米沢城(よねざわじょう)

米沢城の基本情報

通称・別名

舞鶴城、松ヶ岬城

所在地

山形県米沢市丸の内1

旧国名

羽前国

分類・構造

輪郭式平城

天守構造

御三階櫓[3重3層/1613年築/破却]

築城主

長井時広?

築城年

暦仁元年(1238)?

主な改修者

伊達晴宗、蒲生郷安、上杉景勝

主な城主

長井氏、伊達氏、蒲生氏、上杉氏

廃城年

明治4年(1871)

遺構

曲輪、土塁、横堀(水堀)

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

舘山城(山形県米沢市)[3.7km]
小松城(山形県東置賜郡)[12.3km]
萩生城(山形県西置賜郡)[19.9km]
桧原城(福島県耶麻郡)[20.2km]
湯原館(宮城県刈田郡)[22.4km]
中山城(山形県上山市)[25.9km]
柏木城(福島県耶麻郡)[29.4km]
大鳥城(福島県福島市)[30.6km]
荒砥城(山形県西置賜郡)[30.8km]
上山城(山形県上山市)[31.5km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

(続)109 米沢城

設置場所

米沢観光コンベンション協会観光案内所[地図

米沢城の解説文



米沢城(よねざわじょう)は、山形県米沢市丸の内(出羽国置賜郡)にあった中世から近世にかけての日本の城(平山城)。長井氏および伊達氏の本拠地であり、江戸時代は米沢藩上杉氏の藩庁および、二の丸に米沢新田藩の藩庁が置かれていた。2017年には続日本100名城に選定された。

概要 

城は米沢市街地のほぼ中心に位置する。戦国時代後期には伊達氏の本拠地が置かれ、伊達政宗の出生した城でもある。江戸時代には米沢藩の藩庁が置かれて上杉景勝・上杉鷹山などの歴代藩主が居住した。平城で、本丸・二の丸・三の丸からなる輪郭式縄張りの城である[1]。10基の櫓と17棟の門が開かれた。上杉氏による築城(大改修)当時は30万石の大名の居城であって、石垣は少なく、土塁を多用し、天守は構えられず、本丸に東北隅と西北隅に2基の三階櫓を建てて天守の代用(御三階)としていた。他に二層櫓が複数あり。

現在、本丸跡は上杉神社の境内となっており、また、二の丸跡には米沢市上杉記念館(旧・上杉伯爵邸)がある。

また米沢図書館には享保10年(1725年)と文化8年(1811年)の米沢城城下絵図が所蔵されている。

歴史・沿革 

鎌倉時代

米沢城が最初に築かれたのは、鎌倉時代中期の暦仁元年(1238年)と伝えられる。鎌倉幕府の重臣・大江広元の次男・長井時広が出羽国置賜郡長井郷の地頭として赴任した際に築城されたと推定されているが、これを実証する史料や遺構は確認されていない。時広は赴任地の地名から長井姓を名乗った。以後、長井氏の支配が150年近く続いた。

室町時代

8代広房は室町時代初期(天授6年(1380年)、応永9年(1403年)、応永20年(1413年)などの説がある。)に、伊達宗遠に侵略されこの地を追われた。以後、安土桃山時代までここは伊達氏の支配下に入った。天文17年(1548年)伊達稙宗・晴宗父子の対立である天文の乱を経て、晴宗は本拠地を桑折西山城より米沢城に移した[2]。晴宗から輝宗、政宗と当主が変わっても本拠地として使用された。米沢に城下町が成立したのはこの時代と考えられる。

戦国・桃山時代

天正17年(1589年)政宗は蘆名義広を破り、蘆名氏を滅亡させると黒川城(114万石)に本拠を移し、晴宗の弟にあたる宗澄ついで宗清を城代に据えた。しかし、豊臣秀吉はこの会津攻略を認めず政宗から召し上げたため、翌年には本拠を米沢(72万石)に戻すことになる。天正19年(1591年)政宗は豊臣秀吉の命により岩出山城(58万石)に移った。

