大波城(おおなみじょう)
大波城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 福島県福島市大波字館
旧国名
- 岩代国
分類・構造
- 丘城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 大波氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、切岸
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
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大波城の口コミ情報
2025年09月09日 尼崎城信濃守一口城主
大波城
[進軍編]
冒頭から少し脱線して失礼しますが、福島市で大波という響きから大相撲ファン&旧毛利領の山口出身の私には、福島市出身で三本の矢の毛利三兄弟が四股名の由来の大波三兄弟(若隆元、若元春関、若隆景関)のお相撲さんが連想され、また先人方の写真や口コミから行ってみたくなったのでリア攻めへ向かいました✊
8月中旬、福島駅東口よりバスにて出陣🚌(参考までにお盆期間中の休日ダイヤでしたが福島駅東口3番乗り場から掛田駅前行きのバスに乗車。福島駅8:15発→水戸内8:41着¥620-)
水戸内バス停🚏で降りて周囲をキョロキョロ👀して来た道を振り返ってみると大波城入口の看板の一部や小屋(写真①)が見えたのでそちらに進むと「史跡大波城跡入口」の看板(写真②)がありこちらから入城。(※写真②の入口の看板の道の反対側が福島駅東口行きのバス停(写真③)です。)
なだらかに続く坂道を上がっていき写真④のミラーの左側の道標に沿って進むと写真②の入口から約5分で説明板(写真⑤)や城跡碑(写真⑥)地点に到着。徒歩の場合、城跡碑後方の坂を道なりに上がっていくと本丸(写真⑦)に着きます。車の方は写真⑥の説明板の左手に進んで行けば「大波城跡花回廊」駐車場🅿️(写真⑧)に着きます。
2025年09月09日 尼崎城信濃守一口城主
大波城
[本丸編]
本丸に到着して散策してみると忠魂碑(写真①)や城跡碑(写真②)が建っていました。
のろし台(写真③)周りは、たまたまかもしれませんが刈った草木が集められておりのろしを上がる準備が出来ているかのように見えてしまいました🔥
本曲輪には桜🌸の木(写真④)もあり写真⑤の看板🪧から四季折々の季節の花を楽しめるようで保存会の方々に感謝です🙇🏻♂️
本丸からひまわり畑方面を眺めるとバスルートでもある国道115号がよく見渡せます✨往時の街道がどの辺りを通っていたかは不明ですが見晴らしの良いところを選定して築城されたのだと思われます。
次に本丸から駐車場方面に行き、駐車場付近から城名看板(写真⑦)を撮り、少し離れたところから遠景(写真⑧)を眺めてみました。
2025年09月09日 尼崎城信濃守一口城主
大波城
[ひまわり🌻畑]
本曲輪見学後、道標(写真①)を見てひまわり号に向かいました。かつては段曲輪だったかもしれない段々畑にひまわりが咲き誇っていました(写真②③※8月中旬)
ひまわり畑の中に見学者を把握するための棒があったので当日の1番乗りで入れ、広大なひまわり🌻畑の整美に感謝して募金も入れておきました(写真④)
ハートの中に城名看板を入れて撮ったり(写真⑤)、入れなかったりして(写真⑥)してほっこりする景色にしばし癒されていました。
帰路、バスの時間に少しだけ余裕があったのでバス停から小走りで国道115号沿いからもひまわり畑を撮ってみました(写真⑦)
周囲には自然も多く残っているので南北朝時代の風を感じながら花も楽しめるいいお城でした‼️
2024年05月12日 しげる安房守
大波城
こじんまりとした素敵なお城でした。草刈りありがとうございます。
2024年01月14日 みっこん岩代守
大波城
福島市から相馬市に向かう国道115号線沿いに有ります。規模的には小さいので街道監視が目的の砦又は出城みたいな感じでした。看板を詳しく見ていなかったので詳細は忘れましたが花💐が見頃の時期には観光客が来られるみたいです。10台程度の駐車場が有り、歩いて5分位の場所に本丸跡が有りました。
2020年09月23日 藤陸奥守重真
大波城
草刈りがしっかりなされて歩きやすいです。駐車場あります。
2020年09月13日 kurobuta
大波城
R115から大波城跡を一周するように市道がありますが道路上からはリア攻めとはなりません。西側にある案内板と石碑の間から徒歩で進みます。50メートルほどで土台の主郭に辿りつけます。(この土台の手前でリア攻め判定となります)
子供向けの遊具がありますからそれを目印に進むのが良いと思います。砂利道ですがよく整備されており、軽装でもまったく問題ありません。
大波城は南北朝時代の城で北畠顕家の本城の霊山城の支城的な位置づけであったようです。大波城と霊山城の間には他に懸田城があり、南北朝時代の好きな方でしたら楽しめるかと思います。
大波城は福島市郊外にありますが付近には民家が点在しているため、付近の方々のご迷惑にならないように配慮お願いいたします。
2020年06月16日 マクスウェル
大波城
写真を撮影した場所は民家前の生活道路です。撮影地点の道路に駐車するスペースはありますが、道路上の為駐車は避けた方が良いと思います。
写真の通り対向車を考え車で頭から突っ込む勇気は無く写真を撮り攻城は断念しました。
麓には駐車できそうな場所は多数あり。
2013年01月14日 奥州王征夷大将軍毘沙門天乱丸
大波城
交通手段
車でなら国道115を相馬方面へ市街地過ぎ、長い登り坂越え下り坂を下った左側に登城口
公共機関は福島駅から相馬行きのバスに乗り水戸内のバス停下車すぐバス停が登城口
登城口は同じで大波城跡の大きな碑が目立つ
国道東南側にも大きな大波城趾の看板その下からも登城可能(^_^)b
除染も終わり散策に行きましたが線量まだ↗(^^;)
2013年01月14日 奥州王征夷大将軍毘沙門天乱丸
大波城
大波民部具成の居城
北畠顕家に従え吉野朝廷に従えた大忠臣大波氏代々の拠れる城
史実
北畠顕家戦死後弟顕信陸奥内鎮府大将軍となり後醍醐天皇の御孫守永親王を奉じて国政と軍政を執っておったが正平七年三月足利家に多賀国府が包囲され同月十五日国府陥る顕信郷守永親王は刈田郡三沢城に逃れたので(今より六百三十年前)正平七年三月十七日大波城に守永親王と北畠顕信郷を迎えて守護した由緒の城である。
以上説明板による。
本丸と二の丸と姫館で構築されており、二の丸入口に石碑と説明板、案内板、台上には狼煙台跡あり、一段低い所に本丸があり、本丸挟んで反対側の高い所が姫館になってます。
本丸が二の丸や姫館より低い所にあるのが南北朝時代の造りかわかりませんが疑問を感じました。
そこで近くに二つ高台を散策し大雷神社裏山にも平場があり、本丸北西の高台にも平場がありました。
駐車場はありませんが駐車スペースがいたるところにあります。