志布志城(松尾城)跡

志布志城(松尾城)跡([志布志城  遺構・復元物])

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志布志城(松尾城)跡の口コミ情報

2025年05月20日 尼崎城近江守一口城主


[進軍&登城前半]
志布志城は志布志まちあるきマップ(写真①)のMAP上部の緑色(山・台地)エリアに記載のある通り右からメインの内城、松尾城、高城・新城跡に大まかに分けられるようです。
当日は志布志埋蔵文化財センターで見た動画から宝満寺跡の隈田原兄弟仁王像と信濃源氏の楡井氏の石碑が建っている松尾城が気になったのでまず先に仁王像(写真②)を見学。仁王像付近から前川越しに志布志城の山城群を撮影(写真③:写真①のMAP通り、右から内城、真ん中の山が松尾城、左側が高城・新城)
松尾城の登山口には案内と石碑<南朝忠臣楡井頼仲卿居城址松尾城入(口)>(写真④)がありました。真っ直ぐに進んで行きたいところですが、坂道を進むとすぐ右側に行くよう道標(写真⑤)があり道標通りに入城。往時は守備側も親切に道標など設けるはずがないので攻め手
もかなりの兵が城内で迷子になったような気がします💦
埋蔵文化財センターの方からの松尾城はあまり整美されていないですよとの話通り、進路は🌱写真⑥🎋の状態でしたが歩くスペースはあったので突破‼️ただ脇道(写真⑦)探検はやめておきました😅落ち葉は多いものの写真⑧の通り階段(遊歩道)を設けて下さっているのでそれを頼りに進めば無事に本丸へ辿り着けます。

2025年05月20日 尼崎城近江守一口城主


[城内散策後編]
城内に設けて頂いている道標や遊歩道に沿って本丸を目指していくと本丸付近に堀切(写真①②)が見られました。山頂付近ではロープ🪢(写真③)を頼りに迷子になっていないなと👍思いながら進み、本丸(写真④)に到着。山城入口から本丸まで、私の足で約5分で辿り着けました。本丸には信濃源氏の楡井頼仲卿之碑(写真⑤)がありました。石碑の裏側に説明文(写真⑥)があり昭和三年十一月十日に楡井氏が正五位を贈られたことや昭和十年二十五日に碑が建てられたことなどが刻まれていました。今年が昭和が始まって100年の節目の年なのでこの石碑は90年経っているんだなぁとしみじみ眺めると同時によく山城の上に石碑を運び上げたなぁと先人方の苦労に頭が下がる思いでした。石碑付近の祠(写真⑦)は誰が祀ってあるのか不明でしたがおそらくかつての城主の楡井氏ではないかと思い手を合わせました。
下山時、山城のほぼ垂直と言ってもいいくらいの切岸(写真⑧)に気付きました。もし戦で乗り込んでいたらほぼ真上から攻撃され、下からの反撃は高低差もあり、よじ登るのも無理なので防御力抜群の山城だったことが伺えます🤕

2024年05月09日 ᴿᴱᴰ 副将軍


志布志城の築城当初の主城🏯

続日本100名城

内城・松尾城・高城・新城の四つの城郭で構成される志布志城のひとつ。

築城年代は不詳。
志布志の歴史は古く、1026年に平季基により開かれた大荘園島津荘の港として発展したのが始まりとされます。
1189年より救仁院氏が当地を治めており、救仁院氏による築城とされます。
南北朝時代には楡井頼仲が南朝方として日向国から大隅国にかけての志布志城、大姶良城、加瀬田城を領有したとされ、この頃の志布志城は既に松尾城と内城が存在していた事が分かっています。
しかし北朝方より派遣された畠山直顕と禰寝氏との争いに敗れて落城。楡井頼仲は胡麻ヶ崎城へと退くも自害し楡井氏は滅亡。
その後、1358年に畠山直顕は穆佐城で菊地氏に敗れて衰退。志布志城は島津元久が領有し家臣の新納実久が入城しました。
1458年、新納忠続は伊東氏の南進に備えるために飫肥城へと移りましたが、その後に伊東氏に飫肥城を奪われると志布志城の城主に復帰。
1538年、新納忠勝は都城城の北郷忠相、串間城の島津忠朝の侵攻により降伏。新納氏の所領は北郷氏と豊州島津氏で分領となるも、1562年には肝付兼続が志布志城を落として所領としました。
1577年に肝付氏が島津氏に降伏すると志布志城には島津氏家臣の鎌田政近が入城。
1615年の一国一城令によって廃城となりました。

見所
前川河口部のシラス台地先端に位置し、内城の西側にある標高50mの台地上に築かれています。
内城が最も規模が大きく主城であったと思われますが、当初は松尾城が主城であったとされます。
南北に伸びる尾根上に築かれており、城内に入って直ぐにシラス台地を削った切り通し道が続きます。
数段の小郭を経て、最高所の主郭に連なります。
主郭は南北二段で北側背後に土塁と深さ10mの大堀切を設けて遮断。楡井頼仲の碑が立っています。
北側には更に二郭、三郭と続く様ですが、激ヤブであり進む事が出来ませんでした。

行き方は、志布志城の駐車場から西へ歩いて約100mに入り口の標柱が立っています。比高は30mほどです。

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