岩屋城(いわやじょう)
岩屋城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 福岡県太宰府市観世音寺
旧国名
- 筑前国
分類・構造
- 山城
天守構造
- 不明
築城主
- 高橋鑑種
築城年
- 天文年間(1532〜1555)
主な改修者
- -
主な城主
- 高橋氏
廃城年
- 天正14年(1586)
遺構
- 曲輪、土塁、堀切
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
大宰府(福岡県太宰府市)[1.4km]
大野城(福岡県大野城市)[1.6km]
水城(福岡県太宰府市)[2.6km]
有智山城(福岡県太宰府市)[3.6km]
宝満城(福岡県太宰府市)[4.8km]
阿志岐山城(福岡県筑紫野市)[5.8km]
稲居塚城(福岡県福岡市)[7.0km]
高鳥居城(福岡県糟屋郡)[8.4km]
基肄城(佐賀県三養基郡)[9.1km]
岩門城(福岡県那珂川市)[9.4km]
岩屋城の解説文
[引用元:Wikipedia「岩屋城」の項目]
岩屋城(いわやじょう)は、福岡県太宰府市浦城(筑前国御笠郡)にあった日本の城(山城)。戦国時代末期の天正14年(1586年)、島津忠長率いる島津軍と大友軍の高橋紹運との壮絶な攻防戦(岩屋城の戦い)で知られる。
歴史
築城は天文年間(1532年 - 1554年)に大友氏の武将・高橋鑑種と伝えられ、立花城と共に大友家の筑前支配の拠点であった。しかし、高橋鑑種は主君・大友宗麟の傲慢な振る舞いに憤り、反旗を翻したために城を逐われ、大友家の宿老吉弘鑑理の二男鎮種が高橋氏の名跡を継いで「高橋鎮種」と名乗り宝満・岩屋の両城主となった。
天正13年(1585年)、立花城主の立花道雪の死去後、長男統虎が道雪の養子として立花城主となり、次男の統増が高橋家の本城である宝満城に入城し、一族三人で大友家の筑前での拠点防衛に就く。
天正14年(1586年)7月13日、筑前一帯を平定し、関白秀吉の九州襲来を阻まんとする島津氏が総勢2万にも及ぶ大軍で攻め寄せ、大宰府政庁跡の東隣にある観世音寺に陣を設けた。紹運(高橋鎮種の出家後の名)は七百余名と共に篭城。2週間の間頑強に抵抗したものの、各出城や砦が次々と陥落、虚空蔵砦を守備する福田民部少輔も討死するに及んだ。また、城主紹運も自ら薙刀を取り敵中に入ったが力尽き、敵陣に矢止めを乞うたのち高櫓の上に登り自害。残された将兵もあとを追い玉砕、天正14年7月27日落城。
紹運が高櫓の扉に書き残したとされる辞世の歌は、「屍をば岩屋の苔に埋みてぞ 雲居の空に名をとどむべき」
城跡から道を隔てた南西側に高橋紹運の墓がある。
城の構造
四王寺山(標高410メートル)の中腹(標高291メートル)にある。現在は堀切や土塁が残る。
参考文献
- 『福岡県の歴史散歩』山川出版社、1984年
- 太宰府市 編『太宰府市史』
- 森 弘子『太宰府発見』海鳥社、2003年、ISBN 4-87415-422-0
- 筑紫豊『だいふまいり』西日本新聞社、1976年
- 浦辺登『太宰府天満宮の定遠館』弦書房、2009年、ISBN 978-4-86329-026-6
- 三村講介「大内氏の筑前国御笠郡代・岩屋城督 ─千手興国を中心に─(http://www.city.dazaifu.lg.jp/download/nenpo6-41-48.pdf)」太宰府市市史資料室編集『年報太宰府学』第6号、太宰府市、2012年3月31日、pp.42-48
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岩屋城の口コミ情報
2024年04月07日 HAL2000壱岐守
岩屋城
太宰府天満宮を詣でてから、大野城と合わせて攻略開始。車道(林道)を歩いて向かいましたが、これは失敗でした。道路は車が走るために大回りをしているし、歩道がないので車とすれ違う時はなかなか怖かったです。
岩屋城本丸からの景色はとても見晴らしがよく、左手に有明海方面、右手に福岡市方面が見渡せる九州交通の要所だったことを感じます。眼下には太宰府政庁や水城なども良く見渡せます。
岩屋城自体は、大野城を抱える四王寺山の斜面に造成された城であり、城域は決して広くありません。この狭い場所に763人が籠り、最後の一人まで戦い抜いた激戦地であったことを想像すると胸が詰まる思いです。
現在、本丸には桜を植えていただいており、多くの登山客を楽しませてくれる、素敵な場所へと姿を変えて残っておられました。
2024年04月05日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
岩屋城
駐車場はありませんが登城口の近くに軽自動車なら2,3台ほど停めれるスペースがありました。
そこから降りていくと二の丸跡や髙橋紹運の胴塚があります。今も愛されているのを感じました。
