志布志城(しぶしじょう)

志布志城の基本情報

通称・別名

所在地

鹿児島県志布志市志布志町帖字松尾他

旧国名

日向国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

救仁院氏

築城年

保安年間(1120〜1124)

主な改修者

主な城主

救仁院氏、楡井氏、畠山氏、新納氏、肝属氏、鎌田氏

廃城年

元和元年(1615)

遺構

曲輪[内城・松尾城・高城・新城]、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

国史跡(志布志城跡)

再建造物

碑、説明板

周辺の城

蓬原城(鹿児島県志布志市)[7.4km]
松山城(鹿児島県志布志市)[12.3km]
櫛間城(宮崎県串間市)[12.4km]
恒吉城(鹿児島県曽於市)[22.3km]
高山城(鹿児島県肝属郡)[23.0km]
酒谷城(宮崎県日南市)[23.6km]
西原城(鹿児島県鹿屋市)[24.4km]
南郷城(宮崎県日南市)[26.0km]
都城(宮崎県都城市)[26.4km]
樺山城(宮崎県北諸県郡)[26.9km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

(続)197 志布志城

設置場所

志布志市埋蔵文化財センター[地図

志布志城の解説文



志布志城(しぶしじょう)は、鹿児島県志布志市志布志町(日向国諸県郡救仁院志布志)[1]にあった中世の日本の城(山城)。国の史跡。

沿革 

築城年代は不明であるが、南北朝時代からこの地が戦乱に巻き込まれたことに伴い次第に拡充されていったと考えられる。名前がはっきりしているところで12世紀から救仁院氏、楡井氏、畠山氏、新納氏、肝付氏と次々と城主が変わった。守護大名・島津氏久が本拠としたこともある。

1577年(天正5年)、志布志は島津氏の直轄地となり、初代の地頭として鎌田政近が任命された。その後も外城として重要な役割を果たしたものの、一国一城令で廃城となった。しかし、建物が無くなっただけで石垣などは破壊されなかったらしい。

1993年(平成5年)3月24日に内城(うちじょう)跡が鹿児島県指定史跡になり、さらに2005年(平成17年)7月14日に国の史跡に指定された[2]。志布志城主新納是久の娘島津常盤(梅窓院)がいる。2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(197番)に選定された。

構造 

志布志市街地を囲む全ての山が志布志城と言っても過言ではなく、志布志小学校の裏山の「内城」、その西側の山にある「松尾城」、志布志中学校前の「高城」と「新城」という4つの城を総称して志布志城と呼ばれていた。「内城」は南北600メートル東西300メートル、6つの廓からなり、その間は空堀で遮る構造となっている。

本丸等一部を除き未整備で立ち入りが困難である。本丸等一部の郭には解説版が設置されていて、大手口にパンフレットが置かれている。

志布志城の口コミ情報

2024年05月09日 RED副将軍
志布志城(松尾城)跡[志布志城  遺構・復元物]



志布志城の築城当初の主城🏯

続日本100名城

内城・松尾城・高城・新城の四つの城郭で構成される志布志城のひとつ。

築城年代は不詳。
志布志の歴史は古く、1026年に平季基により開かれた大荘園島津荘の港として発展したのが始まりとされます。
1189年より救仁院氏が当地を治めており、救仁院氏による築城とされます。
南北朝時代には楡井頼仲が南朝方として日向国から大隅国にかけての志布志城、大姶良城、加瀬田城を領有したとされ、この頃の志布志城は既に松尾城と内城が存在していた事が分かっています。
しかし北朝方より派遣された畠山直顕と禰寝氏との争いに敗れて落城。楡井頼仲は胡麻ヶ崎城へと退くも自害し楡井氏は滅亡。
その後、1358年に畠山直顕は穆佐城で菊地氏に敗れて衰退。志布志城は島津元久が領有し家臣の新納実久が入城しました。
1458年、新納忠続は伊東氏の南進に備えるために飫肥城へと移りましたが、その後に伊東氏に飫肥城を奪われると志布志城の城主に復帰。
1538年、新納忠勝は都城城の北郷忠相、串間城の島津忠朝の侵攻により降伏。新納氏の所領は北郷氏と豊州島津氏で分領となるも、1562年には肝付兼続が志布志城を落として所領としました。
1577年に肝付氏が島津氏に降伏すると志布志城には島津氏家臣の鎌田政近が入城。
1615年の一国一城令によって廃城となりました。

