高山城(こうやまじょう)

高山城の基本情報

通称・別名

本城、高山本城、山之城、肝付城

所在地

鹿児島県肝属郡肝付町新富本城

旧国名

大隅国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

平兼俊

築城年

長元9年(1036)

主な改修者

主な城主

肝付氏(平氏)

廃城年

天正8年(1580)

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)、枡形虎口

指定文化財

国史跡(高山城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

鹿屋城(鹿児島県鹿屋市)[14.0km]
北原城(鹿児島県鹿屋市)[15.3km]
勝尾城(鹿児島県肝属郡)[17.8km]
志布志城(鹿児島県志布志市)[23.1km]
西原城(鹿児島県鹿屋市)[27.5km]

高山城の解説文

高山城(こうやまじょう)は、鹿児島県肝属郡肝付町新富本城にある城。形式は山城に属する。別名「肝付城」。国の史跡。

沿革
平安時代末期、島津荘の弁財使(荘園監督官)に任じられた平兼貞の子孫が土着しこの地に定住したことが始まりと伝える。現在に残るような壮大な城郭が調えられた時期ははっきりしないが、南北朝時代、戦国時代の争乱に備えるため城郭が形成されたと考えられる。

兼貞の子・兼俊は「肝付氏」を名乗る。肝付氏は12世紀から約400年間、ここを拠点として大隅国の最大領主であった。肝付兼続の時に薩摩国の最大領主であった島津氏と日向国の最大領主であった伊東氏の間で巧みにバランスよく立ち回り肝付氏の絶頂期を築くが、やがて島津氏と対立して天正元年(1573年)に高山城は落城。その後も領地を大幅に縮小したものの引き続き肝付氏はこの地の領主を務めたが、天正8年(1580年)に肝付氏は阿多(現南さつま市金峰町)に移封され、高山城は廃城となった。また、外城としての機能は、支城であった弓張城に高山麓が設置されて遷移した。

遺構
城の縄張りは、南に本城川、北に栗山川、西は高山川、東はシラス台地の急崖という「天然の要害」に立地していた。更に山地から南西方向に伸びる丘陵地と横切って空堀を作り廓を形成した。

現状だが、大手門と搦手門の跡には看板が立っており、本丸・二の丸・三の丸などの状況も区別しやすい状況で残っている。但し本丸は原型が崩れかかっている。

建造物の類は全く残っていない。

高山城の口コミ情報

常陸入道ねんさい和泉守様[2014年05月29日]
本城小学校跡地に駐車場もあり、高山城跡の名称案内がある。向かいには飲み物やパン、お菓子などを置いた店がある。
駐車場の先に説明板がありその先の山が高山城である。曲輪と空堀がよく残るが奥の曲輪は道が分からず行けなかった。

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