置賜郡は伊達氏に代わって会津に封ぜられた蒲生氏郷の支配するところとなり、重臣・蒲生郷安が米沢城主(7万石、蒲生家中で最大)となった。郷安はこの時、城の改修を行っている。文禄年中に白子神社が米沢城鎮守となる。慶長2年(1597年)氏郷の子、秀行は下野国宇都宮に移封となり、会津には越後国より120万石で上杉景勝が入封し、米沢城主には重臣・直江兼続(6万石、与力を含め30万石とも)を置いた[3]

江戸時代前期

慶長5年(1600年)秀吉の死後、豊臣氏への恩義から徳川家康の専横を「直江状」という文書によって弾劾し徳川氏への宣戦布告に及んだ。会津討伐を受けたが、家康は小山で石田三成挙兵の報に接してい引き返し、上杉軍は直江兼続を総大将として米沢城より北上し東軍最上氏を攻める。しかし、関ヶ原の戦いでの西軍の敗戦により、軍を米沢城へと引き上げた。これらの戦いにより上杉氏は置賜地方と陸奥国伊達郡・信夫郡30万石(実高51万石)に減封され、米沢を居城(信達(しんたつ)両郡の福島城梁川城には本庄氏・須田氏・芋川氏などを置く)とした。以後、明治維新まで米沢藩上杉氏の居城となった。

慶長13年(1608年)景勝は兼続に命じ城の大改修を行い、慶長18年(1613年)輪郭式の縄張りを持つ城が完成した。大勢の家臣団はなお城下に収まりきれず、城下近郊の原野であった東原・南原に配され、下級家臣の侍町「原方」が形成されたのも米沢藩の特色である。

寛文4年(1664年)3代綱勝が嗣子を定めないまま急死し、綱憲が末期養子として認められ藩は存続したが石高は15万石(実高28万石)に半減された。しかし、石高が減ったのに、藩士の召し放ち(解雇)が行われず、藩の財政は更に逼迫することとなった。城外には新たに原方と呼ばれる地域を設置し、城下に収容できない下級藩士を配置し、半農生活を営ませた。

江戸時代中後期

9代治憲(鷹山)は、藩政改革で財政の再建を果たした。なお治憲の隠居所である餐霞館は三の丸にあるが、これは支候御殿を転用したもので、治憲死去後に支候御殿に戻る。次代の上杉治広も蘭学医術など学問を奨励するなど、文化7年(1810年)に「政治向き格別に行届き、領内治め方よろし」等として表彰。続く上杉斉定も天保7年(1836年)に表彰されている[4]

上杉斉憲の代にも幕府から表彰され、18万7千石に加増された。斉憲は京都で西国雄藩とも交わり[5]、文久3年(1863年)には徳川家茂の京都上洛に御供して二条城警護にあたる。

幕末から明治

戊辰戦争では、藩が改易される窮地を救った会津藩主保科正之への恩義もあることから奥羽越列藩同盟に加わり、同盟を主導した件で4万石を減封。 明治2年(1869年)、版籍奉還により上杉茂憲は、米沢藩知事となる。米沢新田藩を併合し、米沢藩の最終石高は15万7千石(実高35万石)。

明治4年(1871年)廃藩置県により米沢県が置かれた。同年、県域の調整(屋代の再編入、分領支配の終了など)があり、置賜郡全部を県域とする置賜県が発足。 明治5年(1872年)最後の藩主・斉憲は、城内にあった謙信の霊屋(御堂)を鷹山とともに合祀し上杉神社とした。明治6年(1873年)には城の建物が全て破却された。二の丸にあった藩の政庁はそのまま郡役所、町役場(後に市役所)として利用した。

明治7年(1874年)には城跡は松が岬公園として市民に一般開放された。明治9年(1876年)、謙信霊柩は上杉家廟所へ、上杉神社を現在の地である本丸跡に移した。明治29年(1896年)二の丸跡に上杉家14代当主・茂憲伯爵邸が建てられた。明治35年(1902年)上杉神社が別格官幣社となったのを期に、鷹山を摂社・松岬神社(本丸の東隣、世子御殿跡)に分祀した。

