阿津賀志山防塁(あつかしやまぼうるい)

阿津賀志山防塁の基本情報

通称・別名

阿津賀志楯、阿津賀志山二重堀

所在地

福島県伊達郡国見町石母田他

旧国名

岩代国

分類・構造

防塁

天守構造

なし

築城主

藤原泰衡

築城年

平安時代後期

主な改修者

主な城主

奥州藤原氏

廃城年

遺構

土塁、横堀(空堀)

指定文化財

国史跡(阿津賀志山防塁)

再建造物

説明板

周辺の城

石母田城(福島県伊達郡)[0.9km]
梁川城(福島県伊達市)[5.4km]
桑折西山城(福島県伊達郡)[6.1km]
地蔵院館(宮城県白石市)[9.7km]
遠倉館(宮城県伊具郡)[11.8km]
懸田城(福島県伊達市)[12.0km]
大鳥城(福島県福島市)[12.9km]
白石城(宮城県白石市)[13.5km]
大波城(福島県福島市)[15.3km]
霊山城(福島県伊達市)[16.7km]

阿津賀志山防塁の解説文



阿津賀志山防塁(あつかしやまぼうるい)は、福島県伊達郡国見町にあった平安時代末期の防塁。二重の堀と三重の土塁で形成されていることから「阿津賀志山二重堀」(あつかしやまふたえぼり)ともいわれる。1189年(文治5年)の阿津賀志山の戦いの主戦場であり、国の史跡に指定されている[1]

概要 

この防塁は、宮城県との県境に接し、福島盆地の北端に位置する標高289メートルの阿津賀志山(現・厚樫山)の南麓から、約4キロメートル南下して阿武隈川に近い地点までの田園地帯に所在する。この一帯には、今日も「阿津加志山」「大木戸」「国見」のほか、「堤下」「中島」「遠矢崎」「段ノ越」「上二重堀」「下二重堀」「石田」「元木(もとぎ、本城・元柵)」など軍事施設のあったこと、あるいは、軍事拠点であったことをしのばせる地名が南北に連なる。

1189年(文治5年)の阿津賀志山の戦いの際に、阿津賀志山一帯に立て籠もる奥州藤原氏(大将・藤原国衡)の防御施設として使用された。阿津賀志山中腹から阿武隈川まで約4キロメートルの距離であったと推定され、源頼朝の軍勢が奥州へ攻め入ることを想定して事前に奥州藤原氏が築いていたと思われる。

この一帯は現在も東北本線・国道4号・東北自動車道が平行して通っていることからわかるように、北上するには必ず通らなければならない交通の要衝であり、また、奥州藤原氏の郎党・佐藤基治の本拠地でもあることから、南からの攻撃に対しての平泉守備の最前線基地として奥州藤原氏が重要視していた場所であったと考えられる。

なお、『吾妻鏡』には「口五丈堀」と記載されており、畠山重忠によって埋められたという。

調査前の状況 

防塁は、東北本線・東北新幹線・国道4号・東北自動車道などに分断され、さらに耕作や用水路などによって地形が相当に改変されてはいるものの、水田畦畔・畑地・果樹園などに断続的に土塁状の地形の高まりや段差を残し、特に大木戸地区と大枝地区では二重の堀跡と三重の土塁がはっきりとわかる遺構が現存している。

発掘調査とその成果 

1971年(昭和46年)、東北自動車道建設にともなう事前の発掘調査が福島県教育委員会によって行われた。自動車道建設予定地の範囲を調査した結果、厚樫山の南傾斜面中腹で、二重の堀を2メートル前後に掘り、その排土を約1メートル程度に積みあげた三重の土塁跡を検出した。また、西堀の西壁と東堀の東壁との掘り込み部の幅は15メートルにおよび、東土塁には自然石で根固めをしていることも確認された。

