日輪城(にちりんじょう)

日輪城の基本情報

通称・別名

恒吉城

所在地

鹿児島県曽於市大隅町恒吉囲他

旧国名

大隅国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

恒吉大膳亮

築城年

鎌倉時代前期

主な改修者

主な城主

恒吉氏、山田氏、島津氏、肝付氏、北郷氏、伊集院氏、寺山氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

市史跡(恒吉城跡)

再建造物

碑、説明板

周辺の城

西原城(鹿児島県鹿屋市)[5.8km]
廻城(鹿児島県霧島市)[12.2km]
松山城(鹿児島県志布志市)[12.7km]
北原城(鹿児島県鹿屋市)[15.1km]
黒棚城(鹿児島県曽於市)[15.4km]

日輪城の解説文

恒吉城跡は、大隅町恒吉の麓にある中世の山城で築城年代は不明である。城内は日輪城、東高城、西高城から成り、それぞれ大きな空堀で仕切られている。日輪城跡は、他の二つの城郭と比較すると、周囲が絶壁で囲まれており、全体の群郭を総括する本城的な位置付けであったと推定される。城内には、曲輪、土塁、空堀、虎口、畝状竪堀群等が良好に残り、戦国期最終末期の姿を残す城郭である。

天文14年(1545)山田久時が領主の時、肝付兼続の攻撃で落城したのを契機に度々領主が入れ替わるようになり、文禄4年(1595)には伊集院幸侃(こうかん)の所領となる。

慶長4年(1599)の庄内の乱(庄内合戦)では、都城を本城とする十二外城の一つとして機能し、伊集院宗右衛門が守将として入った。同年6月22日島津図書忠長、樺山権左衛門久高、柏原将監公盛が3,000人を率いて恒吉城を攻撃したが、城壁堅固で容易に落ちなかったという。同月25日、久高の説得により開城、宗右衛門は都城に退去した。開城後、寺山四郎左衛門久兼が入城し、乱終結後、久兼がそのまま恒吉郷の初代地頭となった。

情報提供:曽於市教育委員会社会教育課

日輪城の口コミ情報

一寸榎周防守様[2017年06月13日]
日輪城(恒吉城)には恒吉地区公民館に車をとめ登城できます。登ってすぐの曲輪に案内図があり、恒吉城縄張り図のパンフレットもありました。要所に矢印と案内図があり、迷わず進めました。ただ所々で道が悪い場所や滑りやすい所もあったので気をつけて。なおⅠ群(日輪城)は現在立ち入り禁止になっております。

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