見所
前川河口部のシラス台地先端に位置し、内城の西側にある標高50mの台地上に築かれています。
内城が最も規模が大きく主城であったと思われますが、当初は松尾城が主城であったとされます。
南北に伸びる尾根上に築かれており、城内に入って直ぐにシラス台地を削った切り通し道が続きます。
数段の小郭を経て、最高所の主郭に連なります。
主郭は南北二段で北側背後に土塁と深さ10mの大堀切を設けて遮断。楡井頼仲の碑が立っています。
北側には更に二郭、三郭と続く様ですが、激ヤブであり進む事が出来ませんでした。

行き方は、志布志城の駐車場から西へ歩いて約100mに入り口の標柱が立っています。比高は30mほどです。

2024年05月09日 RED副将軍
志布志城



登録地である内城についての口コミです。

全国屈指の大規模な空堀が見事な日向と大隈の境目城🏯

続日本100名城

内城・松尾城・高城・新城の四つの城郭で構成される志布志城のひとつ。今回は最も規模の大きい内城の投稿です。

築城年代は不詳。
志布志の歴史は古く、1026年に平季基により開かれた大荘園島津荘の港として発展したのが始まりとされます。
1189年より救仁院氏が当地を治めており、救仁院氏による築城とされます。
南北朝時代には楡井頼仲が南朝方として日向国から大隅国にかけての志布志城、大姶良城、加瀬田城を領有したとされ、この頃の志布志城は既に松尾城と内城が存在していた事が分かっています。
しかし北朝方より派遣された畠山直顕と禰寝氏との争いに敗れて落城。楡井頼仲は胡麻ヶ崎城へと退くも自害し楡井氏は滅亡。
その後、1358年に畠山直顕は穆佐城で菊地氏に敗れて衰退。志布志城は島津元久が領有し家臣の新納実久が入城しました。
1458年、新納忠続は伊東氏の南進に備えるために飫肥城へと移りましたが、その後に伊東氏に飫肥城を奪われると志布志城の城主に復帰。
1538年、新納忠勝は都城城の北郷忠相、串間城の島津忠朝の侵攻により降伏。新納氏の所領は北郷氏と豊州島津氏で分領となるも、1562年には肝付兼続が志布志城を落として所領としました。
1577年に肝付氏が島津氏に降伏すると志布志城には島津氏家臣の鎌田政近が入城。
1615年の一国一城令によって廃城となりました。

見所
前川河口部のシラス台地先端に築かれています。
内城が最も規模が大きく主城であったと考えられており、6つの郭を巨大な空堀で区切っています。
シラス台地に深く掘られた空堀は全国屈指の規模であり、堀底は迷路の様な切通し道として機能。搦手の空堀は特に深く鋭いので必見です。
本丸北側背後には土塁が盛られ櫓があったとされ、現在は最高所に三宝荒神を祀られています。

国史跡に指定されており、専用駐車場が完備され、登城路も整備されています。

2024年03月25日 reipin
志布志市埋蔵文化財センター[志布志城  御城印]

ここでも御城印を買うことができます。(志布志駅の総合観光案内所にも同じものがあります)

2024年03月25日 reipin
志布志市総合観光案内所[志布志城  御城印]



主な歴代城主家紋入りの㈱宙の駅製御城印は、ここで入手可能

2024年03月08日 下総守あかね局
志布志城



車は小学校手前の観光用駐車場に停められます。トイレもあってかなり広めです。内城でしたら本丸付近を回っても1時間から1時間半程かかります。主要な所は看板があるので迷子にはならないと思います。

2024年01月02日 左京大夫さとー
志布志城



正月休み中は、続100名城スタンプが、志布志市役所志布志支所の警備員室前に設置されてます。

2023年08月26日 薩摩相模守義弘維新斎
志布志城



志布志城址(内城)
志布志城址は、内城、松尾城、高城、新城の4つの城郭です。車で行くと志布志小学校の片隅に駐車して、内城の登城口へ。
ちょうど台風通過後でもあって足下が悪いため、内城のみを攻略。
登城道を行くと急勾配で湿っており、歩くのが大変ですが、沢ガニがたくさんいて微笑ましいです。
登城道には、ちゃんと案内板が設置されているため、難なく内城を攻略できます。
しかし、登城口付近には民家の廃屋が何軒も放置されているのには驚きました。行政の方で何とか解体できないものかと思います。
鹿児島の城跡で散策するには、城跡の規模が大きいので興味深くオススメします。

2023年05月01日 noble伊予守弥勒菩薩
志布志城



ザ.シラス台地空堀なり。小田原城も感激したけど、ここも大感激!

