飫肥城(おびじょう)
飫肥城の基本情報
通称・別名
- 舞鶴城
所在地
- 宮崎県日南市飫肥10-1
旧国名
- 日向国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- なし
築城主
- 土持氏
築城年
- 正平年間(1346〜1370)
主な改修者
- 伊東祐兵
主な城主
- 土持氏、新納氏、伊東氏
廃城年
- 明治4年(1871)
遺構
- 曲輪、石垣
指定文化財
- 国重要伝統的建造物群保存地区(日南市飫肥重要伝統的建造物群保存地区)、市史跡(飫肥城)
再建造物
- 御殿、櫓門、門、塀、石碑、説明板
周辺の城
-
酒谷城(宮崎県日南市)[4.7km]
郷之原城(宮崎県日南市)[6.9km]
南郷城(宮崎県日南市)[8.9km]
櫛間城(宮崎県串間市)[19.8km]
紫波洲崎城(宮崎県宮崎市)[21.7km]
樺山城(宮崎県北諸県郡)[22.9km]
田野城(宮崎県宮崎市)[25.4km]
山之口城(宮崎県都城市)[25.8km]
清武城(宮崎県宮崎市)[26.7km]
祝吉御所(宮崎県都城市)[26.8km]
日本100名城・続日本100名城スタンプ情報
番号・名称
- 96 飫肥城
設置場所
- 飫肥城歴史資料館[地図]
飫肥城の解説文
[引用元:Wikipedia「飫肥城」の項目]
飫肥城(おびじょう)は、宮崎県日南市飫肥(日向国南部)にあった日本の城。江戸時代は伊東氏飫肥藩の藩庁として繁栄した。酒谷川北岸、シラス台地の地形を利用して曲輪を幾つも並べた[1]群郭式の平山城である。伊東四十八城の一つ。
歴史・沿革
南北朝~戦国時代
飫肥の地は、酒谷川河口の油津港(油津|あぶらつ)と河川舟運で結ばれた要地であり、江戸時代には良材として知られた飫肥杉を積み出した。飫肥城は南北朝時代に、土持氏[2]が築城したのが始まりと伝えられ、飫肥院とも呼ばれていた。時代は下って、室町時代末期の長禄2年(1458年)、九州制覇を狙う薩摩国の戦国大名島津氏が、日向の中・北部で鎌倉時代から勢力を蓄えてきた伊東氏の南下に備えて、島津氏の一族で志布志城主だった新納忠続を飫肥城に入城させた。
戦国初期は島津氏の属城で、初めは築城主の土持氏が治めていた。1484年(文明16年)、伊東氏が飫肥に侵攻し、当時の当主である伊東祐国が戦死してしまうと、伊東氏の本格侵攻を恐れた島津氏は、領土の割譲と戦の原因となった飫肥城主の交代(このときより飫肥城は島津豊州家の支配となる)によって急場を凌いだ。しかし、当主を失った伊東氏の飫肥城にかける執念は凄まじく、その後も伊東氏による飫肥侵攻が断続的に続けられることとなる。
伊東義祐(祐国の孫)は1544年(天文13年)に飫肥城攻めを始め、1560年(永禄3年)には室町幕府将軍足利義輝が和議を仲介したが、1562年(永禄5年)には飫肥城を手に入れた。子の伊東祐兵に飫肥の地を与えた。しかし、1572年(元亀3年)に伊東氏が木崎原の戦いに敗れて衰退し始めると、島津氏は日向で勢力を拡大。1576年(天正4年)に飫肥城を再び支配下に収めた。
一時飫肥を失った伊東祐兵は豊臣秀吉に仕えて、1587年(天正15年)の九州平定では先導役を務めた。島津氏が豊臣政権に降伏したため、祐兵は翌1588年(天正16年)に飫肥城主に返り咲いた。以後の伊東氏は、関ヶ原の戦いでは九州では数少ない東軍側として働くなど巧みに立ち回り、廃藩置県で飫肥藩が廃止されるまで一貫して飫肥の地で家名を全うした。伊東氏と島津氏の飫肥城争奪戦は100年以上の長きにわたった。
江戸時代
城郭考古学者の千田嘉博によると、飫肥城は、垂直方向に切ると安定するシラス台地の特性を生かして城壁となし、堀や曲輪、石垣をもうけた。江戸時代前期には三度の大きな地震に見舞われて大規模な補修が行なわれ、1691年(元禄4年)に堀と石垣の修復が終わり、1693年(元禄6年)には御殿が完成した。この過程で本丸を現在地に移してその前に桝形の役目を担う石垣を築くなど、織豊政権以来の東海地方・畿内の城づくりが取り入れられた。