1978年(昭和53年)、この地区一帯に圃場整備事業の計画が提示され、その計画が特に南半部の地形を大幅に改変することになってしまうため、翌1979年、福島県教育委員会は緊急発掘調査を実施した。発掘箇所は主として圃場整備実施地区であるが、9地点のトレンチ調査の結果は、一部に一重堀の存在しか検出されなかった地点もあるが、他は二重堀が検出され、二重堀の幅も15メートルであり、堀の深さは浅い箇所でも1.5メートル、深い箇所では2.8メートルにおよび、堀としてはいずれも深く、断面がV字状をなす、いわゆる「薬研堀」であることも1971年の調査同様、確かめられた。

2度にわたる発掘調査および地表観察から、地下で確認された堀や土塁と地上で観察可能な堀や土塁とは、すべてが一様ではないとしても、いずれも攻撃に備えた防塁としての一連の構築物であることは明白であり、堀の層序および遺跡周辺の地名や地形から判断しても、この遺跡が藤原泰衡の防塁跡であることはほぼ間違いないものと考えられる。また、二重堀の堀幅の15メートルは「口五丈堀」の「五丈」におおむね一致しており、これは、文献資料の記載の正確さが考古資料の精査によって裏付けられた事例といえる。

史跡指定 

以上の調査成果をふまえ、1981年(昭和56年)3月14日、厚樫山頂上から圃場整備除外地を中心に国の史跡に指定され、こののち、可能な限り必要な範囲を段階的に史跡指定して遺跡の保存と活用を図ることとした。

阿津賀志山防塁の口コミ情報

2024年03月19日 めご姫の姑
阿津賀志山防塁



国道4号を白石に向かい石母田パーキングを過ぎると上り勾配になると直ぐ左に防塁の看板が見えます。看板下に車2台位止められる場所が有ります。

2023年07月12日 琉球守風のこうちゃん播守
阿津賀志山防塁



R4を北上して車で訪問💨R4を北上すると、大きな阿津賀志山防塁の看板が見えます🧐看板の前に車2台停めれます…

現地、🚻無いので、道の駅国見・あつかしの郷で🚻利用しましょう🤚

2021年10月04日 装鉄城大膳大夫乱怒
阿津賀志山防塁



JR東北本線藤田駅から徒歩約35分、国道4号の道路沿いに歩くと巨大な土塁が見られて、歩くことができます。近くに廃校を改造した歴史館がありますので、こちらを拠点に他の遺構もチェック

2021年08月10日 ああ福島県大膳大夫城弾正
欠下地区(防塁終点)[阿津賀志山防塁  遺構・復元物]



この阿津賀志山防塁は終点に当たる欠下地区で東に大きく屈折し、現在の滝川にぶつかる。この地点は鎌倉時代初期には逢隈川(阿武隈川)の蛇行した頂部で、かつては阿武隈川に直接ぶつかっていた。この地点から現在の阿武隈川合流点に向かう滝川の流路は当時の阿武隈川の流路であり、この地点から上流は浄化センター(アクアクリーンあぶくま)東側(国見町境界)に沿って蛇行していた。
『吾妻鏡』には「逢隈河の流れを堰入れ」とあるが、土地の高低差から考えると可能性は低いと思える。現在、欠下地区はわずかながら堀の痕跡が確認する事ができる(写真)。

2020年12月26日 ああ福島県大膳大夫城弾正
阿津賀志山防塁

『吾妻鏡』に見る阿津賀志山防塁に関する記述は以下の通りです。
『吾妻鏡』第九 文治5年(1189)条

《原文》
(文治五年)八月大七日甲午。二品着御于陸奥國伊達郡阿津賀志山邊國見驛。而及半更雷鳴。御旅館有霹靂。上下成恐怖之思云々。泰衡日來聞二品發向給事。於阿津賀志山。築城壁固要害。國見宿与彼山之中間。俄搆口五丈堀。堰入逢隈河流柵。以異母兄西木戸太郎國衡爲大將軍。差副金剛別當秀綱。其子下須房太郎秀方已下二万騎軍兵。凡山内三十里之間。健士充滿。加之於苅田郡。又搆城郭。名取廣瀬兩河引大繩柵。泰衡者陣于國分原。鞭楯。亦栗原。三迫。黒岩口。一野邊。以若九郎大夫。余平六已下郎從爲大將軍。差置數千勇士。又遣田河太郎行文。秋田三郎致文。警固出羽國云々。入夜。明曉可攻撃泰衡先陣之由。二品内々被仰合于老軍等。仍重忠召所相具之疋夫八十人。以用意鋤鍬。令運土石。塞件堀。敢不可有人馬之煩。思慮已通神歟。小山七郎朝光退御寢所邊〔依爲近習祗候〕相具兄朝政之郎從等。到于阿津賀志山。依懸意於先登也。