2023年05月01日 みーしか備前守
志布志城

月曜日で埋蔵文化財センターが休みなので市役所で職員さんに尋ねたところ、休館日でもスタンプは押せるとのことでした。城郭符(御城印)は駅の観光案内所で販売しています。

2023年04月26日 契丹
志布志城



百名城スタンプのある場所から城跡までは少し距離があります。整地が十分にされていないところがあります。

2022年12月02日 源越中守@ポンコ2…
志布志城(内城)跡[志布志城  遺構・復元物]



志布志小学校に隣接する公衆トイレ付駐車場に駐車しました。

そこから平山氏庭園沿いを北に進むと、志布志城(内城)跡入口の標識があります。比高は目測で30㍍ほどかと。この付近が大手口で、廃屋の間の通路を抜けた先の志布志内城散策コースマップを撮影して臨みました。パンフは見つけられずでした。

坂道は木のスリップがありますが所々外れてたりしており、またスリップなく落ち葉を踏みしめ滑りやすいところもあるので、仕事後のため革靴でいきましたが、足元はそれなりの用意があったほうがよいです。季節柄、草や虫は心配不要で、登城に適してます。

大手口から最寄りの曲輪は矢倉場で、矢倉場の切岸の鋭さが草の間から見えるシラスとともに感じられます。虎口から矢倉場に入ると、隣接の小学校から児童の声が聞こえました。
矢倉場を下り横堀へ。高さ10㍍はありそうな深さの横掘で、圧倒されました。
横堀を進みT字路右折、虎口から本丸に上がると、本丸に曲輪下3段の案内板があり、案内板は下段で周囲に土塁が残っており、下段より少し高い部分が上段、三宝荒神がある矢倉台と思わしき高さや規模の土塁があります。三宝荒神前を倒木が塞いでたため、上がりませんでした。

本丸を下り、横堀を中野久尾のほうに進むと、岩盤を下まで切り取ったような、かなりの高さがある竪堀が目に入り、思わず息を吞みました。深い横堀の堀底道もさることながら、岩盤を切り下げた切岸など、これ直登ムリやなと心理的な圧迫感を感じました。
本丸と中野久尾との間の堀切で、バサッときっており、これは中尾久尾と中野久尾、中尾久尾と大野久尾の間でも見られるため、曲輪を切って切って連ねてというのが築城主の思想のようです。中野久尾には、L字の折れの虎口となっており、桝形のようでした。

大野久尾は堀切のみで上がらずに退散しましたが、所要時間1時間ちょっとでは全て回れなかったのが残念無念また来年で、足腰が元気なうちに今回行けずの松尾城など含め、また再訪したいと思わせる城址でした。
深い横堀にシラス岩盤むき出しの切岸、途中途中に散策コースマップがあるものの、自分がどこにいるのかわからない迷路のようか感覚で、常陸小幡城とは似ているようでまた違う凄みを感じました。

2021年10月29日 たか加賀守astro
志布志城(内城)跡[志布志城  遺構・復元物]



比較的によく手入れされていて本丸他まで入ることができます。が足元は悪いですので、しっかりした足回りのほうが良いでしょう。

2019年11月05日 raven
志布志城

志布志城の城郭印が数日前から販売開始されてます。
販売場所は志布志駅の観光案内所です。
11/3に購入した時点で、まだ2人目ということでした。

2019年07月28日 織田上総介晃司
志布志城

志布志小学校の横に観光者用の駐車場とトイレがあります。

内城、松尾城、高城、新城をまとめて志布志城といいます。今回、メインの内城をリア攻め。

案内板は至るところにありますが草も生えているのもあって迷いやすいので方向音痴のかたは2人以上で団体行動をしてください。

前日来の大雨で一部切岸が崩れてる箇所もあり全ては見ることができなかったですが、凄さは体感できました。松尾城は土砂崩れのため、立入禁止でした。(2019/7/26現在)

