蓬原城(ふつはらじょう)

蓬原城の基本情報

通称・別名

所在地

鹿児島県志布志市有明町蓬原字出水、神領

旧国名

日向国

分類・構造

丘城

天守構造

築城主

救仁院成直?

築城年

12世紀後期

主な改修者

主な城主

救仁郷氏、大寺氏、新納氏、豊州島津氏、肝付氏、野辺氏、伊集院氏(島津氏家臣)

廃城年

元和元年(1615)

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

市史跡(蓬原城跡)

再建造物

説明板

周辺の城

志布志城(鹿児島県志布志市)[7.4km]
松山城(鹿児島県志布志市)[10.5km]
日輪城(鹿児島県曽於市)[16.2km]
西原城(鹿児島県鹿屋市)[17.4km]
高山城(鹿児島県肝属郡)[19.8km]

蓬原城の解説文

※この城郭は2019年4月6日に名称と位置が変更となりました。

蓬原城(ふつはらじょう)は鹿児島県志布志市有明町蓬原にあった城である。

遺構
志布志湾に注ぐ菱田川右岸のシラス台地に位置する。

城域は東西80m、南北200mほどの大きさで、上・中・下の3つの曲輪から構成され、各曲輪間は空堀で仕切られている(『現板』)。南端に位置する曲輪が主郭である。

菱田川に面する東側は断崖となっており、また、河川の改修が行われる以前は豪雨の度に周辺が水没し、湖に浮かぶ孤島のような状態となった(『大系』、『現板』)とされ、単純な縄張りながらも沼城のような自然条件を活かして要害性を確保している。

歴史
築城年は不明ながら、建久8年(1197)には文書にその存在が記されている(『大系』)ことから、それ以前の築城と考えられる。

蓬原城は諸縣郡救仁郷(くにごう)を治めていた救仁郷氏の居城であった。正平14年〔南朝〕/延文4年〔北朝〕(1359)、島津氏久によって救仁郷氏が滅ぼされると、その後は島津氏と肝付氏の抗争の舞台となり度々城主が変わるが、天正6年(1576)、肝付氏を追放した島津義久の領するところとなった(『大系』、『現板』)。

義久が豊臣秀吉に降伏した後の文禄3年(1594)に行なわれた検地により城は取り払われたとされるが(『大系』)、『現板』では一国一城令によって廃城になったとしている。

交通
JR日南線志布志駅から車で約15分

参考文献
『現板』:蓬原城跡現地説明板。
『大系』:『日本城郭大系 第18巻』新人物往来社、1980年。
『志サ』:志布志市公式サイト(http://www.city.shibushi.lg.jp/)。

蓬原城の口コミ情報

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