《読み下し》
文治五年(1189)八月大七日甲午。二品(にほん)、陸奥國伊逹郡阿津賀志山邊の國見驛に着御。而るに半更(はんそう)に及び雷鳴。御旅館に霹靂有り。上下恐怖之思を成すと云々。
泰衡、日來二品發向し給ふ事を聞き、阿津賀志山に於て、城壁を築き要害を固む。國見宿と彼の山之中間に、俄に口五丈(約15m)の堀を搆へ、逢隈河の流れを堰入れ柵とす。異母兄の西木戸太郎國衡を以て大將軍と爲し、金剛別當秀綱、其の子下須房(かすほ)太郎秀方已下二万騎の軍兵を差し副える。凡そ山内三十里之間、健士充滿す。之に加へ苅田郡に於て、又城郭を搆へ、名取、廣瀬の兩河に大繩を引き柵とす。
泰衡者(は)、國分原の鞭楯に陣す。亦、栗原、三迫、黒岩口、一野邊に、若九郎大夫、余平六已下の郎從を以て大將軍と爲し、數千の勇士を差置く。又、田河太郎行文、秋田三郎致文を遣はし、出羽國を警固すと云々。夜に入り、明曉泰衡の先陣を攻撃可し之由、二品内々に老軍等に仰せ合せ被る。仍て重忠が相具す所之疋夫八十人を召し、用意の鋤鍬を以て、土石を運ば令め、件の堀を塞ぐ。敢て人馬之煩ひ有る不可。思慮已に神に通ずる歟。小山七郎朝光御寢所邊を退き、〔近習爲るに依て祗候す〕兄朝政之郎從等を相具し、阿津賀志山に到る。意於先登に懸るに依て也。

2019年06月02日 ああ福島県大膳大夫城弾正
赤穂地区・高橋地区[阿津賀志山防塁  遺構・復元物]



赤穂地区・高橋地区の現存する防塁

※なお、スポット名(阿津賀志山防塁地区名)は国見町教育委員会、文化財調査報告書の地区名に準ずる

2019年06月02日 ああ福島県大膳大夫城弾正
遠矢崎地区[阿津賀志山防塁  遺構・復元物]



国見内地区南側で蛇行した防塁は遠矢崎城の麓に達する。遠矢崎城(写真)の麓に沿うように穿たれ(写真)、南端で二重堀の外側堀は断崖面に落ち込む形で途切れる事が発掘調査で確認された。一見、防禦が弱い様に思えるが断崖下は湿地面であり、自然地形を利用して防禦したものと思われる。
なお、この地点の西側には中島砦(写真)が存在する。この地点で外側堀が途切れ、大久保・手代田地区では堀は一条になるが、湿地面と西側には滑川が流れる。

※なお、スポット名(阿津賀志山防塁地区名)は国見町教育委員会、文化財調査報告書の地区名に準ずる

2019年06月02日 ああ福島県大膳大夫城弾正
国見内地区[阿津賀志山防塁  遺構・復元物]



東国見・西国見地区から続く国見内地区の防塁を北側から望む(写真)。白い花の咲く位置が内側土塁にあたる。その外側には段差があり、中土塁の痕跡と考えられる。
南側は遠矢崎地区に向かい(東側)蛇行している(写真)。

※なお、スポット名(阿津賀志山防塁地区名)は国見町教育委員会、文化財調査報告書の地区名に準ずる

2019年06月02日 ああ福島県大膳大夫城弾正
東国見・西国見地区[阿津賀志山防塁  遺構・復元物]