登城口を上がると直ぐに本丸に着きます。とても小さな曲輪という印象です…が、岩屋城の戦いについて知っていれば、とても感慨深く感じるのではないかと思います。
本丸から眼下に太宰府が拡がる眺望で、ここからなら5万の島津の動きが比較的わかり易かったのではないかと感じるのと同時に、遠望には立花統虎の守る立花城を確認でき、直ぐ近くには次男髙橋統増の宝満城を感じることの出来る立地です。
2人の息子を護るという親心も胸に秘めつつ采配を振るったのではないかと思いました。
岩屋城の戦いの記録には、火縄銃の音が轟いたことなども記載されているので、宝満城の髙橋統増は音だけでなくその匂いも感じられたのではないかと思います。また立花統虎の島津軍が撤退する際の行動を考えると、岩屋城が攻撃されている間はもどかしさと悔しさを押し殺して立花城に籠っていただろうと想像出来ました。
個人的に登城した中で、戦を最も実感した城でした。
確かに郭は小さいかもしれませんが、その存在感はとてつもなく大きな城です。
2024年03月31日 竹中対馬守半兵衛
岩屋城
西鉄太宰府駅からまほろばバス(福銀前が内山行き[竈門神社]100円、8分程度の乗車)で、終点の竈門神社で降車、竈門神社を通らないルートで30分程度歩いて、有智山城登城口に向かい、満喫した後、岩屋城を目指しました。578号線を太宰府駅方面に歩き、浦之城橋(赤い橋)を渡り、連歌屋の住宅街を抜け、防砂ダム際の黒岩稲荷神社から水瓶山頂上まで登り、九州自然道で四王寺林道を目指し、くねくね林道をひたすら歩くと、右側に岩屋城本丸跡登城口に到着、2、3分で登城できます。眺望は疲れを癒やしてくれます。本丸の反対側に二の丸があり、こちらの方が見応えがあります。何処も彼処も大きめの石と岩が点在しています。奥に進むと高橋紹運の墓があります。ちょっと手前に岩屋谷磨崖仏石塔群に通じる道があります。スリルを味わいたい方には是非オススメです。階段に綱が張り巡らされています。軍手必需かもしれません。くれぐれもおケガをされないようにご注意下さい。ご参考まで。
2023年11月25日 RED副将軍
岩屋城
壮烈な死闘が繰り広げられた高橋紹運 最期の地
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
天文年間(1532年〜1555年)に高橋鑑種により築かれたと云われます。
高橋鑑種は、豊後大友氏の重臣であり、筑前国守護代として宝満山城と岩屋城の城督を務めました。
1567年、高橋鑑種は国人衆と連携し大友氏に謀反を起こして毛利氏に付きます。しかし1569年に毛利氏は山陰で尼子氏の残党が挙兵したことに対処するため九州から撤退。高橋鑑種は毛利氏の後ろ盾を失ったため大友氏に降伏し、高橋家の家督を剥奪。代わって軍功を挙げた吉弘鑑理の次男である吉弘鎮理が、高橋家の家督と岩屋城と宝満城の2城を引き継ぎ、高橋鎮種と名を改めました。(1578年には剃髮して紹運と号します)
1586年に島津氏が北上し太宰府まで総勢2万にも及ぶ大軍で侵攻。岩屋城には高橋紹運、宝満山城には紹運の次男である高橋統増が籠城。岩屋城の戦いでは、763名と共に迎撃し半月に及ぶ激戦の末に島津軍の降伏勧告を拒絶し玉砕したと伝わります。
その後の岩屋城は、島津氏は秋月氏に預けられましたが、立花山城の立花統虎によって奪還され、1587年に廃城となりました。
見所
標高281mの岩屋山に築かれており、眼下に太宰府市内が一望できるロケーションです。
主郭にある「嗚呼壮烈岩屋城址」の碑が有名です。
主郭背後に土塁と堀切があり、更にその先には浅い二重堀切があります。
南西尾根下には二郭があり、高橋紹運の墓があります。
2023年05月15日 気分爽快豊後守
岩屋城
近所に車を停める所がないので、素通りしていた岩屋城でしたが、意を決して登城してきました。天気が良かったので、素晴らしい眺望を堪能できました。ハイキングコースになっているようで、弁当を広げている方がチラホラ。400年前に壮絶な戦いがあった地ですが、当たり前となっている平和に感謝です。
2023年03月29日 隆兄
岩屋城
本丸のすぐ下まで車で行けました。カーブのところに路上駐車ですが。歩いてすぐ本丸まで行けます。大宰府やかなり遠くまで見張らしは素晴らしいです。島津の大軍と言えどもこの急峻な山城ではたいへんです。
2023年02月13日 ライアン安芸守ライアン
岩屋城
念願の岩屋城跡訪問。訪問時はあいにくの雨でした☂️訪問者は私1人でしたが、思う存分想いを馳せる事ができ満足です。私は他県からで時間も押してたのでタクシーで訪れました。西鉄太宰府駅から千二、三百円です。
2022年09月27日 マグロ常陸介祐平
岩屋城
本丸の入口に車1台分の駐車スペースがあり、入口からすぐに堀切が見られます。本丸までは3分程度で登れます。大変景色の良い場所です。城の入口の反対側を下ると高橋紹運の墓があります。