大正から昭和

大正8年(1919年)米沢市内は米沢大火に見舞われ、上杉神社・伯爵邸にも類焼した。現在の神社社殿は大正12年(1923年)に再建されたものであり、伯爵邸も大正14年(1925年)に再建され鶴鳴館(かくめいかん)と呼ばれた。

昭和25年(1950年)伯爵邸が上杉家から米沢市に譲渡され、翌年より中央公民館として利用された。昭和54年(1979年)公民館から上杉記念館に改変され郷土料理の提供や資料の展示が行われている。

平成から21世紀

平成9年(1997年)伯爵邸は登録有形文化財となった。 2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(109番)に選定された。

==== 雪の御三階櫓(ライトアップ) ====

2017年(平成29年)2月11日から2日間、「上杉雪灯篭まつり」で、米沢青年会議所が御三階櫓を実物3分の1縮尺の雪像で再現した。 雪で土台をつくり、建物は板などで製作、真っ白な城に仕上げた。窓は米沢で開発された有機EL照明パネルを使用、LEDでライトアップし、カラフルに演出した[6]

構造 

本丸の内部は享和2年の「松岬城堞図」が詳しく、本丸中央部に藩主の住居が建ち、東南隅の堤上に上杉謙信の祀る御堂を建て、天守の代わりに東北と西北に三層の隅櫓(御三階)を2基置いた。他に二層櫓が複数設置された。

二の丸には藩の役所、世子御殿、御堂に近侍する法音寺・大乗寺など御堂に交替で勤仕する真言宗の二一ヶ寺を置いたのが特色である。 三の丸には上級・中級家臣の屋敷で占められ、町人町は郭外に置かれた町家郭外形の典型的な城下町プランに属する。

石垣は少なく、土塁を多用し、全体的に質素な城となった。これは、米沢城が敵に侵入されたり落城した経験がないことや、120万石時代の家臣をほとんど削減しなかったため、財政が逼迫していたという説もあるが[7]、上杉景勝が会津で建設を目指していた神指城も米沢城と同様の縄張で、土塁を多用した造りである。これは春日山城の麓にあった関東管領邸である御館にも共通した特徴であり、上杉氏の本拠地としての伝統的な城館建築の造りである。

支城 

戦国・桃山時代

  • 館山城(置賜郡) - 米沢城の西方にある平山城。城跡は国の史跡に指定されている[8]。近年の発掘調査により、戦国時代の伊達氏の本拠地との説が出され注目されている。ただし、石垣に関しては、積み方から上杉時代のものと考えられる[9]
  • 屋代城(置賜郡) - 高畠城の前身。置賜地頭の長井氏に代わり伊達家が拠点とした。
  • 杉妻城(陸奥国信夫郡) - 福島城の前身。呼称は大佛城・杉目城とも。
  • 白石城(同刈田郡) - 城主の刈田氏は後に白石氏を名乗り、やがて伊達氏の勢力下に組み込まれていった。
  • 大枝城(同伊達郡) - 伊達氏一門である大枝氏(のちに大條氏)の居城。
  • 二本松城(同安達郡) - 二本松義継のあと、政宗は片倉景綱、次いで伊達成実を置く。
  • 三春城(同田村郡) - 政宗は田村宗顕を城主として妻の実家・田村領を統治させた。