城下町も発展して現代まで当時の風情を残し、飫肥地区は重要伝統的建造物群保存地区に選定されている(後述)。
現代
近年では1978年に大手門が復元されたほか、城内御殿を模した歴史資料館が木造で建設されている。ただしこれらは元の外観資料がなく、形は考証によるものであり、史実通りの復元ではない。また、本丸跡には日南市立飫肥小学校(藩校「振徳堂」が前身)が建てられている。
NHK連続テレビ小説『わかば』のロケ地にもなった。 2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(96番)に選定された。
なお飫肥城下町は1977年(昭和52年)、国(文部大臣)により九州・沖縄地方で最初の重要伝統的建造物群保存地区として選定された[3]。保存地区内には城下町時代の道路や地割が良好に保存され、石垣、土塀、生垣で囲まれた武家屋敷跡が残る。地区内には飫肥城跡のほか、最後の藩主・伊東祐帰が住んだ邸宅(豫章館)、振徳堂のほか五百禩(いおし)神社、日露戦争講和の立役者である小村寿太郎の生家などがある。
脚注・出典
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飫肥城の口コミ情報
2024年10月15日 かめ左京大夫ゆみ
飫肥城
さすが100名城、城下町も残っていますし、飫肥城歴史資料館の展示もよい。飫肥が豊かなことがよく分かる。敷地内の杉の木もよい。
2024年07月09日 毛利のクマ弾正少弼
飫肥城
城下町がよく整備されていて時間があればゆっくり歩いてみたい街並みです。
2024年03月08日 下総守あかね局
飫肥城
車の場合、大手門手前の駐車場に停められます。ゆっくり回っても1時間から1時間半程で見られます。
2023年09月22日 龍造寺日向守シュン
飫肥城
飫肥城初登城でした。駐車場にある案内所で先ずはご城印を購入!から歩き城門を潜り抜けると大きな石垣に囲まれた虎口を通り抜け資料館へ。当日は蒸暑く32度以上あったが資料館内はクーラーがギンギンに掛かって折り幸せな一時を過ごせました。本丸跡を降りて直ぐに、しあわせ杉なるパワースポットがあり癒されて来ました🌲
2023年07月01日 虹雷 大宰大弐 サンダー
飫肥城
街並みがとても素晴らしいところです。緩やかな坂道を登ると大手門や大きな松の木々が迎えてくれます。本丸跡はとくに松と苔が綺麗でとても印象に残る城跡です。スタッフの方が苔への水遣りを丁寧に行われており、大切に手入れされているのがよくわかります。
志布志城とセットで訪問してされる方も多いと思います。是非飫肥にて宿泊し街並みも楽しんでいただきたいです。
2023年03月26日 えみーご
飫肥城
とても素晴らしいお城でした。幸せの杉という4本の杉があり、その対角線の交わるところがパワースポットだということで、そこに立ってパワーをもらいました。
2022年12月23日 藤野筑前守鷹虎
飫肥城
駐車場は広く無料です。杉の木だらけの不思議な感じの城跡になってます
2022年08月19日 あっきい宮内大輔
飫肥城
初めての宮崎県。
一泊2日の行程最後に登城。
途中の予定が狂ってしまい、到着したのは17時過ぎ、御城印も100名城スタンプも攻略できず。駐車場は無料で、大手門からもすぐで便利でした。
2022年07月25日 ❀おのま❀
飫肥城
ナビによってはお城の裏に案内されてしまいます😅お城の外堀もあり、大手門も見応えあり、石階段も素敵でした😍
2022年07月03日 左兵衛督ストリーム
飫肥城
御城印は駐車場管理事務所で販売されています。
2022年05月29日 尾張守ポニョ衛門
飫肥城
緑豊かで静かな城です。都会の喧騒を忘れられます。
2021年09月26日 ふみ
飫肥城
