神指城(こうざしじょう)

神指城の基本情報

通称・別名

所在地

福島県会津若松市神指町中四合字高瀬

旧国名

岩代国

分類・構造

輪郭式平城

天守構造

築城主

上杉景勝

築城年

慶長5年(1600)

主な改修者

主な城主

なし(未完成)

廃城年

慶長6年(1601)

遺構

曲輪、土塁、横堀

指定文化財

再建造物

碑、説明板

周辺の城

会津若松城(福島県会津若松市)[4.3km]
向羽黒山城(福島県大沼郡)[7.8km]
陣が峯城(福島県河沼郡)[11.7km]
新宮城(福島県喜多方市)[13.3km]
柏木城(福島県耶麻郡)[18.7km]
猪苗代城(福島県耶麻郡)[19.5km]
青山城(福島県喜多方市)[19.7km]
桧原城(福島県耶麻郡)[28.4km]
母成峠防塁(福島県郡山市)[32.4km]
高玉城(福島県郡山市)[34.1km]

神指城の解説文



神指城(こうざしじょう)は、福島県会津若松市にあった日本の城。

概要 

慶長3年(1598年)正月、豊臣秀吉から会津へ移封の命を受けた上杉景勝は、会津盆地の東南隅に位置する若松城が狭隘であることを患い、慶長5年(1600年)2月10日より盆地中央で阿賀川畔の神指ヶ原に新たな城の建設をはじめた。惣奉行は直江兼続、小奉行は小国但馬、甘糟備後、山田喜右衛門があたっている。

慶長5年2月10日(1600年5月1日)から築城を開始した。越後、仙道、米沢、会津四郡の人夫12万人を動員、本丸は3月18日より6月1日まで石塁を築き、二の丸は5月10日(6月20日)に始まり、6月1日(7月11日)に塁や堀の形が備わったが、この城は6月の酷暑のために休工、さらに徳川家康の会津征伐により6月10日(7月20日)竣工にいたらなかった。

関ヶ原の戦いの後、慶長6年(1601年)8月に上杉景勝は米沢へ移封となり、完成を待たずして神指城は破却され、慶長年間に、石垣は若松城へ運ばれたようである。

構造 

縄張りを見る限り、この城は軍事目的のみで築かれたものとは思えない。この城は明らかに阿賀野川の河川交通を意識したもので、景勝はそこに新たな経済効果を狙った城下町を築くつもりであった。事実、屋敷城を拡大したような輪郭式の構造になっている。籠城戦で家康らを相手にするような軍事優先的な構造にはなっておらず、むしろ景勝は、新たな領国を運営するにあたり、若松城に代わる新たな政治経済の中心地としての城と城下町を新たに建設しようとしていた。 本丸と二の丸からなる「回」字形の輪郭式平城で、本丸の大きさは、東西310メートル、南北340メートル、二ノ丸の大きさが、堀跡を含めると、東西710メートル、南北780メートル、面積55ヘクタールである[1]。城の鬼門に位置する「高瀬のケヤキ」(現存、国の天然記念物[2])と北極星を基点に縄張りしたと伝えられる。

所在地 

福島県会津若松市神指町本丸

参考文献 

  • 【書籍】「会津旧事雑考」
  • 【書籍】「直江兼続伝」
  • 【書籍】「神指城と関ヶ原」
  • 【書籍】「直江兼続の新研究」
  • 【書籍】「敗者から見た関ヶ原合戦」
  • 『会津若松市埋蔵文化財分布調査報告書』

神指城の口コミ情報

2023年06月01日 よあ中務大輔
神指城



少し離れたところに公園風に整備された土塁が残っていました。駐車場はありません。

2023年05月28日 noble左近衛大将弥勒菩薩
神指城



本丸です…。何がなんだかわかりません。整備してくだされ-!

2022年04月19日 つか征夷大将軍
石垣[神指城  遺構・復元物]



小学校の隅っこに石垣の石があります。説明文は無くどこでどう使われていた等の詳細は不明です。

2017年01月18日 カーネル
神指城

磐越西線会津若松駅から線路を超えて西へ

積雪期は市街地でも道が雪で白一色でした
まず1kmほど北上して国道49号へ。ここから20分くらい西に向かうと、畑の中に神指城の看板がありますのでそれに従い農道へ

遮るものがないので、雪が降ってなくても風で舞い上がった雪が顔に降り注ぎ、なかなか辛いです
右手にフェンスに囲まれた一角が見えてきたら、そこが神指城です

道路から敷地に入るのに、雪で埋まった側溝を超える必要がありますが、神指城の看板前に側溝の上に橋があるので、ここで渡りましょう
また敷地内も、池があるので落ちないように・・・。城は案内の看板が多数がりますが、遺構はすべて雪に埋まりよくわかりませんでした

普通の靴を履いていましたが、帰りは強風の追い風の中、アイスバーンの道をスケーティングしながらで楽しかったです

駅から往復して2時間でした

2015年08月12日 尻啖え孫市権中納言
神指城

景勝、兼続が家康との無二の戦いに備え主城にしようとして、未完に終わった城。会津若松城との位置・規模・役割の違い、全くの平城で籠城を意識していないこと(野戦で決着すると考えていたこと)、河畔に縄張りし交易を重視したことなどから彼らが何を考え、実行しようとしていたか想像しながら散策すると興味深い。彼らの悲願が見てとれる。

2014年04月28日 梨畑中務卿四十郎
神指城

ほとんど会社の私有地になってるようだ。かつてはゴミの不法投棄場所だった名残あり。パンフレットや散策路の案内があるので残念。道は厳しいと思うが是非買い取って整備してほしい。

2011年05月29日 雪之丞
神指城

バスで行く場合は、会津若松から坂下行で高瀬で降ります。本数は1、2時間に1本で少ないです。七日町駅から頑張れば歩いてでも行けます。

2011年03月08日 さくら主膳佑にゃ〜
神指城

「高瀬の大木」のある丘が二の丸北東隅、会津戦争で新選組の拠った如来堂集落が同南西隅土塁で、北西、南東の土塁も耕作地の中に島の様に残ってます。そこに登って二の丸の外周を想像すると規模が実感出来ますよー。

2010年06月11日 伊達雅楽助あいり
神指城

公共交通機関を利用される場合、バスの便はほとんどないので鶴ヶ城などでレンタサイクルを借りることをオススメします。

2010年06月08日 のぼちゃん陸奥守
神指城

国道49を喜多方方面に走行し国道252が交差する交差点を直進していくと『神指城跡』の看板がでてきます。田んぼの真ん中に大きい木があり案内板がありました。若松城内のシアターでやっている幻の神指城を見る限りでは、かなりの規模(熊本城クラス?)で、もう少し関が原の戦いが遅かったら完成していたかもしれません。

神指城の周辺スポット情報

 高瀬の大木(遺構・復元物)

 土塁(遺構・復元物)

 土塁(遺構・復元物)

 土塁(遺構・復元物)

 石垣(遺構・復元物)

 天守予定地(遺構・復元物)

 本丸(碑・説明板)

 新選組殉難地の碑(碑・説明板)

 説明看板(碑・説明板)

 本丸跡(碑・説明板)

 如来堂(寺社・史跡)

 八幡神社(寺社・史跡)

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