野首城

野首城([須木城  周辺城郭])

須木城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「野首城」の地図・口コミがご覧頂けます。

「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。

野首城の口コミ情報

2024年12月05日 昌幸近江守更に吉


小林市東方にある野首城。
別名を野久尾城・野頸城ともいいます。
築城年、築城者は不明ですが、日向伊東家最盛期に領内に存在した「伊東四十八城」の1つです。
永禄11年(1568)飫肥での戦いにおける戦後交渉の尽力により、米良重方が賜りました。
しかし木崎原の戦いで重方が戦死すると、伊東祐青の弟・新納伊豆守が新たな城主となりました。
島津家の攻勢が強くなっていくなか、天正4年(1576)米良重方の弟・矩重が本城・須木城だけでなくこの野首城も手土産として島津家に寝返ってしまいます。(新納伊豆守と確執があった?)以降島津の城として、元和元年(1615)の一国一城令の発令まで存在しました。

岩瀬川の岩峡に築かれた野首城の縄張りは、主副の郭を中心にかなりの土木量を用いた城になっています。
まず副郭は、兵の駐屯もしくは政務を行う場所と想定できる広さで井戸跡があります。尾根は岩瀬川に向かっていき、堀切を入れることにより侵攻を困難にしています。
主郭は腰郭からの進入が大手だったでしょう。腰郭の南にも尾根が伸び、多くの堀切が入っています。そして陸続きだった北側と西側は相当量の土木工事の二重堀が覆っていて主郭をガードしており、ここが見どころです。

車は標柱の近くに停めさせてもらいました。
リア攻めマップの野首城・標柱を参考にしてください。降りたら目の前はもう二重堀です。
遠方から訪れた者からすると、南九州の城=シラス台地の城のイメージを持ってしまいがちですが、やっぱり一緒くたでにはできないし、この地域の土木量と土の城の気合いをまざまざと見せつけられた気持ちでした。

【写真の説明】
①主郭-副郭間の堀
②副郭にある井戸跡
③副郭から伸びる尾根の堀切
④二重堀の真ん中の土塁から
⑤二重堀(外)。登り始めてすぐ、この土木量の遺構が見られる。
⑥二重堀(内)。左側が主郭、それと同等の高さを持つ土塁。
⑦カーブする二重堀(内)1
⑧カーブする二重堀(内)2

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore