福島城(ふくしまじょう)

福島城の基本情報

通称・別名

(大仏城、杉目城)

所在地

福島県福島市杉妻町2-16

旧国名

岩代国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

伊達氏?

築城年

不明

主な改修者

木村吉清、本多忠国

主な城主

伊達氏、木村吉清、本庄繁長、本多忠国、堀田氏、板倉氏

廃城年

明治6年(1873)

遺構

土塁、堀

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

大森城(福島県福島市)[4.3km]
名倉城(福島県福島市)[5.3km]
大波城(福島県福島市)[5.8km]
大鳥城(福島県福島市)[9.3km]
八丁目城(福島県福島市)[10.2km]

福島城の解説文

福島城(ふくしまじょう)は福島県福島市(陸奥国信夫郡)にあった日本の城。福島藩の藩庁がおかれた。現在、福島県庁が立地している一帯が城跡である。平城ではあるが、城の東方と南方は阿武隈川や荒川が流れており、天然の要害として外堀の役割を果たしていた。

概要
現在の福島城跡一帯には福島県庁をはじめ公共機関や民間ビルが立ち並んでおり、庭園跡である紅葉山公園や県庁南に残存している土塁、外堀跡の一部が存在する。福島城(および杉妻城、大仏城)の築城された年は不明であるが、少なくとも古墳時代には既に福島エリアの中枢的建造物が存在したことが確認されている。

現在の住居表示では、杉妻町全域、舟場町の各大半。荒町、中町、大町、上町の各一部が該当する。

歴史
古代
既に古墳時代からこの土地にある程度の規模を有した建造物が存在したことが、2014年の福島県庁北庁舎建設および大原綜合病院建て替えのため発掘調査が行われた際に判明した。

中世
1413年(応永20年)に伊達松犬丸(後の伊達持宗)が懸田定勝と共に鎌倉公方へ反乱を起こした際に立て籠もった大仏城が後の福島城といわれる。大仏城は後に杉妻城(または杉目城)と改められ、天文の乱後は伊達氏家臣の牧野相模守の所領になっている。後、伊達晴宗が嫡子・輝宗に家督を譲って隠居した際に米沢城から杉目城へ移った。このころの信夫郡(現在の福島市一帯)の中心的城郭は晴宗の弟・伊達実元の居城・大森城であり、杉目城は単に晴宗の隠居城としての性格しか持ち合わせていなかった。その後、1577年(天正5年)に晴宗が死去すると、晴宗夫人・裁松院(久保姫)と晴宗末子・直宗が居住した(直宗は天正12年に死去)。1591年(天正19年)の奥州仕置で信夫郡が蒲生氏郷領になると、裁松院は杉妻城を出て、孫の政宗に従って岩出山へ去った。

近世
蒲生氏郷時代に杉妻城に入ったのは木村吉清である。吉清は当初大森城へ入ったが、1592年(文禄元年)頃に杉妻城を福島城と改称し、大森城から居城を遷した。吉清は信夫郡5万石を与えられており、福島城が信夫郡の中心的城郭になったのである。その後、上杉景勝時代には本庄繁長が城代。1600年(慶長5年)に伊達政宗が信夫郡に侵攻した際に福島城の北辺一帯(現在の福島市街地)は戦場になっている(松川の戦い)。その後、信夫郡代官となった芋川正親は再び大森城を拠点としたが、1664年(寛文4年)に信夫郡が上杉氏から没収されると、天領約20万石を経て1679年(延宝7年)に本多忠国が福島藩15万石の領主として福島城へ入った。その後天領、堀田氏時代を経て1702年(元禄15年)に板倉重寛が福島藩3万石の領主として入城した。以来、幕末まで約170年間は福島藩板倉氏の居城として機能したのである。

幕末の戊辰戦争時、福島藩板倉氏は奥羽越列藩同盟に参加して薩摩・長州を中心とした西軍と戦ったが、1868年(慶応4年)7月29日に二本松城が落城すると、藩主・板倉勝己は隣藩の米沢藩へ逃亡した。そして、同年9月2日、勝己は二本松城へ常駐していた西軍に降伏し、城は西軍に引き渡された。1869年(明治2年)、板倉氏は三河国へ転封され、福島藩は消滅した。

構造
板倉氏時代の城の構造及び城域は、『板倉家御歴代略記』附図によってある程度再現することができる。それによれば、現在の県庁駐車場に本丸御殿があり、南東部以外は堀で囲まれていた。本丸御殿の東(現:県庁東分庁舎一帯)は御霊社が祀られていたほか、弾薬庫や役所があった。本丸御殿の南(現:紅葉山公園)は庭園、南西(現:福島県庁)は馬場や鉄砲場、武器庫などがあり、軍事的空間だったことがうかがえる。大手門は現在の県庁正面の道路上で福島警察署と大原総合病院の南側十字路の辺りにあった。これらの施設を内堀が囲んでおり(ただし、南側は阿武隈川が流れる天然の要害であった)、この内堀の外側には、北から西にかけては侍屋敷のほか練兵所、兵学所などがある軍事的空間、東には米役所や材木蔵などが立ち並ぶ経済的空間であった。そしてこれらの施設を囲むように城の西、北。東側に外堀があった。外堀の西は寺院が立ち並ぶ寺町、北は宿場町があり、これらの街を奥州街道が通っていた(経路は現在の旧国道4号とレンガ通りである)。これらの施設は1873年(明治6年)をもって城跡に陸軍鎮台分営が設置され、ほとんどが破却された。...

福島城の口コミ情報

奥州王毘沙門天山城守乱丸様[2012年06月03日]
駐車場30分100円県庁前の小学校と県庁裏に一部土塁が現存

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