櫛間城(くしまじょう)

櫛間城の基本情報

通称・別名

所在地

宮崎県串間市大字西方字上ノ城

旧国名

日向国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

野辺忠盛

築城年

建武年間(1334〜1336)

主な改修者

主な城主

野辺氏、伊作氏、島津氏、秋月氏

廃城年

慶長9年(1604)

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

なし

周辺の城

志布志城(鹿児島県志布志市)[12.4km]
南郷城(宮崎県日南市)[14.9km]
酒谷城(宮崎県日南市)[16.5km]
飫肥城(宮崎県日南市)[19.8km]
蓬原城(鹿児島県志布志市)[19.8km]
松山城(鹿児島県志布志市)[22.0km]
郷之原城(宮崎県日南市)[26.5km]
樺山城(宮崎県北諸県郡)[29.1km]
高山城(鹿児島県肝属郡)[31.5km]
祝吉御所(宮崎県都城市)[31.8km]

櫛間城の解説文



櫛間城(くしまじょう)は、宮崎県串間市西方(日向国那珂郡櫛間院)にあった日本の城(平山城)。

歴史 

築城年代は明らかではないが、鎌倉時代後期頃、関東から鎌倉御家人として当地に下向した地頭職の野辺久盛が本拠地として築城したと云われる。

南北朝時代には野辺盛忠の本拠地で島津貞久や畠山直顕ら歴代の守護に抵抗したが、1339年(延元4年/暦応2年)に陥落した。盛忠以後は、盛房が城主となり、盛仁の代まで7代に渡り野辺氏が居城したが、足利義昭事件を契機に野辺氏は衰退し、櫛間城をあとにする。

室町時代後期には島津氏の影響下に入り、同氏の一族である伊作家が伊作城から櫛間城に転封された。伊作久逸は伊東祐国と結んで反乱を起こすが、伊東祐国が戦死すると降伏して伊作に戻され、代わりに同じ島津氏の一族である豊州家が入った(飫肥城主を兼ねる)。その後、島津氏・肝付氏・伊東氏による攻防が繰り広げられるが、豊臣政権の九州国分によって筑前国秋月氏がこの地に移された。秋月種長が一時居城としたが、関ヶ原の戦い後に財部城を新たな本拠としたため、1604年(慶長9年)に廃城となった。

東側に福島川、西側に天神川が流れる南北に伸びたシラス台地の丘陵上にあり、南北1.2キロメートル・東西0.4キロメートルの区画に13もしくは14の曲輪があり、1991年(平成3年)以降発掘調査が行われている。その結果、建物の遺構のみならず、中国や東南アジアなどからの輸入品を含む陶磁器をはじめ、銭貨・石製品・小刀などが発掘されている。

参考文献 

  • 「日本歴史地名大系第46巻・宮崎県の地名」(平凡社、1997年11月12日初版第1刷)ISBN 4-582-49046-8 P493「櫛間城跡」

櫛間城の口コミ情報

2025年05月11日 尼崎城安芸守一口城主
櫛間城



[進軍編]
JR日南線串間駅から駅前にあった道の駅くしまに立ち寄り情報収集ℹ️してから出陣。櫛間城の行き方や西林院というお寺にかつての領主の秋月氏のお墓があることが分かったので城熱が上がってきました⤴️
串間駅や道の駅くしま方面から国道220号を北上し警察署の前を通り過ぎてしばらくすると、道の駅の方に教えてもらった通りラーメン屋さんの所から国道に逸れた道を進みます。目印はラーメン屋さん🍜と上町3丁目バス停🚏の間にあった上ノ城工業団地の道標(写真①)です。今までお城巡りをしてきた中で、城跡だけで建物は残っていない場所でも地名に「城」の字が往時の名残で残っている所が全国各地に数多くあったので期待が膨らんできました‼️
写真①の道標通り進んで行くと、直進して坂道を進むか右折するか岐路に立ちましたが、直感で不自然に高低差がついている方の坂道(写真②)に縄張りの痕跡の名残を感じ直進を選択。直進ルートを少し歩んで振り返ってみるとフラットな道が不自然に途中で数m上がっています(写真③)
この選択とタイミング、口コミを書きながら自分で自分を褒めたくなってきました😅丁度、外出しようとされている地元の方🚙とバッタリ出会い、車の窓を開けて「どこに行くんね?」と問われたので櫛間城跡ですと回答したところ、この先100か150m位先に高いフェンスがあってその左側に説明板🪧があるよと教えて貰いました✌️地元の方がいう通り先に進むと遊具やトイレ等のある<上ノ城農工団地緑地公園>(写真④)の先に説明板(写真⑤:全体、写真⑥:上空写真ズーム🔍)がありました。(※公園の名前をGマップで確認したところ<串間農工団地公園>となっていました。リア攻め予定の方は、この公園を目的地に設定し、すぐ近くにある説明板で予習してからの見学がおすすめです‼️)
説明板から写真②、③の道は曲輪間の高低差の痕跡であることが読み取れ個人的に満足しました✨
帰路は日南線で続100名城の志布志に向かうために日向北方駅に移動。道中、説明板の説明文中盤に「北側と東側は切り立った崖でその外側には福島川が流れており敵の侵入を防ぐ役割を果たしています。」とあったので福島川北側から櫛間城を撮影(写真⑦:上町橋(国道220号)と日南線の鉄橋間で撮影📷)
日向北方駅ホームからも標高25mの櫛間城が見えていました(写真⑧)⛰️ 当日は進軍時に日向北方駅→串間を一旦乗車通過していたのですが線路が城跡を横断していることなど思いもよりませんでした😅
志布志に移動してから訪れた志布志埋蔵文化センターでの志布志城紹介動画🎥の中で何度も櫛間城が出てきて感激してしまいました。中世〜戦国期にかけ南九州の激しい攻防の舞台の一つの城郭だっとのことでした⚔️