江戸期

  • 福島城(陸奥国信夫郡) - 寛文4年(1664年)まで。城主は本庄氏。信達統治の中心拠点であった。寛文の半知の後も天領(20万石余)や福島藩(板倉氏)が居城として使用した。
  • 大森城(同上) - 芋川氏が入る。北側の高い場所が城主の館と推定され、主郭の南側には空堀と土塁が残る。
  • 梁川城(陸奥国伊達郡) - 城主の須田氏による、本丸の物見櫓跡の石垣や北三の丸の高い土塁など、上杉統治時代の遺構が残る。
  • 原城(同上) - 大石氏と郡代の平林正恒は、開田・用水堰を積極的に開削し、保原地方の肥沃な田畑の基礎をつくっている[10]。天領となったのち廃城となるが本丸跡が現存。白河藩が櫓や館の跡に屋敷を築き「保原陣屋」となった。
  • 鮎貝城・荒砥城小国城中山城(出羽国置賜郡) - 寛文の半知以後も存続した置賜郡内の支城。以後は、一国一城令(ただし発令からも、寛文半知からも相当の年数が経過している[11] )により城を「役屋」、城主・城代を「役屋将」と改称。鮎貝城址の鮎貝八幡宮『収蔵庫鞘殿』内には、本丸と二の丸のミニチュア復元模型あり。
  • 高畠城(置賜郡) - 寛文4年(1664年)まで。ただし、織田氏の高畠移封の後も上杉家が管理(織田氏は高畠陣屋(はじめ城内、のち糠野目に移動)を築いて入部[12])。文化7年(1810年)の加増で、再び上杉家が正式に所有した。
  • 館山城(置賜郡) - 元和偃武以降の幕府提出絵図や藩の記録に「城山」「古城」などと記載があり(寛文半知よりあとも「役屋」でなく「城」と称している)、今後の研究課題とされている[13]。城跡入り口に、現在は上杉家の「私有地につき立ち入り大歓迎」の表記があり、有志による案内所がある。

考古資料 

遺構

  • 土塁、堀、石垣

三ノ丸

  • 三ノ丸土塁と西條天満神社 - 粗町公園として整備。本殿と拝殿の建物が残る。「三ノ丸北東隅社が、明治政府の破城令を免れ遺されている」旨の石碑と案内板。

二の丸

  • 弁天橋
  • 餐霞館遺址 - 上杉鷹山の隠居屋敷跡
  • 旧・上杉伯爵邸(米沢市上杉記念館) - 登録有形文化財。洛中洛外図や上杉家文書など国宝が収蔵される。
  • 城内にあった上杉家廟所は、城址から北西の現在地へ移転 - 国定史跡

本丸

  • 舞鶴橋 - 本丸の大手口。「龍」と「毘」の旗が立つ。
  • 菱門橋 - 本丸南側の堀に架かる鮮やかな赤色の橋。藩主御殿からの南出入り口にあたる。
  • 本丸跡石垣 - 石垣の上に櫓台が残る。
  • 北東隅三層櫓址 - 天守代わりの櫓址に有栖川宮熾仁親王題字の「上杉義山公」顕彰碑。
  • 北西隅三層櫓址 - 同上。西参道で城外と通じる。
  • 本丸御殿址 - 殿址に「上杉神社 稽照殿」が建立。謙信所用「ビロード織西洋マント」など所蔵。
  • 御堂跡 - 南東隅には上杉謙信を祀る御堂(みどう)があった。今は長命寺の本堂として移築され現存する。また、東大手門の礎石が現在市内川井に石碑となっている。
  • 招魂碑 - 戊辰戦争と西南の役での両軍の戦死者を慰霊する石碑[14]
  • 春日神社 - 上杉氏の氏神でかつての春日山城より移転し、明治期に本丸南西隅に遷座。
  • 伊達政宗生誕地の石碑 - 永禄十年(1567年)伊達政宗はこの米沢城で誕生(近年は館山城で誕生との異説もあり)。

城絵図・資料ほか

  • 米沢御本丸図 - 米沢図書館所蔵。
  • 松が岬牒図 - 同上。享和二年(1802年)の御三階絵図など。
  • 米沢城下絵図とデジタルマップ - 古地図を現在の道路と重ね、デジタル化する試みが米沢史学会で2017年から開始されている。
  • 国宝 上杉家文書 - 上杉博物館で非常時で展示。撮影不可。
  • 国宝 上杉本洛中洛外図屏風(原本) - 同上

交通 

  • JR山形新幹線/奥羽本線・米沢駅から米沢市民バス「米沢(松原)関根線」バスに乗り、「上杉神社前」バス停下車
  • 同駅からヤマコーバス「白布温泉行き」バスに乗り、「上杉神社前」バス停下車
  • 同駅から米沢市街地循環バス「循環右回り」(青い色のバス「ヨネザアド号」)に乗り、「上杉神社前」バス停下車
  • 同駅からタクシーで約5分
  • 東北中央自動車道・米沢北ICから約15分
    • 駐車場あり

参考文献 

  • 木村徳衛『直江兼続伝』(私家版)、1944年。
  • 青木昭博「米沢の町づくりと殖産興業」、花ヶ前盛明監修『直江兼続の新研究』宮帯出版社、2009年。

米沢城の口コミ情報

2023年08月12日 伊豆守十郎
米沢城



上杉神社となっているが本丸内堀、御三階櫓跡、土塁など見所はある。ただ、城跡としてはちょっと物足りないかな。

2023年07月26日 虎まる
米沢城

米沢城内、上杉神社宝物殿「稽照殿」直江兼続の「愛の兜」は修理準備のため現在展示されていません。今後の展示予定についてはHPで確認してからGo〜☆

2023年06月27日 こいちゃん
米沢城



米沢城三ノ丸残存土塁(粗町公園)です 1608年につくられたそうです

2023年05月06日 スー上野介
米沢城



ゴールデンウィークだったから、参拝される方が大行列で、上杉家の徳を感じる瞬間でした(^^)

2023年05月05日 気分爽快信濃守
鷺城[米沢城  周辺城郭]



広い駐車スペースがあり、車でも安心です。草木の緑が増し始めたので、郭部分は見づらかったですが、3っつの堀切、横堀、枡形、馬出はしっかり確認できました。大規模で技巧的な造りの城なの、藪の少ない時期に訪れると楽しさが増しそうです。

①北大手道
②枡形
③堀切北を上から
④堀切南
⑤長い横堀と土塁
⑥馬出
⑦堀切東
⑧堀切北

2023年04月30日 _ClaD
鷺城[米沢城  周辺城郭]



簡易トイレ付きの駐車場ができましたが、いきなりニホンザルの群れに威嚇されて車から降りるのも緊張。その後も何度か道を阻まれ、そのたびに迂回しながらなんとか山城部分をひと回りしました。居館部分はこれから整備されるのかな。

2022年12月29日 泉左衛門尉三八五守皆中神社
米沢城



上杉鷹山公の像は、三条京阪の高山彦九郎像以来の坐像で珍しく感じました。なお、城址に隣接する上杉伯爵邸は、年末年始、残念ながらお休みです。伯爵邸の庭園は雪景色で奥までは入られませんでしたが、白鷺が池から飛び立つところを見られました。

2022年11月13日 【】修理大夫こーへー
鷺城[米沢城  周辺城郭]



【感想】
★以前より口コミを読み攻城したくなり見学、保存会の方々が近年整備しています。万世コミュニティセンター、山上コミュニティセンター等で鷺城のリーフレット貰えます。城はⅣ期に分かれ拡張され広大な山城の遺構を鑑賞する事が出来ます。Ⅲ期山城を築いた遺構は伊達晴宗後半〜輝宗期の遺構とされ素晴らしく、居館跡には直江兼続統治時には前田慶次が住んでいたとも、必見です!

【遺構】
★竪堀、横堀、堀切、土塁、土橋、枡形虎口、曲輪等

【写真】
①鷺城入口
②堀切(東)
③竪堀
④主郭
⑤南郭から主郭
⑥枡形虎口(西)
⑦堀切(南)、土塁、切岸
⑧横堀、土塁、切岸

2022年09月24日 肥後守まちゃこ
米沢城



お堀が美しいです。資料館も隣の敷地にありコンパクトに見学できます。

2022年09月13日 くりた
米沢城



城内にひっそりと建つ春日神社は、日没前、素朴ながら奥深さを感じました。

2022年06月20日 nob3i
米沢城



上杉景勝、懐刀の愛の兜の直江兼続が整えた米沢の街、上杉鷹山が再生させて、米沢牛の現在に至る、わたしにはこの城から発信される知が街に滲み出て民度が高い街に映りました。
上杉神社横にある上杉邸跡もすばらしい庭園です

2022年03月01日 大場掃部助まーP
鷺城[米沢城  周辺城郭]



現在絶賛整備中(2022/3)置賜地方でも有数の巨城です。

2021年09月05日 南部陸奥守勝牛
米沢城



あいにくの雨天。松岬神社東側の上杉城史苑に駐車しました。正面参道から輪郭式本丸へ。橋の袂に毘と龍の旗を見て、上杉の城郭に来たと実感。すぐ左手の階段上に謙信公祠堂跡、下には伊達政宗公生誕地碑と上杉鷹山公像。反対側には、上杉謙信公像と景勝公直江兼続公像が並びます。正面には上杉神社、鳥居左側社務所で神社御朱印を、反対側の米沢観光コンベンション協会観光案内所でスタンプ&御城印をゲット出来ます。そして、今回は直江兼続公菩提寺の春日山林泉禅寺にて、兼続公お船夫妻の墓参をして納経印を頂きました。城下周辺には他にも謙信公以来の上杉家廟所や泥足毘沙門天を祀る八海山法音寺などがあります。

2021年08月28日 なるちゃん兵部卿
米沢城



本丸は上杉神社となっています。上杉神社稽照殿には上杉景勝、直江兼続の鎧や上杉謙信直筆の書など、見応え十分です。

2021年05月02日 摂政 浜べい
米沢城



米沢駅から歩くと片道30分以上かかるのでバスか時間が合わなければタクシーで1000円位でいけます。隣りにある上杉博物館の屏風図は一見の価値があるのでオススメです。

2020年11月16日 志葉丈瑠
米沢城



今年9回目の米沢城へ。紅葉が見ごろのタイミングでした🍁

お隣の上杉博物館では、米沢城について詳しく学べます。
城内マップ上のお侍さんを誘導していろんな場所を紹介してもらえます。
期間限定の特別展ですが、とても楽しくわかりやすいです。

2020年11月06日 S&K弾正大弼
米沢城



米沢城は現在、堀、土塁、菱門橋(御殿からの南出入り口からの通行を厳重に取り締まった[秘し門]からの由来)、上杉謙信を祭神とする上杉神社などが残されています。あまりにも綺麗でしたので、城内の紅葉も撮りました。

2020年10月01日 南方館衆右衛門佐和侍
米沢城



水堀は残っていますが、上杉神社中心の見学になると思います。米沢市上杉博物館は見どころあります。11月23日まで特別展開催しています。

2020年09月22日 KAZ中納言正勝
林泉寺駐車場[米沢城  駐車場]

米沢の各施設は駐車場完備で大変ありがたいですm(_ _)m林泉寺は仙洞院さま、兼続夫妻(横並び)のお墓がある場所です(^-^)入館料は、400円です

2020年09月22日 KAZ中納言正勝
御堂跡[米沢城  碑・説明板]



謙信公の遺骸を御廟ができるまでの間
安置していた場所です

2020年08月13日 主計頭 けん
米沢城



上杉神社境内には、上杉家関係の像や石碑はもとより、伊達政宗生誕の地碑などもあって、見どころ満載。上杉家廟所もおすすめ。

2020年08月10日 大場掃部助まーP
片倉山館[米沢城  周辺城郭]



斜平山の愛宕神社の直下に存在します。

2020年08月10日 大場掃部助まーP
三の丸残存土塁[米沢城  遺構・復元物]

残存土塁の上には稲荷神社が有ります。

2020年08月10日 大場掃部助まーP
三の丸残存土塁[米沢城  遺構・復元物]

西條天満公園に三の丸残存土塁が有ります。

2020年07月19日 葵 弾正大弼
上杉家廟所[米沢城  寺社・史跡]



荘厳な場所で静寂に包まれています。地元の方がこの場所を大切にしている気持ちを強く感じます。

2019年05月04日 織田上総介晃司
米沢城

米沢城(上杉神社)のすぐそばにおまつり広場という駐車場があります。
ただ上杉まつりの期間中は駐車制限があります。

本丸がすべて神社になっているので遺構は少ないですが、北東、北西の隅に御三階櫓跡があります。
桜が満開の頃の菱門前は壮麗です。

ジョンFケネディ元アメリカ大統領が尊敬する日本人として名を挙げた上杉鷹山の奨励で堀に鯉を養殖するようになりました。(藩士のタンパク源として)

鷹山の句「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり」の上の句は昔のTV番組「がんばれ!!ロボコン」のエンディングで覚えました(笑)

米沢牛が有名で市内にも米沢牛を食べさせくれる店が多いですが、さすがに値段が高く手が出ませんでした。

2019年04月27日 エムサカ陸奥守
菱門橋[米沢城  遺構・復元物]



藩主のみ渡ることができた本丸に架かる菱門橋

2018年04月18日 安田宮内卿秀俊
米沢城

・・墓所情報②・・
林泉寺…直江兼続、お船の方、吉江宗信、武田信清、水原親憲、長尾権四郎(白井長尾氏)、富所伯耆守、鉄泰忠(黒金氏)、甘粕景継、畠山義春一族、上杉家廟所(仙洞院、菊姫、綏姫、お豊の方ら上杉家の子女)、上杉支候家(米沢新田藩 藩主)

2018年04月18日 安田宮内卿秀俊
米沢城

・・墓所情報・・
・法音寺 上杉家墓所…歴代藩主上杉氏(謙信 景勝~12代 斉定まで)
・千眼寺…色部氏歴代
・関興庵…大国実頼、樋口兼豊、樋口秀兼
・ー花院跡…千坂景親&那須与一供養塔
・西蓮寺…柿崎憲家
・栄松寺跡…甘粕景持?
・慶福寺…安田能元、安田毛利氏歴代
・堂森善光寺…前田慶次供養塔、志田義秀
・日朝寺…千坂氏歴代
・極楽寺…中条氏歴代(中条藤資、景資)、山浦光則、藩主側室4名
・北山原殉教遺跡…甘粕右衛門信綱らキリシタン53名
・法泉寺…3代藩主定勝の娘2人、6代吉憲の正室
・照陽寺…上杉憲政
・常安寺…安田長秀 累代、斎藤朝信 累代、土佐林氏(出羽庄内の豪族)、甘粕景継一族

2017年05月08日 家督譲りました
米沢城

米沢城 近くに上杉家の御霊廟があり、上杉謙信公や上杉鷹山公の霊廟がずらりと一堂に会しています。また、林泉寺に直江兼続夫妻のお墓もあり、珍しく夫婦で横に並んで建てられており、生前どれだけ想いあっていたかを感じることができます。また、同お寺にには上杉家ゆかりの女性たちのお墓が集められています。仙桃院様のお墓もこちらにございます。米沢藩のお殿様方は女性を大切にされていたのだと感じました。また、鷹山公お手植えの桜もあり、直江兼続夫妻のお墓の近くにも立派な桜があり、見応えがありました。何より嬉しいのが、米沢城、御霊廟、林泉寺全て駐車場が無料で、本当に巡りやすかったです。御朱印を集めておられる方は三ヶ所全ていただくことができます。

2015年12月05日 まさ宮内卿猛虎
米沢城

米沢城訪問時の失敗談です。奥羽本線が、4:30分位電車が無い時間帯が有ります。
時刻表の調査不足による失敗だが、その時間で付近の史跡や沿線の城攻略すれば良かったと、悔やまれる。本線で有っても、新幹線開通後は、ローカル線同様の時刻表になってます。注意を。


