高山城(こうやまじょう)

高山城の基本情報

通称・別名

本城、高山本城、山之城、肝付城

所在地

鹿児島県肝属郡肝付町新富本城

旧国名

大隅国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

平兼俊

築城年

長元9年(1036)

主な改修者

主な城主

肝付氏(平氏)

廃城年

天正8年(1580)

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)、枡形虎口

指定文化財

国史跡(高山城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

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高山城の解説文

概要
高山城跡は、鹿児島県肝属郡高山町新富に所在し、現況の殆どは山林です。北流する高山川から本城川が合流する地点の北側にあり、北方を栗山川に接しています。

標高82mを最高所とする東から西に延びるシラス台地の先端を主とする城跡です。昭和20年2月22日に国指定史跡にされており、本城・肝付城・山ノ城とも呼ばれています。

歴史
伴兼俊が肝属郡弁済使として肝属に移り肝付姓を名乗ったのが長元9年(1036)といわれそのときに築城したとの説がありますが、時期については不明です。ただ、鎌倉時代末期及び室町時代には肝付氏の居城として鎌倉幕府のご家人である島津氏との抗争の中心として存在していました。

肝付氏は南北朝時代の争乱期には南朝方の中心的な役割を果たして島津氏との抗争に明け暮れ、各地で数々の戦いが行われています。天正4年(1576)肝付氏は島津氏に降伏し天正8年(1580)阿多(金峰町)に移されました。

遺構
肝属川支流の高山川に本城川が合流する地点北東側で、南は本城川、北は栗山川、西は高山川に囲まれており、東は台地に続いています。

中核部は馬乗り馬場と呼ばれ南東から北西に通る大きな空堀、搦手道と呼ばれ南北に通る空堀、中央を東西に通る空堀があり、それらの空堀の廻りに本丸、桝形、二の丸、山伏城、奥曲輪と呼ばれる手の入った曲輪があります。これらには土塁があります。

曲輪に桝形という名称がついたのがありますが、その曲輪と本丸と二の丸の間で空堀が交差しており、ここが本丸虎口の前面でもあり、桝形に相当したもので本来はこの空間の名称だったものが、移動したのであろうと思われます。本丸と二の丸は各2段で、虎口を思わせる遺構があります。

以上の6つの曲輪とその周囲にある幅の広い空堀が当城の主体部です。

大手は主体部の西側、二の丸の北で、搦手は主体部の南側で、本丸と二の丸の間にあります。二の丸の南にある小曲輪の南の道は細くなっており、馬一列しか通れないということで、一騎通しといい、二の丸の西南端下に湯沸場跡、中核部の直ぐ西北に大来目神社があります。中核部の東側には広大な曲輪が6段あります。

提供:肝付町教育委員会生涯学習課

高山城の口コミ情報

2014年05月29日 【隠者】史学会一兵卒
高山城

本城小学校跡地に駐車場もあり、高山城跡の名称案内がある。向かいには飲み物やパン、お菓子などを置いた店がある。
駐車場の先に説明板がありその先の山が高山城である。曲輪と空堀がよく残るが奥の曲輪は道が分からず行けなかった。


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