2025年05月11日 尼崎城安芸守一口城主
櫛間城



[西林院・秋月氏のお墓参り編]
進軍編で載せた櫛間城案内板から案内図及び櫛間城跡縄張り図をズーム🔍(写真①)案内図の案内板地点から左斜め下に西林院が見えています。(少しだけ脱線すると縄張り図の右下にお城ファンならファンの方が多いと思いますが千田先生の名前があります👨🏻‍🏫説明板ですが令和6(2024)年度の支援事業で出来たようで綺麗でした✨)
元に戻って、案内図では西林院は確認出来るものの行き方が分かりづらくどうしようかと思案していると、案内板付近の家の方が庭に出ているのが見えたので挨拶をして行き方を教えて貰いました。案内図の櫛間城跡案内板の黒丸⚫️地点から左に進み、近所の方に通行許可を得た砂利広場(法人の資材置き場&駐車場と思われます)を通り抜け、西林院に向かって左端の林の中に歩けそうな道(写真②)があったので進んでいくと文字通り櫛間城の主郭から見て西の林の中に西林院・秋月氏のお墓🪦がありました。秋月氏のお墓は低いブロック塀に囲まれた境内の一角にありました(写真③)。西林院や秋月氏のお墓へのアクセスは一本の道しかないので、お参りに進むと説明板裏を通ることになります。見落としてまっすぐ進むと本堂に着きます。
墓地内の説明板横の標柱(写真④)には櫛間城跡と秋月氏の墓と示されていました。説明板(写真⑤)を読むと秋月氏は秀吉の命により筑前秋月(福岡県朝倉市)から串間に移ったとのことでした。墓所を正面から(写真⑥)と横から(写真⑦)撮影。秋月種実公親子のお墓周りには家臣団のお墓があり、今も静かに3人を見守っている様子が印象的でした。周囲のお墓の中には宝篋印塔があり、秋月氏一族又は重臣のお墓であるように思われます🤔
最後に説明板に高鍋の地名が出てきて、秋月氏&高鍋で何か思い当たるなと思って確認したところ、後世秋月氏から高鍋6代種美公の次男で上杉家に養子に行く名君鷹山公が誕生しています🎋🐦

2023年06月05日 順☆散歩征夷大将軍215+11
櫛間城



縄張図を見ると城域はかなり広く、確かにその半分以上は破壊されてしまっているものの、工業団地の北側を中心にそこそこ広範囲に遺構が残っていることが航空写真や地形図でもある程度は確認することができます。

で、実際に訪城してみるとですね、「遺構の宝箱やー!」と叫びたくなるほどの、郭・土塁・堀・切岸の数々で、自分の想像を遥かに超える良物件でした。

いろんな意味で工業団地側からだと入り込めそうな場所がほぼなく、表面的に少ししか遺構を見ることができません。がっつり見るには、ぐるーっと回って北側の森林組合があるほうから侵入するのがお手軽です。森林組合の敷地と農地の間に作業道がありますからそこを進み、突き当たりの薮に突撃していただきますと…

すぐに大きな堀切があり、感動で悶えることができます。そしてその堀切の奥はめっちゃ広い横堀(ここも堀切と言えば堀切ですが)となり、どこまで続いてんの?ってくらい長ーく続いています。凄すぎて全米が泣くレベルです。

そして堀切や横堀の周辺にはいくつかの郭があり、その郭はさらに2~3の高さの異なる区画から構成されていたりするので探索していて変化があって楽しい。最初の堀切の右側の郭の奥には高さ2~3mの、左側の郭の奥には3~4m以上ありそうな土塁が残っており土塁ファン大歓喜。

正直それなりに薮化しているのであまり写真映えしませんし万人にもオススメできませんが、素敵すぎる遺構に出会えますから薮なんかヘーキって方にはぜひ生で見てもらいたいです。実物は写真で見るより薮度は高いですけど百戦錬磨のメグラーさんなら無問題。物理的に行くのを躊躇われるところもあったので自分は全てのエリアを散策できたわけではありませんが、それでも広大な薮の中を1時間歩き回りました。西林院の辺りも城域ですし、城域全てを見ようとすると2時間以上かかっちゃうかもしれません。

ちなみに、1974~1978年に撮影されたという航空写真(ネットですぐ見られます)を見ると、郭がほぼ全てそのまま残っているのがわかります。つまり櫛間城は比較的最近になって破壊されているわけで、保存・整備されていればなぁと残念ではありますが仕方ないですね。残ってる部分だけでも十分堪能できますよ。

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