2022年09月17日 城歩き左京大夫
岩屋城
駐車場はありませんが1、2台なら入口近くに停める事ができます。階段を登ると直ぐに市内を一望できます。遊歩道から歩いてくる人が殆どですね。
2022年05月07日 薩摩安房守義弘維新斎
岩屋城
以前から登城してみたかった岩屋城址を攻略。何といっても城兵763名で5万の島津勢を相手に激闘した高橋紹運の城は、西鉄太宰府駅から四王寺林道を歩くこと約40分で本丸へ到着。本丸(岩屋山頂上)からの眺望は最高で、頻繁に民航機が飛行している様子を見られます。
2022年04月26日 不動右馬允明王之介
岩屋城
太宰府側から大野城跡に車で登っていくと右側に案内板があります。近くの路肩が広い場所に駐車して、案内板のところから上がるとすぐに大きな堀切に遭遇できます。かなり、見応えありでした。
2022年02月12日 織田上総介晃司
岩屋城
岩屋城登城口近くの路肩に停めるのが楽ですがカーブが多く見通しが悪い上、時間帯によっては車の量も増えるので当て逃げされる心配あり。焼米ケ原の駐車場に停めて歩いて行くのが無難です。
岩屋城からの見晴らしは最高です。高橋紹運公の墓は私有地らしいのでむやみに荒らさないようにしましょう。
紹運のことを調べてみると惚れ惚れするような性格でまさに漢である。(ここでは割愛します。調べてみてね)
2021年07月28日 虹雷 大宰大弐 サンダー
岩屋城
何と言っても素晴らしい眺望。こんなに見晴らしのいい場所があるのかと感激。
太宰府の岩屋城から
南は有明海方面の久留米、高良山。
北は博多湾方面の福岡、糸島方面まで一望です。
古い時代から要衝だったわけがが良くわかります。
車の方は、短時間であれば、登城口近くの空きスペースに、頂上まで上がれば大野城の駐車場があるので、駐車して、坂道を10分ほど降ると岩屋城跡です。
更に少し降ると高橋紹運公と家臣の皆さんの墓所があります。ぜひお立ち寄りいただき、お参りください。
2021年06月30日 路傍の石北見守
岩屋城
大宰府天満宮〜宝満城ポチしつつ四天王寺林道を車で移動。長時間駐車できないので本丸跡のみ見学しました。本丸跡から宝満山や大宰府市内一帯の眺望はかなりいいと思います。二の丸方面は時間の都合で行けなかったので、機会が有れば見学したいと思います。
2019年08月07日 【配龍】こてつ☽和泉守
岩屋城
8/5に太宰府駅から徒歩で登城しました。真夏の猛暑の中でしたが、遺構らしきものが何ヶ所かあったのでイマジンしたい方は是非!(しかし夏は熱中症にくれぐれも注意して下さい)苦労して登った分、本丸からの眺望の素晴らしさが達成感と相まって感無量でした。763人の勇士の方々に想いを馳せ、また来て新しい発見をしたいと思わせてくれる良い城でした。
2019年07月27日 じょーうん隠岐守
岩屋城
去年の大雨で通行止めになっていた大宰府からの林道は、現在通れるようになっています。車で本丸や高橋紹運公の墓に行きやすくなっています。
2018年12月16日 なめ茸次郎胞子
岩屋城
来週行く予定をしてるので、先ほど太宰府観光協会に電話したら通行止めだそうです。
2018年10月09日 たいがは周防守むつしげ
岩屋城
フー甲斐守様ありがとうございます。9月末に念願の岩屋城に行きましたが、アドバイス通りのルートで正解でした。残念ながら依然として通行止めで、手付かずでしたのでしばらく復旧にはかかる気がしました。
歩く羽目にはなりますがその分岩屋城に到着した時の感動はひとしおでした。
2018年08月06日 フー甲斐守
岩屋城
岩屋城に通じる太宰府側の道路は引き続き通行止めです。私はアドバイス頂き、大野城太宰府口手前にある駐車場から歩きました。片道20分程度ですが、岩屋城近道と言う立看板に従えば15分位でした。山道ですが。このルートだと行きが下り、帰りが登りです。
太宰府に行くには一旦降る必要があるので、30分位余分にかかると思います(^o^)
2018年07月28日 じょーうん隠岐守
岩屋城
2018年7月の豪雨の影響で、大宰府側から登る道が土砂崩れの為通行止めです。大野城のからの道は四天王山まで通れますので、そこで車を降りて徒歩7分ぐらいで行けます。
2017年05月08日 五瓜ニ唐花紋太政大臣や~きみ
岩屋城
山の中腹にある岩屋城の看板から徒歩で登るとすぐです。
見張らしはよいです。
2016年08月14日 シバヤン左兵衛督肝胆相照
岩屋城
九州自然歩道の一本道を登った中腹右側に登城入り口があります。左側には、高橋紹運さんの墓もある二の丸です。車で上がるなら22番カーブの所に駐車できます。
山道を上がると案内版があり、岩屋城パンフレットがあります。
人ひとり幅の登山道を上がったら、本丸跡です。あの壮烈岩屋城の城址と奥には真新しい眺望図があり、そこからの眺めといったら•••素晴らしい!爽快!
