1507)

主な改修者

主な城主

財部氏

廃城年

遺構

曲輪、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

碑、説明板

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龍虎城の解説文

龍虎城は、財部六郎正信によって築城された。城は、12の砦から成り、その形はあたかも虎が伏し、龍がひるがえっている姿に似ていることから龍虎城と命名されたといわれる。別に財部城とも北俣城とも呼ばれる。

城内は本丸、二ノ丸、財部城、飯池、池ノ上、小城、桜城、中丸、外城、野頸、松尾、和田尾の12の郭から成り、要塞堅固な城であった。面積は8ヘクタールで、本丸は現在の忠霊塔のある台地に、中丸は正面入口の階段を登った頂上に築かれていた。

財部六郎正信の後は、猪俣新左衛門、新納近江守忠続、北郷讃岐守忠相等が領した。

慶長4年(1599)の庄内の乱(庄内合戦)の際は伊集院忠棟入道幸侃の甥である伊集院甚吉が守将となった。城は島津勢の攻撃にも落城せず、最後まで抵抗した。龍虎城の降伏をもって庄内の乱は終わった。

元和元年(1615)の一国一城の令により廃城となったが、現在も山城として原型をとどめており、財部のシンボルとなっている。

情報提供:曽於市教育委員会社会教育


龍虎城の口コミ情報

2021年11月27日 横山日向守忠篤
龍虎城



流石は庄内の乱で島津勢の猛攻を受けても最後まで落ちなかった城だけに南国らしいシラス台地を削り作られたような独特の遺構(曲輪、空堀、土塁など)が残ってました。車での城攻めも容易で軽なら大手門から直接入れます。大きい車は城跡内の運動公園の駐車場からすぐ行けますよ。

龍虎城の周辺スポット情報

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