2015年10月29日 まさ宮内卿猛虎
米沢城

米沢駅降りると、米沢牛と米沢城の看板が、目につく。御飯や麺どれにも牛ばかり、鳥は見掛けなかったかも?城へは、徒歩30分、バス10分。上杉神社には上杉家縁の武将銅像が、5個位有ったかも?
【為せばな~】の句に感動したケネディの説明文も、印象的です。

2015年09月22日 安田宮内卿秀俊
米沢城

武将像・城跡(上杉神社)に 上杉謙信、上杉景勝&直江兼続、上杉鷹山の3つがあります


2013年09月21日 金沢流北条掃部助源二郎
米沢城

上杉神社に併設している上杉博物館には織田信長公が上杉謙信公にプレゼントした「洛中洛外図屏風」のレプリカが展示してます!! 尚博物館内で鷹山公のミニシアターも上映してました♪
博物館は大人400円です!!

2012年06月10日 奥州王征夷大将軍毘沙門天乱丸
米沢城

上杉神社から南の方へ、車で約15分のところに、直江兼続公ゆかりの龍師火帝の碑あり、その近くにトトロの森あり!
まさに森全体がトトロです!

2012年05月02日 タロウ
米沢城

明日は川中島合戦です
午前中は甲冑姿の上杉軍が町を歩きます
午後の河川敷での合戦は陣形や高坂隊など見所一杯です

2012年04月01日 奥州王征夷大将軍毘沙門天乱丸
米沢城

毎年5月の連休中に上杉祭りが開催されます!
4月29日~5月3日までで武帝式、武者行列、メインが川中島の模擬戦などのお祭りです(^_^)ノ

2010年08月23日 出羽守景綱
米沢城

〜訂正とお詫び〜

以前、米沢城の周辺情報として『堂森に前田慶次の供養搭がある』と表記したつもりが誤って『お墓がある』と表記してしまっていました。
情報を見て頂いた方には大変ご迷惑をおかけ致しました。心よりお詫び申し上げます。
また、間違いに気付き御指摘下さった方に心より感謝致します。

2010年06月09日 出羽守景綱
米沢城

米沢城周辺の情報です。
敷地内の稽照殿に直江兼続の愛の甲冑を展示。南約1㎞県道152の林泉寺には兼続のお墓、西約1㎞県道152に上杉家御廟所。南約5㎞は直江石堤、南東約3㎞国道121付近の宮坂考古館は前田慶次の甲冑を展示。東約5㎞堂森の善光寺は前田慶次のお墓があります。

米沢城の周辺スポット情報

 菱門橋(遺構・復元物)

 北東三階櫓跡(遺構・復元物)

 北西三階櫓跡(遺構・復元物)

 本丸北門跡(遺構・復元物)

 三の丸残存土塁(遺構・復元物)

 三の丸残存土塁(遺構・復元物)

 長命寺本堂(遺構・復元物)

 二ノ丸(遺構・復元物)

 本丸(遺構・復元物)

 菱門(遺構・復元物)

 舞鶴橋(遺構・復元物)

 二の丸(遺構・復元物)

 二の丸(遺構・復元物)

 御堂跡(碑・説明板)

 武者道その壱(碑・説明板)

 札の辻跡(碑・説明板)

 藩校興譲館跡地記念碑(碑・説明板)

 餐霞館遺跡(碑・説明板)

 伊達政宗生誕の地(碑・説明板)

 片倉山館(周辺城郭)

 古志田館(周辺城郭)

 直江兼続屋敷(周辺城郭)

 鷺城(周辺城郭)

 早坂山館(周辺城郭)

 上杉家廟所(寺社・史跡)

 照陽寺(寺社・史跡)

 長泉寺(寺社・史跡)

 常安寺(寺社・史跡)

 松岬神社(寺社・史跡)

 上杉神社(寺社・史跡)

 観光案内所(御城印)

 米沢観光コンベンション協会観光案内所(スタンプ)

 観光案内所(スタンプ)

 トイレ(トイレ)

 公衆便所(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 林泉寺駐車場(駐車場)

 上杉謙信公像(その他)

 天地人主従の像(その他)

 上杉鷹山公の像(その他)

 慶次清水(その他)

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