本丸跡は縦横約20m四方の広さ。
(思うてたより狭いなぁ~。この城に籠もり763人で島津軍5万を相手に戦こうたのか。)
南、東、西は崖。北には堀切がありました。堀切より後方には大野城に繋がる山道になってます。この山道の途中、あちらこちらに敵に投げつけたりするのに使ったではないかと思われる大石が見られます。戻ってベンチに腰掛けて想像しました。
(紹運)皆、よう戦こうた。すまぬ!多くの仲間を死なせた。これは別れの酒ぞ。
統虎!あとは頼むぞ!
(家臣)最後まで殿のお供ができ感謝しております!
公園のような城ですが、戦国の空気、硝煙の匂いが感じるお城でした。
高橋紹運、漢の中の漢です!
2016年01月31日 カーネル
岩屋城
西鉄太宰府駅で下車し、太宰府天満宮にお参りしてから東の山へ向かいます
岩屋城へ向かう車道は1本しかないので迷わないと思います
市街地を抜けて車道を登ります。車道では、ショートカットする道があるので利用します。でも大雨の影響か、かなり荒れてる
登りつめると車道脇に岩屋城の入口の看板があるので、ここから登るとすぐ本丸です
本丸の景色を堪能したら大野城へ。九州自然道を歩くと車道を使うより近道です
10分ほどで観世音寺口城門にでて、さらに北上して猫坂礎石群、主城原礎石群を見学
とにかく広いのできりがない。これより先は行ったこともあるし・・と言い訳しながら南下
坂口門と圧巻の大石垣を見てから、坂口門に戻り山道を下りました
登山口に降りると、太宰府政庁跡まで500mの看板があります。寄ります
さらに北西へ水城城へ。県道112号から水城駅まで土塁が続いてます。川を越えるための回り道もあったりで制覇に1時間かかります。長い・・・
水城駅に着いたのは太宰府駅を出て5時間後
歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです
2014年09月18日 伊豆坊伊豆守
岩屋城
今日初めて行ってきました。
本丸に登るまでは、高橋紹運のロマンに浸たれればそれで充分と思っていましたが、先人達が記載してるとおり、本丸からの眺望は本当に素晴らしい。
さらに、本丸から島津陣地(紹運首塚付近)、秋月陣地、宝満山城方向を見渡せば、約430年経過した今日でも、充分に豊薩合戦の悲哀を味わうことができる。
2012年09月25日 淡路守てぃも
岩屋城
四王寺山の中腹、太宰府側の登山道から車で行けます。途中まで車で登れば歩いて城跡に行くのは比較的楽だと思います。車を降りたら登山道を挟んで案内板通りに登れば城跡、下れば紹運公の墓所です。歩いて登る場合でも城跡まで大半が舗装されている西鉄太宰府側から登る方が楽かも知れません。観世音寺側から登る方法も有りますが、此方は完全なトレッキングコースとなります(但し、先の大雨で道が崩れているかも知れません)個人的な話ですが何故か岩屋城は熊本植木の田原坂と同じ空気を感じます…
2012年06月06日 あぶり餅征夷大将軍
岩屋城
太宰府天満宮付近から山道を車でる登ること約5分岩屋城址の看板あり。谷側に1台だけ車を停められるスペースあり。そこから山手に登ると本丸跡まではすぐ。素晴らしい絶景が広がります。谷側に下ると二の丸跡で高橋紹雲公の墓所までは2分くらい。
岩屋城の周辺スポット情報
二の丸跡(遺構・復元物)
馬責め(遺構・復元物)
嗚呼壮烈 岩屋城址の碑(碑・説明板)
高橋紹運公首塚(碑・説明板)
高橋紹運公辞世の碑(碑・説明板)
高橋紹運の墓(胴塚)(寺社・史跡)