志布志城をリア攻めされるかたは水分は勿論の事、暑くても長袖、革手または軍手の準備はした方がいいです。

2019年04月30日 書き込み制限王
志布志市埋蔵文化財センター[志布志城  スタンプ]

4月30日、文化埋蔵センター休館です、志布志市役所支所の半地下受付にスタンプあります


2018年11月22日 
志布志城

昔に比べて(昔がだいぶ昔ですが)案内板とか散策路とかかなり整備されてて廻りやすくなってます。志布志小学校の手前にトイレ、駐車場もあるとは。
先の台風による西側の大空堀一帯の立入り禁止はまだ解除されてません(覗いた感じ大丈夫そうだけどちゃんと従います)が、東側の切岸底通路などは通行可なので内城から大野久尾まで通して歩けますし大空堀も見学可能です。足元スニーカーで充分ですが、ひっつき虫は噂通り凄いので上下の素材、綿や毛糸は避けたほうがよいかと。

2018年10月27日 ぴろり対馬守
志布志城

覚悟はしてましたがここまでとは!登城口の廃屋に圧倒されて思わず笑ってしまいました。観光ではなく、探検登山の装備で臨むべし。

2018年10月24日 みやび姫
志布志城

某は川口浩探検隊!という気持ちで臨めば本丸までちゃんと行けます!!文化財センターのお姉さんのおすすめコースを歩きましたが(プリントいただけます)、90分もかかりませんでした。が、倒木や朽ちた木を通り越さねばならないので、それなりの服装だけでなく軍手着用を強くお勧めします。直接行かれる方は、ナビを志布志小学校に。その脇に無料の駐車場が有ります。施錠無し。トイレも有ります。自販機は道挟んだ目の前に有ります。

2018年10月22日 治部卿PINKGIN
志布志城

スタンプは埋蔵文化センターが休みでしたが職員の方が隣の事務所にいるので押させてもらいました。城の方は至るところに倒木や薮があるので見て回るのに時間と体力が消耗します。あとは種子が下半身に嫌になるくらい沢山付きます(>_<)

2018年10月18日 さすらいの征夷大将軍慶誾尼☆寧
志布志城

↓追記( 服装アドバイス )

うちの田舎では"かんじん"と言ってましたが、虫ではないのに"ひっつき虫"と呼ぶらしいですね
服やバッグや靴や靴下とありとあらゆるものに総攻撃を受け、刺さって取りにくかった種!
サラサラのナイロン素材の服装で行きましょう〜

2018年10月17日 さすらいの征夷大将軍慶誾尼☆寧
志布志城

続100名城15城目にして、トップクラスの難関城に挑んでしまったのか…?!

台風24号の影響で倒木だらけ、スズメバチ注意の看板、蜘蛛の巣、足元が見えない……怖〜っ

整備されてないので『女、子供、方向音痴』は一人での観覧は控えた方が良いかと、、、
約二時間歩き回って、半分程しか観れなかったわ。
あと半分は足腰丈夫なうちにまた観に行かねば♪

2018年10月08日 フー甲斐守
志布志城

志布志城は見所一杯ですね。整備されていませんが、茨城県の小幡城に似た感じがありました。更に整備されてない良さもあります。
残念な事はやはり台風の影響で内城の一部が立ち入り禁止になっています。
まぁ何処が立ち入り禁止なのか、整備されてないので分からず、後から考えると私も結構踏み込んでたようですが(笑)戻って来れたので良しとしましょう。
案内板は至る所にありますが、分かりにくいので、迷子になりやすい方は一人では登らないように。帰って来れなくなりますよ。