拝観施設は、9月30日まで、休館です。残念です。
2021年07月03日 yasu
飫肥城
城下町から雰囲気があります。小雨だったのでタクシー利用760円でした。大手門から入ろうとすると、小学生の団体が続々と出てきて、「こんにちはー。」の挨拶が嬉しかったです。石階段の階段が滑り易くなってるのでお気を付けて下さい。
そして本丸はまさに緑の世界!見惚れてしまいました。ただ虫が多いので虫除けスプレー持参して下さい。しあわせの杉も立派!是非しあわせを願って下さい。
2021年01月29日 役行者河内守武さん
飫肥城
駅からレンタサイクル(500円)で、城下町を周りました。歩くと坂がそれなりにあるので、電動自転車は良いです。城跡も良いですし、城下の雰囲気も良いです。今は状況が悪いから休業されている店は多いですが。また、訪れたい場所です。
2020年09月23日 たまぴー大膳大夫
飫肥城
日南市中心部から車でさほどかかりません。
駐車場は無料でそれなりに広いですが、かなり人気があるのか、一杯になってました。
コロナの影響で土産物屋さんなどは微妙な営業でしたが、大通りの厚焼き卵焼きのお店などは通常営業でした。午後早くに売り切れてましたので、行くなら午前中ですね。
飫肥城は復元大手門、堀、石垣があり、かなり状態がいい感じです。
2020年08月09日 夜猫☆関白
駐車場[飫肥城 駐車場]
おび天蔵前を左折した観光案内所奥にありまます。トイレもあります。
2019年03月13日 本田左兵衛尉家吉
飫肥城
飫肥城下町で行われているイベント「食べ歩き・町歩き」お薦めです。飫肥名物のおび天や厚焼きや姫アイス、寿太郎巻きで、お得に腹ごしらえできます。飫肥駅前の観光案内所や各歴史施設で購入できます。
2018年10月08日 フー甲斐守
飫肥城
宮崎空港から郷之原、飫肥城に抜ける道は台風の影響で枝や石が道路全体に散らばり、かなり酷道となっています。おいでの際はくれぐれもお気をつけ下さい(^o^)
2018年07月16日 織田上総介晃司
飫肥城
大手門前に観光駐車場(無料)あります。
飫肥城を散策した後、大手門そばの店で飫肥名物、おび天と厚焼き卵を食べる。
宮崎市から飫肥に向かう途中のサンメッセ日南にモアイ像が並んでて日南の海とマッチしてます。
サンメッセ日南の近くに鵜戸神宮がありカープが優勝祈願に訪れ、運玉を投げ入れてます。
飫肥城から南へ下ると2018年2月に真っ赤にリニューアルした油津駅がありカープファンの観光地化となってます。
油津駅の近くにカープの春季、秋季キャンプを行う天福球場があります。
飫肥城の口コミからカープの口コミになってしまい申し訳ありませんでした。
2017年07月26日 源山城守@ポンコ2…
飫肥城
宮崎市内から海岸沿に車を走らせ、日南市内手前で内陸に向かい、1時間少しで飫肥城駐車場(無料)に到着。
飫肥城は蛇行する酒谷川に面した小丘陵の上に築かれた平山城、城域は周囲2.5kmにも及ぶ広さと、本丸・中の丸・西の丸等の周囲を空堀で囲んでいたとか。
駐車場から武家屋敷や資料館が両側にある広小路を通ると目の前に復元された白壁櫓門式の大手門。
その前の土橋左右に空堀が一部残ってます。
大手門を潜ると飫肥石の切込ハギで築かれた石垣と塀に囲われた桝形虎口に、左手の小高い場所に松尾の丸があります。
大手門から松尾の丸、旧本丸に至る道は飫肥杉と苔に、石段と石垣、城壁が重なり、伊東氏と島津氏の攻防戦が繰り広げられた舞台を感じさせつつ、落ち着きのある雰囲気です。
江戸時代初期に3度の地震で本丸が今の飫肥小学校敷地に移ったのも、その場所が時代に合わせた変遷を表してます。
旧本丸跡は松尾の丸北側に残っており、そこに至る石段と虎口、石垣、それを取り囲む土塁も残っています。
旧本丸は、復元された北門とともに、飫肥杉の林に苔の絨毯が真夏でも涼しさ、そして癒される場所でした。
2017年05月08日 五瓜ニ唐花紋太政大臣や~きみ
飫肥城