町道110号南側に現存する二重堀。薮に覆われているが二重堀である事が確認できる。

※なお、スポット名(阿津賀志山防塁地区名)は国見町教育委員会、文化財調査報告書の地区名に準ずる

2019年06月02日 ああ福島県大膳大夫城弾正
東国見・西国見地区(土橋跡)[阿津賀志山防塁  遺構・復元物]



国道4号南側、町道110号(旧国道4号)の地区は西側が急崖になっており、旧奥州街道、平安時代の東山道(奥大道)がこの付近を通っていたとされてきた。発掘調査により、近年に埋められた開口部の石垣の箇所にトレンチを設定した所、土橋が検出された(写真、分かりづらいが、奥に石垣がある手前付近)。
また、この開口部から国道4号に向かった堀から通路跡(SF12通路跡)が検出され、遺構からこの通路は防塁成立以前の平安期に機能していたと考えられる。この通路の路面幅は約6m平均(唐大尺で20尺幅)であり、規模から古代の東山道の可能性が高い(写真)。
また、第15次調査では、この通路跡の東側から、幕末まで機能した旧奥州街道(SF55)が検出されている。

※なお、スポット名(阿津賀志山防塁地区名)は国見町教育委員会、文化財調査報告書の地区名に準ずる

2019年06月02日 ああ福島県大膳大夫城弾正
国道4号北側地区[阿津賀志山防塁  遺構・復元物]



整備前は果樹園だった国道4号北側地区は、樹木の伐採も進み遺構がはっきり確認できる。二重の堀と三重の土塁からなる。発掘調査では地山の上に旧表土が検出されており、旧表土の上に土塁の積土が構築されている事が確認された。堀は地山を掘削しているが、堀からは旧表土は検出されなかった。

※なお、スポット名(阿津賀志山防塁地区名)は国見町教育委員会、文化財調査報告書の地区名に準ずる

2019年06月02日 ああ福島県大膳大夫城弾正
二重堀始点地区[阿津賀志山防塁  遺構・復元物]



阿津賀志山(厚樫山)山腹にある防塁の始点。

※なお、スポット名(阿津賀志山防塁地区名)は国見町教育委員会、文化財調査報告書の地区名に準ずる

2013年06月11日 はせちゃん弾正忠
阿津賀志山防塁

今年も6/15 13:30〜発掘調査現地説明会が実施されます

国見町教育委員会は素晴らしい教育委員会ですから、期待大

2011年11月15日 さくら主膳佑にゃ〜
阿津賀志山防塁

当初は休みが取れず諦めていた↓で紹介していた現説でしたが、シフトが変更になり無事参加出来ました♪
アップされている写真の中で一番古いモノ(正面に阿津賀志山が写ってるやつ)が4号国道北側土塁(中土塁)なんですが、その写真左側(東側)で土塁(内土塁)跡が確認されました。その断面を新たにアップしてます。
なお外土塁の痕跡も確認されてましたよー。

2011年10月29日 さくら主膳佑にゃ〜
阿津賀志山防塁

2011年11月12日(土)13:30〜発掘調査現地説明会が実施されます。4号国道北側で土塁の痕跡が新たに確認されたそうです。春の現説に続いて参加したいモノですが休みは取り難いなー。
因みに同日10:30〜には岩手県二戸市浄法寺町の不動館跡でも現説が実施されます。休みが取れちゃったらどちらに参加するか迷うなあ。←迷うな遠い

阿津賀志山防塁の周辺スポット情報

 二重堀始点地区(遺構・復元物)

 国道4号北側地区(遺構・復元物)

 東国見・西国見地区(土橋跡)(遺構・復元物)

 東国見・西国見地区(遺構・復元物)

 国見内地区(遺構・復元物)

 遠矢崎地区(遺構・復元物)

 赤穂地区・高橋地区(遺構・復元物)

 第三防塁(遺構・復元物)

 欠下地区(防塁終点)(遺構・復元物)

 説明板(国道4号北側地区)(碑・説明板)

 説明板(碑・説明板)

 トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

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