2018年05月07日 馬秀のすけ
志布志城

4月28日に登城。志布志駅は無人だが、横の観光案内所でマップをもらってスタンプのある埋蔵文化財センターへの行き方教えてもらった。

城跡と反対方向なのが残念。埋蔵センターの女性の説明が良かったです。センターから内城までは徒歩30分。城内に看板があるので迷わないが、迷路ですわ。

2017年05月08日 五瓜ニ唐花紋太政大臣や~きみ
志布志城

新城とか内城とか何個か城が沢山あり、全てを含めて志布志城です。

町に駐車場がありそこに城の配置が書かれた看板ありますので、それを見て駐車場から歩いて書く城に行きましょう。

一つは中学校になっていたり、一つは草ぼうぼうだったり、内城は少し整備されてます。

2015年12月01日 カーネル
志布志城

志布志駅から内城へ。20分ちょい歩きます

市街地から城域に入ると雰囲気が一変。多くの曲輪と堀が圧巻です
道は入り組んでますが、要所に案内図があるので迷うことはないです。が全部見ようとすると、なかなかの距離を歩くことになりました

時間もあるので松尾城へ。平山氏庭園の前を西へ。松尾城入口の標識があるので登ります
こちらは、一本道で本丸へ。内城に比べるとさびしい感じ
下山後は、新城と高城跡である志布志中学校を不審者と思われないようにチラ見しながら、1周して駅へ向かいました。普通の学校でした

全部で2時間半で志布志駅に戻りました

歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです


2015年09月16日 コロ助
志布志城

志布志駅から内城大手口まで徒歩20分。

写真で一目惚れし、ずっと行きたくて勝手に期待を膨らませていましたが、実物は期待を軽々越えました。
素敵過ぎて溜め息ばかり。堀底から見上げる、絶壁の曲輪がカッコイイ!

2週間前に行ったのですが、中野久尾曲輪辺りに倒木、矢倉場辺りに倒竹?が多く、階段も流れた土や落葉で半分程埋まっていました。
小さな物ばかりですが、最近崩れた様な部分が数ヵ所。大野久尾曲輪は、私の肩ぐらいまで草がノビノビ。
何故か沢蟹がたくさん、踏まない様に注意。

内城と松尾城を回るつもりが、4時間弱で埋蔵文化財センターと内城だけ。
センターは志布志駅から徒歩15分(無料)。内城復元模型が立派なので時間があれば立ち寄ってもいいかもしれません。

コインロッカーは無いですが、観光案内所で預かって頂けます(17時まで)。
案内所の方は、17時ギリギリに荷物を取りに駆け込んだ、汗と雨と泥でグチャグチャの汚い私に「急いで受取りに来てくれたんですね。ありがとうございます。」と笑顔で仰る超いい人。お世話になりました。また伺いたいです!

2014年05月28日 【隠者】史学会帰新参
志布志城

国道220号線沿いの志布志高校の向かいに志布志市埋蔵文化財センターがあり志布志城の模型や資料を展示している。

志布志小学校の隣、平山庭園のそばに観光用の駐車場が整備されている。
トイレもある。
城内は木が生い茂った場所は昼間でも少し暗かった。各曲輪と曲輪間の空堀がよく残る。


2011年02月13日 June02
志布志城

内城は、4城のうち志布志城の主郭を成しています。
内城においては、各分岐点に案内板、遊歩道として整備されていますが、各廓間の空堀の為、起伏のある散策路となっています。本丸跡は、木々が乱立?、その他廓は平場で奥行があり、1時間強程で結構楽しめる城郭でした。
写真は、内城の大空堀趾です。
松尾城は、投棄ゴミの散乱により、他2城は時間の都合上、それぞれ断念しました。
また、城下の武家屋敷地区の武家門には風情を、湧水群には情緒を感じられます。
志布志駅観光案内所で、無料で自転車を借りれます。

志布志城の周辺スポット情報

 志布志城(松尾城)跡(遺構・復元物)

  志布志城(内城)跡(遺構・復元物)

 志布志城(高城)跡(遺構・復元物)

 矢倉場(遺構・復元物)

 曲輪3下段(遺構・復元物)

 内城跡入口(碑・説明板)

 内城跡説明板(碑・説明板)

 新納時久公の墓(寺社・史跡)

 三宝荒神(寺社・史跡)

 志布志市総合観光案内所(御城印)

 志布志市埋蔵文化財センター(御城印)

 志布志市埋蔵文化財センター(スタンプ)

 トイレ(トイレ)

 麓地区駐車場(駐車場)

 天水し庭園(その他)

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