城下町も城跡もいいですね。
鹿児島側から回ってくると何十キロも町のない山道走った挙げ句に飫肥の町がある印象でした。
正直ガソリンはヒヤヒヤでしたが。
ここは観光客沢山でした。
駐車場あり。
お土産屋さんも食事も充実してるし、地元の食べ物もいいです。
2016年12月20日 権大納言土佐っ子
飫肥城
大手門の前に立ち、左右を眺めると空堀。かつては二倍の深さがあったようです。
大手門を過ぎて左に折れ、階段を登ります。階段には荷の上げ下ろしのため板?を渡すための溝が二本掘ってあります。よく見てみてください。
そこを上がると正面に石垣。この石垣は輪を描くように組まれており、大変珍しいです。
そこから左側に明治期に植えられた杉並木。苔とのコントラストが素晴らしいです。さらにその上が島津時代に使われた本丸。ここも同様に杉並木&苔。
伊東時代の本丸はその反対側で現在小学校になっています。ここにあった書院は豫章館という城下にある施設に移築され現存しています。
苔といえば城下に服部植物研究所というところがあり、苔の研修者で有名な方が開いた施設があり、見学無料です。
城下の石垣もよく残っており、電信柱も埋設するなど雰囲気はとても良いです。ゆっくり時間を取って城下町の町並みも堪能したい城跡です。
2015年09月26日 鎌倉又兵衛《》勘解由長官
飫肥城
やはり飫肥城の一番の名物は、本丸で学ぶ礼儀正しい小学生たち!平日の登下校時の城攻めをお薦めします!(*^^*)
2015年08月10日 なおちゃん日向守柴田隊
飫肥城
食べ歩きの厚焼き卵はお勧めです( ・∇・)
2013年01月06日 June02
飫肥城
約2年ぶりとなる飫肥城でしたが、『鯉の泳ぐ通り』がある御徒町が変わってました。
昨年から、鯉ヘルペス?により放流を見合せている様子。
当面は、放流中止の継続だそうです。
やっぱり、雰囲気が違います。鯉が泳ぐ、泳がないのでは…。
城下町の風情を担う?鯉の遊泳復帰を願っております。
朝日浴びる旧本丸虎口と大杉、美しかったですよ。
その写真をアップします。写りは、イマイチですけど。
2012年08月19日 大宰少弐ためぞう
飫肥城
城、城下町、「食べ歩き」を全部回ると結構な量を歩きます。8月に回ったため、汗だくに…
2012年08月19日 はとがや日向守
飫肥城
日本100名城のスタンプは本丸にある歴史資料館の入口で押せます。スタンプは受付の人が保管しているので、声をかけて出してもらいます。ちなみに資料館に入場しなくてもスタンプは押せますが、必見の資料が展示されていますので、ぜひ見学してください!
2012年02月11日 初代征夷大将軍天下一の号
飫肥城
城下町の「食べあるき・町あるき」というお得なシステムや四半的の試射も出来て楽しめる♪
2011年08月27日 ブイシカ摂政
飫肥城
南九州の奥地に、思ったより大規模な縄張りにまず驚かされる。石垣も巨大強固で、後世の天下普請の城にひけをとらない。島津との対立から明治維新まで国境に兵力を展開し続けた伊東家の飫肥領に対する強い意志が飫肥城には感じられる。
藩財政を潤す特産品となった巨大な飫肥杉が林立する旧本丸は地面の苔と相俟って、旅の疲れを癒やしてくれる。
2011年02月13日 June02
飫肥城
個人的に好きな城下町のひとつで、7年ぶり4度目です。飫肥城の見所は櫓門(大手門)ですが、参道正面視より、空堀を含めた斜視の方が復元とはいえ、重厚さを感じます。お気に入りは、櫓門から中の丸に至る迄の登城(資料館裏手)で、癒されてしまいます。
本丸跡は小学校校庭であり、休み時間ともなれば賑やかになり現実に引き戻され、また、桝形虎口のある旧本丸跡は、大杉が林立して、一層静寂感を与えてくれます。
城下町は、小さいですが町割りよろしく楽しめます。
写真は熟考の末、御城下徒町の鯉の泳ぐ通りにしました。
2010年06月30日 北左衛門佐信愛
飫肥城
城跡もさることながら、町並みもかなりイイ雰囲気です。